ぐんま観光特使の新・群馬紀行
第16回 尾瀬ヶ原とその周辺の景観(その2)

 皆様、こんにちは。
天候不順の日が続き、なかなか登山日和の日が訪れませんでした。

 

 さて、新・群馬紀行第16回は、前回に引き続き尾瀬ヶ原とその周辺の景観(その2)として、日本百名山の「至仏山」(しぶつさん)をご紹介します。

 

 標高2228mの至仏山は、同じく日本百名山で標高2356mの「燧ヶ岳」(ひうちがたけ)とともに尾瀬を代表する山で、尾瀬ヶ原を挟んで向かい合っています。写真は、上越国境に位置する谷川岳(群馬紀行第26回参照)から北東方向を眺めたところですが、似たような山容の至仏山(右手前)と燧ヶ岳(左奥)が前後に並んで見えます。

 


 至仏山への登山口は、尾瀬ヶ原への入山口となる標高1591mの「鳩待峠」と尾瀬ヶ原の西端に位置する標高1400mの「山の鼻」にあり、前者は西に進んで北に大きく回り込む比較的なだらかな登山道、後者は急斜面を直登する上り専用の登山道となります。写真は、鳩待峠から見上げた至仏山(右)と前衛峰の小至仏山(左)で、今回はここから山頂を往復しました。

 


 至仏山の名は、仏教に由来するものではなく、登山道が拓かれていなかった頃、渋沢(山麓を流れるムジナ沢の別名)沿いに登ったことに由来するという説があるそうです。登山の前半は、視界のない樹林帯の中を緩やかに登りますが、途中、南東方向の視界が開けた所があり、日光連山を望むことができます。写真左は、日本百名山で関東以北の最高峰(2578m)の日光白根山(同第24回参照)で、右は錫ヶ岳(2388m)です。

 

 登山口から山頂までは約4.5q、約3時間の道のりですが、樹林帯を約1時間ほど登った概ね中間地点に「原見(はらみ)岩」という平らな大岩があります。その名のとおり、正面に尾瀬ヶ原や燧ヶ岳を見渡すことができるので、ゆっくり座って休憩するのには格好の場所となっています。

 

 

 

 原見岩の先から再び樹林帯に入り、北に大きく回り込むんで「オヤマ沢」の水場を越えると視界が開け、尾根上に「オヤマ沢田代」という傾斜湿原が現れます。正面に小至仏山、右手に尾瀬ヶ原や日光連山、左手に谷川連峰を見渡すことが出来る展望の良い場所で、標高は2000mを越え、湿原は紅葉が始まって茶色く色付いています。

 

 


 再び樹林帯に入り笠ヶ岳への登山道を左に分けると、次第に岩場の道となります。燧ヶ岳が数万年前の火山噴火でできた山なのに対し、至仏山は2億5千万年以上前に地球深部にあるかんらん岩が隆起してできた尾瀬では最古の山です。かんらん岩は地表に現れると水と反応して蛇紋岩(じゃもんがん)となり、至仏山を覆っていますが、写真のとおり、蛇紋岩は表面がツルツルで黒光りしており、非常に滑りやすいので細心の注意が必要です。


 蛇の皮のような模様があることから名付けられた蛇紋岩は、マグネシウムの含有量が多い超塩基性の岩石で、溶け出したマグネシウムが植物の生理機能を妨げるため、至仏山は周辺の山に比べ森林限界が非常に低いのが特徴です。写真は、ハイマツと蛇紋岩で覆われた標高2162mの小至仏山の山頂で、狭くて足場が悪いためゆっくり休憩することは出来ませんが、眼前に至仏山が迫り、360度の展望が広がります。

 

 東側の鳩待峠や尾瀬ヶ原から見上げる至仏山は、なだらかで温和な山容をしていますが、西側のみなかみ町では別名「岳倉(たけくら)山」(倉は岩壁の意)と呼んでいるとおり、頂上付近の西側は岩壁の急斜面となっています。小至仏山から至仏山へは30分程度で、写真は、頂上直下の最後の登りです。

 

 


 小至仏山と同じようにハイマツと蛇紋岩が折り重なる標高2228mの至仏山の山頂は、小至仏山より広いのですが、二つの登山道から次々と登ってくる登山者を迎えると、それほど余裕はありません。また、西側は垂直に切れ落ちているので注意が必要ですが、小至仏山と同じく、遮るものがない360度の展望が広がります。

 

 


 写真は、山頂から箱庭のような尾瀬ヶ原を見下ろしたところですが、湿原に点在する地塘や湿原を分ける拠水林の様子がよく分かります。正面に聳える燧ヶ岳の右手の裾野付近には、標高1665mの「尾瀬沼」(同第66回参照)の水面が僅かに見えています。

 

 


 写真は、山頂からの帰路、紅葉が始まった山頂付近の斜面から南方向を俯瞰したところです。手前のピークが小至仏山で、その右手後方には、日本百名山の武尊山(ほたかやま。2158m)が大きく聳え、正面後方に同じく赤城山(1827m)と左手後方に同じく台形状の皇海山(すかいさん。2144m)が見えています。この日は、武尊山の上方に富士山を見ることができました。

 

 

 写真は、南西方向を俯瞰したところですが、1枚目の写真の逆方向から写したものです。左手の鋭峰は標高2058mの笠ヶ岳、右手下方に奈良俣ダムが見え、中央奥に谷川岳と一ノ倉沢の絶壁に残る雪渓が確認できます。奈良俣ダムは、平成3年に利根川支流の楢俣川に建設された堤頂高158mのロックフィル式(岩石や土砂を積み上げて建設する方式)のダムで、利根川水系8ダムの中では最も新しいものです。

 


 写真は、東方向を俯瞰したところですが、前回ご紹介した周回コースが一望できて、各地点の標高差や位置関係がよく分かります。右下に見える鳩待峠の駐車場から樹林帯を左方向に登った山上の茶色い所が横田代やアヤメ平の湿原、樹林帯を燧ヶ岳の麓の方向に下った所が尾瀬ヶ原の見晴、至仏山の麓にある山の鼻は見えていませんが、尾瀬ヶ原を手前方向に横断し、再び樹林帯を右方向に登って出発点の鳩待峠に戻りました。

 

 

 写真は、周回コースのうち中原山付近を拡大したものですが、手前が同1860mの横田代の湿原で、なだらかな中原山のピークを越えて左に回り込んだ所がかつて天上の楽園と呼ばれた同1969mのアヤメ平の湿原です。背景は栃木県境の山々ですが、湿原との谷間の遙か下方に戸倉から尾瀬沼に向かう会津街道(同第66回参照)が通っています。

 

 


 下山後、尾瀬観光のターミナルとなっている戸倉を散策しました。写真は、尾瀬を訪れる人の交流の場で日帰り温泉施設もある村営の「尾瀬ぷらり館」と「戸倉関所」のレプリカです。戸倉関所は、沼田城主・真田信之が、関ヶ原の前夜、大坂方の会津・上杉氏に備えるために、会津街道の整備と併せ急ぎ設置したもので、三国街道の「猿ヶ京関所」とともに江戸時代を通じて関東の北の守り固める重要な関所でした。

 

 (参考図書等:「尾瀬」(山と渓谷社)、「尾瀬」(JTB)、「群馬県の山」(山と渓谷社)、「ぐんま百名山」(上毛新聞社)、観光パンフレット、現地の説明板等)