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女性防衛モニターの視点から、自衛隊の日ごろの訓練の一端を実際に見学・体験してもらい、レポートを通じて皆さんに紹介していきます。
12期最後となる広島県呉・江田島への研修に行きました。長かったようで短かった女性防衛モニターの活動もこれで最後となります。

バスに揺られて4時間半ほど、呉は軍港としての面影を残す港町でした。桟橋には護衛艦も潜水艦も複数停泊しており、大阪ではまず見られない光景に驚きました。
最初に訪れた潜水艦教育訓練隊は日本で唯一の潜水艦乗員養成機関です。まず体験をしたのは潜水艦潜航訓練装置で、潜航、スノーケル浮上を再現できます。潜航と浮上でそれぞれ20度のアップダウンがかかったのですが、普通に立っていることができませんでした。


次に体験したのは潜水艦航海術科訓練装置で、潜水艦の水上航走を再現できます。丸いお茶碗型のスクリーン内に360度切れ目なく映像が映し出され、その真ん中に艦橋部分が設置されていました。晴れ・雨・雪・嵐で荒れ狂う海原もリアルにバーチャル体験ができます。実際に艦橋は動かず、様々な船が行き交う明石海峡の再現画像が映されているだけでしたが、船酔いしそうになりました。
その後は、今回のメイン、第1潜水隊所属の潜水艦まきしおを見学させていただきました。
潜水艦といえば、狭い・くさいと事前に聞いていましたが、臭いは鼻が慣れれば気になりませんし、各部屋が機能的に作られているため、思っていたほど狭さは感じませんでした。ただ、各区画を移動する際に、丸いハッチを大股で体を屈めて通らなければならなかったのがつらかったです。ここで潜水艦の狭さ・不便さを感じました。ベッドが唯一の個人スペースとお聞きしましたが、狭く、高さもないため、本当に寝るだけの場所です。一番驚いたことは、魚雷発射管室に実習員のベッドが作られていたことです。居住スペースが足りないために臨時の寝床だそうですが、魚雷と添い寝です。余談として夏は抱きつくと冷たくて気持ちよいそうですが、すごい世界だと思いました。

翌日はフェリーで江田島まで移動です。江田島は旧海軍兵学校があった場所で、現在は海上自衛隊第1術科学校と幹部候補生学校が置かれています。
入口を一歩入ると恐ろしく綺麗な道、手入れの行き届いた緑、そして砂利も綺麗に掃き清められています。どこか静かでピンと背筋が伸びるような雰囲気がありました。近年では映画の撮影などにもしばしば使われることが多いのもうなずけます。この場所だけ平成ではないような、そんな気持ちになりました。
この一年の活動を通じて、たくさんの事を学ばせていただきました。
自衛隊の方も私たちと同じように学生時代があり、訓練を経たうえで隊員となったこと。厳しい訓練に耐える力も、緊急時に備えて毎日鍛えた結果であること。スーパーマンではない、と以前にお話をうかがっていたことを実感しました。
最初に基地や駐屯地で自衛隊の方々の活動を見て、純粋にすごいと思いました。「こんな事ができるのは特別な人だけだ」と思った後に、まず訓練ありきであることを知って、隊員の方の優しさと格好良さを知って、最後にそうなるまでの道のりを見せて頂けたことを感謝します。モニター活動に携わって下さった全ての方々、本当にありがとうございました。
”みてみ隊(第12期) 黒岩さんのレポートより”

自衛隊のヘリコプターに乗れる。それだけでかなり前から楽しみにしていました。当日はあいにくの天気でしたが、雨天決行して頂いて有難かったです。
自衛隊のヘリコプターは晴れている日ばかり飛ぶわけではないだろうし、雨の日に搭乗できたのは貴重な体験でした。

まず、施設見学をしました。一言でヘリといっても、用途に応じて形も大きさも全然違うことを学びました。
そして、いよいよ搭乗。プロペラからの風がすごくて飛ばされそうになりました。轟音も思っていた以上のものでした。
機内に入ると、操縦席周りには数えきれない程のスイッチや計器が天井にまでビッシリありました。
雨のため、駐屯地敷地内のみの飛行となりましたが、小回りのきいた動きをいろいろやっていただき、まるでアトラクションを体験しているような感覚でした。
今後、もし自衛隊のヘリコプターに乗る機会があれば、もう少し遠くまで飛んで、高度とスピードを感じてみたいと思いました。
”みてみ隊(第12期) 伊藤さんのレポートより”

駐屯地での宿泊を伴う研修は今回で2回目です。今回は生活体験ということで、実際の自衛官の訓練・生活に近いことを体験する研修でしたので、よりリアルに、身近に自衛隊を感じました。

1泊2日の短い時間でしたが、モニターの皆さんと団体行動をしたことで、自分の立ち位置を把握することや、ペースを合わせることの大切さと大変さを感じました。一人遅れたり、できなかったりすることで全体の責任になり、腕立て伏せなどの罰則を科せられたのが辛かったです。最年長の自分は体力面で他の方に迷惑をかけてばかりでしたが、みんなに励まされ頑張れました。モニターの皆さんの結束力が頼もしく、ありがたく思いました。

印象に残ったことは、なんといっても20kgの背嚢を背負っての行進訓練です。背嚢はずっと背負っているわけではなく2kmずつで交代でしたが14km歩きました。歩くだけでも大変な装備と距離で、さらに靴ずれや筋肉痛があり、こんなに苦しいとは思いませんでした。訓練の設定である「震災で物資と届ける」に対しては、“やっぱり最後は人力や。鍛えるのは大切なんだなあ。”と思いました。
今回の生活体験で、特に規律の厳しさをひしひしと身に感じました。去年6月の今津駐屯地研修で漠然と「自衛官ってキッチリしてるなあ」と思いましたが、実際の自衛官の生活は、時間を細かくキッチリ決めて素早く行動し、決められた時間内に物事を終わらせ、決められた時間までに行動に移せるようにする、でした。自分が体験してみて、その大変さ、厳しさを実感し、自分も来る前より、精神的にキッチリしたような気がします。
規律を守るということを日頃あまり重視していなかったことを痛感し、今後は自分の生活でも時間を守り、規律正しく、キビキビした精神を取り入れたいと思います。
”みてみ隊(第12期) 藤井さんのレポートより”
今日は、指揮官からみた災害派遣と自衛隊についての講話をお聞きしました。

まず、和歌山や奈良で甚大な被害のあった台風12号のスライドを見ました。この近くからでは信太山駐屯地から多くの隊員が災害派遣に行っていたそうですが、写真を見ると台風の被害はまるで東北の津波の被害と変わらないような状況に驚きました。どんなに文明が発達しても、私たちの予想を覆すほどの自然災害の前では人間は太刀打ちできないんだな、と唖然としながらスライドに見入ってしまいました。

東日本大震災では大きな被害のあった県からの災害派遣の要請はほぼ2時間で来ており、阪神大震災時にかかった時間の2分の1程度とのことです。これは、自治体と自衛隊との連携が取れているとのことで、やはり普段からの緊密なコミュニケーションが大切なのだと感じました。
また、マスコミでは宮城・岩手・福島での自衛隊の活動が大きく取り上げられていましたが、液状化現象のあった千葉・青森や北海道からも要請があり、そこでもたくさんの活動をしていたとのお話がありました。私自身も東北での活動や被害ばかりが大きく印象に残っていたため、液状化現象でマンホールがうねりながら飛び出した写真を見て、千葉でもこんなに大きな被害があったのかと初めて認識しました。
震災では10万人体制となり、予備自衛官も初の召集がかかりました。これだけ大きな災害があった時には隊員の数も足りず、活動している隊員の身体的・精神的負担も大きくなります。普段は他の仕事を持ち、有事の際には自分の技能を生かして活躍できるこの予備自衛官の制度が社会にももっと広く認識されれば良いな、と思います。

米軍の支援では『サクラクラス』という児童への英語の授業が印象に残りました。国際的な災害派遣の中で、現地の人と交流し、信頼を得ることは任務を滞りなく遂行していく上でとても大切なことだと思います。この試みは、イラク派遣時の日本人に倣ったとのことでした。国境を越えた心の交流は、いつまでも人々の心に残り、将来に渡り良い関係を築く一歩になると思います。
『日本に自衛隊がいてよかった』という本を読みましたが、本来の任務ではない遺体の埋葬など、有事の際の自衛隊といえども、ほとんどの隊員はそのような場面を経験したことがありません。数ヶ月の期間にわたり、現場の隊員、指揮をしている方も強いストレスを受けられたと思います。このような話を聞くと、任務から帰ってきた後の隊員の方々の心のケアがとても心配になりました。
”みてみ隊(第12期) 桑島さんのレポートより”
予定していたカッター(※1)訓練は「少雨決行」と聞いていたのですが、現地に着くと雨が強くなってきてしまいました。防衛モニターになっていろいろな場所へ研修に行ったのですが、今回が初めての中止です。大阪地本の方から「手、お尻の皮が確実に剥けます。」と聞いていたので、気持ちとしては後ろ向きでしたが、中止ともなると残念でなりませんでした。

研修内容が変更になり、午前中は手旗訓練、お昼を挟んで午後からは、結索訓練、防火訓練の見学となりました。
私が特に印象に残っているのが、結索(※2)訓練です。正直に言うと、本当に苦手でした。説明を聞いても、実際にやってみると難しい。

一番プレッシャーになったのは「じゃあ、テストをします!」と言われた時。そういうのが苦手なので、当然緊張してしまい、ちょっとパニックになりできませんでした。注意されると、悔しくて、夢中で練習しました。これが、私の負けじ魂。完璧ではなかったはずですが、注意されなかったので心の中で、ガッツポーズをしました。体で教えていただいた「もやい結び」は、あれから1週間過ぎようとしていますが今でも出来ます。結び方も300種類あるとのこと。その中のいくつかだけですが、バーベキューなど日常で使えるものを教えていただけてよかったです。短い時間でしたが、久しぶりに、背すじがピシッとなるような緊張感でした。

今回の研修でも楽しみは昼食。しかも、海上自衛隊で金曜日と言えば…「カレーライス!」実際のメニューはカレーライス、コロッケ、スライスチーズ、フルーツポンチ、牛乳でした。それから、カレー皿がシルバーでとても大きく重かった。食器1つでも雰囲気が変わるので見た目から気合いが入っている感じがしました。中でも、フルーツポンチの果物の多さに驚きました。食べた後にいつも思うことなのですが、そのボリュームに驚きます。作る量も、何人分なのか想像できませんがかなりのハズ。機会があれば厨房の方にいろいろと話を聞いてみたいものです。おいしいと噂だったカレーは、噂以上においしかったです。
手旗訓練や結索訓練は、私でも勉強すれば使えそうですし、今までの研修の中で一番身近に感じました。今回は体で教わることがたくさんありました。お話を聞いたり、見たりするのもいいですが、やはり実際にしてみるのが一番だと改めて思いました。
※1 カッターとはオールを漕いで進ませる手こぎボートの一つ。12名で漕ぐ。
※2 結索とはロープ(索)を他のものに結びつけたり、ロープ同士を結び合わせること。
”みてみ隊(第12期) 阿野さんのレポートより”
今回は「海のロマンを感じてくるように」と海上自衛官である我らが広報班長からの命を受け、呉地方隊の展示訓練にお邪魔しました。


今回は地元大阪でのイベントということで、いつもよりもさらに念を入れた下調べをして、実際に洋上に出る前日の艦艇一般公開にも個人的にお邪魔してからの航海となりました。
今回の展示訓練は、大阪・神戸・阪神基地隊・淡路島・和歌山、そして海上自衛隊の航空基地から合計17隻の護衛艦や掃海艇・潜水艦と、救難飛行艇やヘリコプターなどの航空機合計14機とが大阪湾の真ん中あたりで集結して訓練を行う大規模なもの。また私たちが出発する天保山からは、自衛隊では最大の大きさを誇る、ひゅうが型護衛艦「いせ」も入港するとあって、前日から岸壁はとても賑やかでした。
天保山のマーケットプレイスがすっぽり隠れてしまうほど大きな船体の「いせ」に圧倒されながら、ふた回りほど小さめの「せとゆき」に乗艦。桟橋には「DD-131 せとゆき」と艦艇名が書かれた横断幕が掲げられ、体験航海に出かける乗艦者をお出迎えしてくれていました。わくわくしながら桟橋を渡り、私は生まれて初めて「護衛艦」に足を踏み入れました。
子供の頃から港の近くで育ったこともあり、フェリーや定期船に乗ったことは数多くあるのですが、護衛艦はそういった客船とは全く趣が違いました。
全体的にくすんだグレーの塗装、人が通るためには最低限のサイズで、慣れていない私たちにとっては昇り降りに苦労するぐらい急角度のラッタル(はしご)、そしてなによりも武器やそれに付随するレーダー類がありとあらゆるところに、所狭しと並んでいました。残念ながら居住区域の見学はできなかったのですが、寝る場所は狭い3段ベッドか2段ベッドで、寝がえりをうつこともできないぐらいのスペースなんだそうです。食堂へはお邪魔することができましたが、天井が低めなことにくわえ、と当たり前のことですが窓がないことで、少し窮屈に感じる空間でした。

「せとゆき」の前方には丸いドーム型をした「76ミリ速射砲」、後方には「シースパロー」という、まるでところてん突きのような四角い形をした対空ミサイルが搭載されています。どちらも訓練海域に行くまでの間に、どんな動きをするか実際に動かしてくださったのを見学しましたが、びっくりするぐらい静かに滑らかな動きでするすると向きを変える姿に驚きました。
また他の部分にも機関砲や魚雷、対艦ミサイル、対潜ミサイルなども搭載されていて、まるで動く(泳ぐ、と表現したほうが良いのでしょうか)武器のかたまり、といった様子。それを統制・管理する管制室や、船全体を統括する艦橋も見学させていただきましたが、こんなに大きなものが動くためには、とてもたくさんの人が連携しているのだと実感でき、感動すら覚えました。

訓練海域に着くと、各港から来た艦艇と合流。全ての艦艇が1列に並び、順に進む姿に見惚れているうちに、はたと気付けば2列縦隊へと隊形を変え、色んな艦艇とすれ違う形に。またすれ違う艦艇に乗った方々と手を振りあい、遠くに水平線が見えるその風景とあいまって、なんだか現実ではないような不思議な気持ちになりました。
潜水艦は海面から出ている部分に数名だけ乗組員の方が乗っている姿が見え、まるで映画の中のワンシーンのようでした。
そして「はたかぜ」とすれ違う際には、「はたかぜ」から空砲が発射され、その音の大きさに驚きました。ただ、煙が出るタイミングと音が聞こえるタイミングに結構なずれがあったので、近くにいるように見えた「はたかぜ」が、想像以上に遠くにいるのだと思うと、海の広さ、艦艇の大きさにただただ驚くばかりでした。
その後はヘリコプターが各艦艇の直上を旋回したり、飛行機が見学者に対し、まるで手をふりながら挨拶をするように翼を左右に振りながら飛来したりで、私を含む見学者のボルテージが最大に。
中でも、水上で離発着できる救難飛行艇のデモフライトも見せていただいたのですが、水しぶきをあげながらの着水と、再度水しぶきをあげながら発進する姿を見る頃には子供の頃に戻ったような気分でした。救難飛行艇は空を飛んでいる間は航空機として、着水後は艦艇として扱われるそうで、説明を担当されていた方が「次に飛来する『フネ』は…」と解説してくださったのがとても印象に残りました。

またずらりと並んだ艦艇の隊形が何度か変わり、そのキレイな直線や曲線を描きながら進む艦艇の列を、艦の先端に行ってみたり、後ろ側に行ってみたりしながら眺めていたのですが、海の上では線を引くわけにもいかないのに、美しい隊列を組めるのが不思議でなりませんでした。これも普段からの訓練の賜物だと思うと、驚きと感動の連続でした。
日本は海に囲まれた島国なので、外国からの脅威は海の向こう側からやってきます。そう考えると、外国からの脅威の最前線にいるのは海上自衛隊だということになるのかもしれません。そんな海上自衛隊の活動に少し触れられたことで、また一歩、自衛隊への理解を深められた気がします。
”みてみ隊(第12期) 丸山さんのレポートより”
8月27日に総合火力演習の教育演習を見学しました。
総合火力演習とは陸上自衛隊が行う演習の一つで、静岡県御殿場市の東富士演習場で実施されます。この演習は、陸上自衛隊が行うイベントの中で最も人気があり、戦車やヘリコプター、様々な火砲などによる実弾射撃を間近に見る事ができます。
総合火力演習は前段演習と後段演習にわかれており、前段演習では陸上自衛隊の主要装備等の紹介をします。紹介といってもただ言葉で紹介するだけではありません。実際に戦車やヘリや実弾射撃を目の前にしながらの紹介です。
次から次へと非常に沢山の車輛や大砲がでてきたので、このレポートでは前段演習で特に印象に残ったものを書いていきます。
前段演習で特に印象に残ったのは、特科火力の同時弾着射撃です。
この同時着弾射撃は空中で破裂する弾を用います。異なる火砲、異なる射距離で同時に弾着させるには高い技術力が必要とのことです。その射撃で行われた富士山の形を描くという非常に難易度の高い技に見惚れました。
もう一つ印象に残ったのは対戦車誘導弾でした。
対戦車誘導弾はその名の通り、敵の戦車を撃破する弾です。今回は3つの誘導弾の演習を見せてもらいました。その中でも特に興味を引かれたのが96式多目的誘導弾システムでした。そのシステムはテレビ画面によりミサイルを誘導、ミサイルは目標前で一時上昇して戦車上部の装甲の薄い場所に着弾するのだそうです。
すごい!!そんなことができるなんて!と技術の力のすごさにただただ感動しました。流石というか、前段演習すべてにおいて弾が的に命中していたのが素晴らしかったです。

前段演習の後は、目標地域を敵部隊の防御陣地と想定して諸職種協同での戦闘様相を展示する後段演習がありました。
後段演習はヘリでの偵察活動から始まります。
その後はヘリボン行動(ヘリコプターを用いて敵地などへ部隊を投入する戦術)やヘリからの砲撃があり、偵察警戒車、オートバイによる偵察活動が行われました。そのあと第一線部隊の攻撃が続きました。

後段演習は、前段演習で登場したオールスター集結という感じで、ノンストップで展開されていきました。その迫力にただただ圧倒されました。
ラストの砲撃の嵐はすごいの一言です。それ以外の言葉が出てきません。
生の迫力、音の大きさ、音の振動で空気が震える感じを体いっぱいに体感しました。一生忘れられない体験ができて大変よかったです。また、実際動く機体や車両、砲撃などを近くで見れて大変勉強になりました。
”みてみ隊(第12期) 江畑さんのレポートより”
先月の陸上自衛隊に続き、今回は航空自衛隊の小牧基地を見学しました。


先ず見学したのは、第5術科学校という管制官を養成する学校です。ここでは教育用の模擬管制塔があり、全国の空港を再現し、民間の旅客機・戦闘機の種類、天候や風向き、ブルーインパルスの曲芸飛行までも自由にコンピューターでシュミレーションできます。夜になると滑走路に誘導灯がつき、本当に空港を見ているようでした。
以前、グランドスタッフとして空港で働いていたことがありますが、飛行機一機を飛ばすのにはパイロット、整備士、フライトプランを作成するディスパッチャー、マーシャラー、セキュリティー等々、多岐に渡る職種があり、管制官と関わる機会も全くなかったので、他の職種がどのように仕事をしているのかを学ぶことができてとても新鮮でした。民間と併用している空港では、沢山行き交う旅客機と戦闘機を一人で全部同時に誘導するということに大変驚きました。
コンピューターを見ながら無線で話し、それぞれの機種の特徴をも考えながらの指示は目が回りそう・・・。 これを一人でこなすには、相当長い期間勉強して訓練を積まなければならないのだろうなと感じました。管制官がどのような教育を受けているのかを見ると、その他の職種についてももっと知りたいと興味が湧いてきました。


午後からは、C-130Hという輸送機の中を見学しました。私達が普段利用する飛行機は、交通機関としてのジャンボ機等の旅客機であり、このような輸送機を間近で見るのは初めてです。これは、震災の時にも物資輸送で活躍したとのことです。コックピットに入ると正面にも天井にも沢山の計器やレーダーがあり、何がなんだか分かりませんでした。旅客機のコックピットと同じように座席は狭いと感じました。操縦士の方は 「エコノミー症候群にはなりませんので大丈夫ですよ。」 と言っていましたが、この中で長時間操縦するには、やはり体力と忍耐力が必要だなと思いました。
次に、”救難最後の砦” と言われている救難教育隊について学びました。隊員の選抜は、一日にしてものすごい量の体力テストを受け、更に面接をして教育隊の学生になれるかの合否が決まるとのことでした。面接では、普段からしっかりと自分の意見を持っているかというところや、この仕事に対する熱意があるかどうかを見ているとのことです。

今年は50名の応募のうち合格したのは8名とのことで、これから約1年に渡り、空挺徽章やレンジャー徽章が胸に光る厳しい教官の下で、己の限界に挑む訓練が始まります。彼らの訓練の様子を収めたVTRを見ると、あの強靭な肉体を持った男性達が震え、泣きながら耐えています。
声の大きさ一つで現場では生死に関わる。ここで限界を経験しなければ人の命は救えない・・・。

この日は、実際に学生が訓練しているところも見学できました。教官は 「お前ら!腕立て1,000回だ!!」 と檄を飛ばすこともあると言われ、さっきまで輸送機に乗ってはしゃいで興奮していた私は、それを聞いて一気に気が遠のきました。自衛隊一、厳しいといわれている訓練の中では、辞めていく学生もいるとのことですが、この教官の厳しさは、命を守ることを考えると当然のことであり、隊員に対する愛情なのだと感じました。質問ができる時間があったのに、人命を救う仕事に携わる真剣な表情の彼らを目の前にして、頭が真っ白になり言葉が出てきませんでした。ただ、ただ、教官や彼らの気迫に圧倒されてしまいました。
管制官・輸送機の ”人命を預かる仕事”、救難教育隊の ”人命を守る仕事” に携わる隊員の使命感・優しさや人間味に触れて、とても貴重な経験となりました。
”みてみ隊(第12期) 桑島さんのレポートより”
6月10日、バスで今津駐屯地へ移動。2日間の研修の始まりです。


まずは駐屯地内の食堂で昼御飯。メニューは餃子バーグ、しゃきしゃきサラダ、野菜炊き合わせ、ふかひれスープ、アロエヨーグルト、クエン酸飲料で合計1,046カロリー。美味しくてバランス最高、そして量が多い!隊員の方たちは毎日厳しい訓練をされているので、毎日これ位きちんと食べなければいけないのでしょう。
食後に、広報室で戦車の概要などを説明して頂きました。昭和29年に自衛隊となってから戦車は4種類あり、すべて日本製です。昨年にお披露目された10式戦車が一番最新ですが、私たちは今も現役である74式戦車に試乗させて頂きました。
戦車の上に簡易な籠のような乗り場を設置して頂き、いざ試乗。すごい音と共にエンジン起動… したかと思えば、すぐに急スピードで発進!振り落とされないように、必死で棒にしがみつきました。直線ではかなりの速さだったため、戦車はのろのろ動くもの、という私の固定観念は崩れ去りました。(ちなみに時速55km程出るそうです。)
史料館では、戦時中の遺品が数多く展示されており、現代人には真似の出来ないような達筆な文字の遺書には、家族や日本のためにと内容が書かれていました。私たちよりも年下の人間が、死を目前にして伝えようと書き残した言葉です。今津駐屯地に行かれた方は、是非こちらの史料館(遺徳顕彰館)へも足を運んで頂きたいと思います。

夕食後は、
翌日は、朝6時の起床ラッパの音で起床。外では戦車の走る音が響きます。「ここは駐屯地の中だった」と、朝一番の寝ぼけた頭で実感しました。朝食を終えれば、徒手格闘の時間です。もっとも基本的な突き・打ち・蹴りの3種類をレクチャーして頂きました。左は「エイ!」、右は「ヤー!」の掛け声と共に、突く!打つ!!蹴る!!! 狙うのは顎、頬、股間!日頃の運動不足から筋肉痛になりましたが、痴漢に会った時には是非とも役立てたいです。
次に迫撃砲による射撃訓練を見学。大きな音と衝撃は昨日の照明弾と同じですが、違いは2,300m離れた丘に着弾し爆発。その音が3〜4秒後にこちらに届くことです。張り詰める空気の中、遠くまで響く指示の声と、その基本動作の声。最初のうちは精度を高めるためか、一発ずつ時間をおいて発射していましたが、訓練を繰り返す内に命中率が上がっていき、最後は20秒おきに3か所からの砲撃。丘は爆発後の土煙で、全く見えません。こんなものが命中したら… と、想像するだけで怖くなるような威力でした。

その後の、陸曹候補生(※3等陸曹へ昇任を予定する陸士長のこと)による普戦協同訓練は圧巻でした。昨日の戦車にはゴムが巻きつけられ、雑草と木の葉でカモフラージュされています。歩兵の隊員さんは顔にペイントを施し、ヘルメットにもこれまた雑草。林の中に歩兵部隊が潜んでいることを聞いても、何処に誰が居るのか見ても分からない。戦車も、遠目では区別が付きません。

まず、敵戦車による砲撃の後、林の中から味方戦車が反撃、発進。同時に歩兵が散らばり、周辺を制圧していきます。辺りに漂う緊張感に言葉も出ません。一糸乱れぬ攻撃で、敵陣地を見事制圧!拍手が沸き起こりました。
今回の訓練を見学する前に、「自衛隊の主たる任務」について説明がありました。災害派遣は従たる任務であり、本来の任務は「侵略に対する防衛」にあると。言葉で聞いていただけでは実感が湧きませんでしたが、実戦さながらの訓練を拝見して、ようやく理解出来ました。国防のための訓練をこの目で実際に見れたことは、とても素晴らしく貴重な体験だったと思います。
”みてみ隊(第12期) 黒岩さんのレポートより”
女性防衛モニターとして、初めての活動は「防衛講話」ということで、3つのことについて勉強をさせて頂きました。

まず一つ目は、「自衛隊の概要」です。概要のお話で一番印象的だったのは、全国に自衛官の方が約23万人もいるということです。なぜなら、47都道府県で単純に割り算をしても、1都道府県につき約5,000人も自衛官の方がいるということになるからです。この数字からも、私たちが思っている以上に自衛隊で仕事をしている人って実は多いんだという印象が残りました。
そして、その割には自衛隊について、あまり情報が無いのはなぜだろうというのが、素朴な疑問として残りました。このことについては、また次の機会にでもお伺いできればいいなと思いました。

二つ目は、「東日本大震災における自衛隊の活動」です。地震が発生してから、連日、TVニュースで自衛隊の活動を目にする機会は多くありましたが、今回の東日本大震災での活動は、自衛隊にとっても「初めて尽くし」であったということを知りました。
統合運用体制での災害派遣、予備自衛官・即応予備自衛官の災害招集、日米共同活動など、ニュースでは行方不明者の捜索や、支援物資の運搬などの見える部分ばかりがピックアップされていたため、自衛隊がどういった組織体制をとり、どのような流れで災害派遣を行ったのかを学ぶことができたと思います。また、『自衛隊は「人の力」、「機動力」、「自己完結性」をもっている組織です。』 というお話がありましたが、災害派遣時において大事なものは本当にその3つだと感じました。

三つ目は、「自衛隊の災害派遣に対する取り組み」です。自衛隊が災害派遣の際にどういった機能・役割を果たすのか、どのような機材を持っているのかについて学ぶことができました。最後に 『自衛隊の災害派遣活動とは "First in Last out" である』 というお話がありました。この言葉には「自衛隊は災害派遣時は、現地に一番最初に入り、一番最後に出る」という意味があるそうです。
終わりがいつかわからず、先が見えないということはどのような状況・仕事においても大変なことだと思います。それだけ大変な任務を担っている自衛隊という組織について、感謝の気持ちを持つとともに、もっと知りたいという気持ちになりました。
次回の活動でも、まだ知らない自衛隊の一面をたくさん学びたいと思いました。
”みてみ隊(第12期) 田村さんのレポートより”