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防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A
(3月放送内容)



テ−マ:9・11同時多発テロ

パ−ソナリティ−:

 防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A、このコーナーでは防衛省・自衛隊や日本の防衛について詳しく分かり易くお話いただきます。本日も東北防衛局の増田義一局長にお話いただきます。局長どうぞよろしくお願いいたします。


増田局長:

 よろしくお願いいたします。


パ−ソナリティ−:

 では早速ですが、今日はどういったお話しをいただけますでしょうか。


増田局長:

 今回はですね、10年前のある出来事で、世界の安全保障観を大きくかえたものについて話したいと思います。


パ−ソナリティ−:

 10年前の出来事ということですが、それは一体なんでしょうか。

増田局長:
 2001年9月11日に起きた同時多発テロです。これ以降ですね、世界中で対テロというものが安全保障の中で重要なポイントとなりました。一大転換をもたらした出来事ということが言えると思います。当時私はたまたまアメリカにいましたので、この一大事を直接目のあたりにすることとなりました。


パ−ソナリティ−:

 そうでしたか。とても強烈な印象があるので10年前だとは思えませんね。


増田局長:

 この同時多発テロで約3千人の人が亡くなられました。日本人も二十数人亡くなりました。ニューヨークの世界貿易センタービルに乗っ取られた旅客機が突っ込む映像というのがテレビで繰り返し放送されましたので、今でも鮮明に覚えていらっしゃる方が多いと思いますけれども。ニューヨークだけでなく、ワシントンの国防省、いわゆるペンタゴン、ここにも旅客機が突っ込みました。さらにもう1機、ホワイトハウスに突っ込むことを狙っていた旅客機があったわけですが、携帯電話でニューヨークの件を知った乗客たちがコックピットに殺到して犯人の意図を阻止しようとしたわけですが、それが叶わずペンシルバニアに墜落しております。


パ−ソナリティ−:

 本当に多くの犠牲者が出た衝撃的な事件でしたが、当時、局長もアメリカにおられたということで。


増田局長:

 当時私は、国防省の組織である国防大学国家戦略研究所でですね、客員研究員をしていたんですけれども、ワシントンのペンタゴンの中ではないんですが、ポトマック川を挟んだ対岸にオフィスがありました。仕事柄時々ペンタゴンに行ったりしていたので、運悪くこれに巻き込まれたりすることがなくて良かったなと当時は思いましたですね。このペンタゴンを上から見ると五角形をしているわけなんですが、これが低層なんですね。4階か5階建てだと思いますが、これを横から飛行機で突っ込んでいくというのはかなりの操縦技術を要するなと私は思いました。この事件が起きたとき、私はまだ出勤直前でですね、テレビでニューヨークの世界貿易センタービルの生中継を見たわけですが、これを見た瞬間にですね、これはオサマ・ビン・ラディンが率いるアルカイダの仕業だなということが分かりました。


パ−ソナリティ−:

 当時オサマ・ビン・ラディン、それからアルカイダを知っている人というのは少なかったのじゃないかなと思うんですけれども、なぜわかったのでしょうか。


増田局長:

 実は私はこの1か月前までですね、防衛庁の情報本部というところで中東情勢やイスラム過激派に関する情報を扱う課の課長をしていたんですが、当時各国の情報機関は、アルカイダの動向というのを一生懸命追いかけておりました。それというのも、この前年にイエメンのアデン湾で米海軍の艦艇がアルカイダによるボートでの自爆テロを受けて、死者十数名負傷者数十名を出していますし、またその2年前には、ケニアにあるアメリカ大使館とタンザニアにあるアメリカ大使館がアルカイダからの同時爆破テロを受けまして、死者約300人負傷者約5000人という大変な被害を受けました。このためにですね、アルカイダによる次のテロはいったい何処でどんな方法でなされるのかなあと、各国の情報機関の関心の的だったんですね。


パ−ソナリティ−:

 では各国の情報機関の方が注目している中で起こったのが、9.11のテロだったということなんですね。


増田局長:

 はい。その後ですね、アメリカ滞在中の日本人は私を含めてですね、関心事はやはり日本政府がどういう対応をとるかというふうなところに向けられていました。さらにその10年前の湾岸戦争のときは、日本は金は出すけども人は出さないということでジャパン・バッシングを受けていましたので、それを記憶している人が多くいたんだと思います。またこの同時多発テロでですね、旧日本軍による真珠湾攻撃というのを思い起こしたアメリカ人が多くいました。それはアメリカ本土が攻撃されたこととですね、奇襲であったこと、それから自爆攻撃であったので特攻攻撃を思い起こさせたんですね。私からすれば、テロリストによる一般市民を標的にする無差別テロと、国家による軍事目標だけを攻撃する軍事作戦とは、全く別物であるという意識なんですが、多くのアメリカ人が真珠湾攻撃を思い起こしたので、日本政府の対応がいやがおうにも注目されるんじゃないかと、私は当時思いました。


パ−ソナリティ−:

 その注目される中、日本政府の対応はどうだったのでしょうかか。


増田局長:

 はい。当時の小泉内閣はうまく立ち回ったと思います。1週間後には7項目の「当面の措置」というのを発表して、その中で、「自衛隊を派遣するための所要の措置を講ずる」ということを掲げました。米国政府を支持して国際社会の取り組みに協力する姿勢をいち早く示したことで、我々アメリカに滞在中の日本人はバッシングされずに済んだわけです。


パ−ソナリティ−:

 では実際、自衛隊の派遣というのはスムーズに行われたのでしょうか。


増田局長:

 はい。とりあえず情報収集目的で海上自衛隊の艦艇を派遣して、さらに臨時国会でテロ特措法を成立させまして、12月からはインド洋における補給活動が開始されました。この補給活動は、その後2010年1月に終了するまで続けられました。こういった流れの延長線上に、イラク人道復興支援活動とか、あるいはソマリア沖・アデン湾での海賊対処といった自衛隊の活動があるんじゃないかと思います。

パ−ソナリティ−:
 なるほど、付随するさまざまな活動も行ってきているということになるわけですね。はい分かりました。もう10年前なんですね。9月11日に起きた同時多発テロに関するお話をいただきました。防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A、東北防衛局の増田義一局長にお話をいただきました。どうも有難うございました。

増田局長:
ありがとうございました。
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