<<先月分へ

自衛隊インビテ−ション
(7月放送内容)



テ−マ:ここ10年間の防衛政策の成果

パ−ソナリティ−:

 皆さんこんにちは、今日は特別ゲストとして東北防衛局の増田局長にお越しいただきました。局長、今日はどんなお話ですか。


増田局長:

 はい。今日はですね、ここ10年間における防衛政策の成果について話したいと思います。近年、日本には停滞感・閉塞感が蔓延して、停滞の10年とか空白の10年とか言われておりますけれども、防衛政策に関する限り、停滞どころか躍進の10年間であったと思います。


パ−ソナリティ−:

 どのような躍進があったんですか。

増田局長:
 私は5項目を挙げたいと思います。1つ目が防衛省の「庁」から「省」への昇格、2つ目がグローバルな「テロとの戦い」等、3つ目が「有事法制」、4つ目が「BMDの進展」、5つ目が「国際化の進展」です。

パ−ソナリティ−:
 「省」への昇格というのは。

増田局長:
 2007年1月にですね、防衛庁から防衛省に昇格したわけです。これはこの10年間における防衛政策の躍進の象徴みたいなものだと私は思っています。実は、2001年に省庁再編が行われて、1府12省庁になったんですね。このときに「省」昇格のチャンスであったんですが、結局は見送られました。当分はチャンスはないのではないかなあと落胆していたわけですけれども、6年後にそれは実現したわけです。そして、余談になりますけれども、昨年末には防衛省から初の総理秘書官が誕生しました。これはこれまで数十年間4省庁に独占されていた総理秘書官の出向ポストを防衛省が獲得したということで画期的なことだったんではないかなあと思います。

パ−ソナリティ−:
 グローバルな「テロとの戦い」等とは。


増田局長:

 「等」とつけたのはですね、インド洋における補給支援活動のほかに、イラク人道復興支援活動やソマリア沖・アデン湾の海賊対処も含めて言いたかったので「等」とつけました。一昔前であれば、憲法で禁じられている海外派兵や集団的自衛権の行使との絡みでですね、一部の方から賛成を得られなかったわけですが、それがこの10年間で次々と実現して、国際的な取り組みに参加・協力することが出来るようになりました。私自身もイラクのサマーワに半年近く滞在したことがありますので、そこでイラク人道復興支援活動に参加しました。機会があったらそのときの話をしたいと思っております。


パ−ソナリティ−:

 「有事法制」というのは。

増田局長:
 有事法制はですね、これがずっとなかったんですが、いざ有事になったら非常に困るという状態だったんですね。1978年に統幕議長の超法規発言が大問題になったこともあったんですが、それが、2003年から2004年にかけて、武力攻撃事態法や国民保護法、こういったものをはじめとして、数々の法律が制定されて、また関連する条約も締結されました。この何十年も停滞していた懸案が一挙に解決した点で画期的だったと思います。


パ−ソナリティ−:

 「BMDの進展」とはどういうことですか。


増田局長:

 北朝鮮による弾道ミサイルの発射というのが98年、06年、09年とありましたけれども、こういった動きも影響したんだと思いますけれども、弾道ミサイルに対する備えとしてもBMDの進展、これがありました。2006年3月には法制面の整備が行われて、自衛隊法82条の3に破壊措置が規定されましたし、装備面でも、BMD機能のあるイージス艦やペトリオットPAC−3の配備が進みました。あと日米間で能力向上型迎撃ミサイルの共同開発というのも行われています。


パ−ソナリティ−:

 では最後に「国際化の進展」についてはどうでしょう。


増田局長:

 まず、国際平和協力活動や国際緊急援助活動についていえば、アジア、中東、アフリカ、中米などこれまで約20の活動をしてきました。それから先ほど述べたインド洋、イラク、ソマリア沖・アデン湾での活動があります。それと1990年代半ば以降、各国との防衛交流が進んでいましたが、それが防衛交流から防衛協力といえるものに発展してきております。


パ−ソナリティ−:
 局長、今日はどうもありがとうございました。

増田局長:
 どうもありがとうごさいました。
TOPページへ

次月分へ>>