ぐんま観光特使の新・群馬紀行
第9回 桜の名所(その3)

 

 皆様、こんにちは。

 先月、熊本県熊本地方を震源とする地震では大きな被害が生じました。被災された皆様のお見舞いを申し上げます。

 

 さて、新・群馬紀行第9回は、桜の名所(その3)として、下仁田町、富岡市、安中市にまたがる妙義山とその南麓に位置する甘楽郡下仁田町上小坂の「県立森林公園さくらの里」をご紹介します。

 

 「妙義荒船佐久高原国定公園」の北東に位置する妙義山は、上毛三山の一つで、南側の白雲山、金洞(こんどう)山、金鶏(きんけい)山の三峰からなる表妙義と、北側の烏帽子(えぼし)岩、谷急(やきゅう)山などからなる裏妙義とに分かれており、奇岩怪石が林立する山容は、耶馬溪(やばけい、大分県)、寒霞渓(かんかけい、香川県)と並んで日本三奇勝にも数えられています。

 

 


 一般的には表妙義を妙義山と称し、その最高峰は白雲山のピークの一つである相馬岳の1104mです。山頂を縦走する登山道は上級者向けですが、白雲山麓の「妙義神社」(群馬紀行第44回参照)と金洞山麓の「中之嶽(なかのたけ)神社」を結ぶ「表妙義自然探勝路(中間道)」と金洞山麓の石門群を巡る「石門巡り」は一般向けです。写真は、石門巡りの登山道入り口付近です。

 

 


 この石門群付近は、かつて「妙義のおばあさん」として登山者に親しまれていた「柴垣はる」という人が住んでいた民有地で、昭和29年に県に寄付され、現在は約32ヘクタールの「県立妙義公園」となっています。写真は、巨大な「第1石門」ですが、石門の手前で道が二つに分かれており、シーズン中は大渋滞となるため、ここから先は一方通行となります。

 

 

 妙義の名は、後醍醐天皇に仕えた権大納言長親卿がこの山を眺め、明々巍々(めいめいぎぎ、はっきりありありとしている様)たる山容から名付けた「明巍」が変化したものだとも伝わります。岩場の上にある小さな「第2石門」は、「かにの横ばい」「たてばり」「つるべさがり」という鎖場を慎重に上下して潜ります。

 

 

 行き止まりになっている「第3石門」を左に分岐し、登山口から約30分ほどで「第4石門」のある広場に着き、ここで、妙義神社と中之嶽神社を結ぶ表妙義自然探勝路に合流します。広場からアーチ状の石門越しに見える「大砲岩」(左)と「ゆるぎ岩」(右)の景観は、格好の被写体となります。

 

 


 妙義山は、海底火山活動で隆起した海底堆積物の上に約1000万年前の火山活動による火山性堆積物が降り積もり、長年による風化や浸食によって岩石の堅い部分が残って特異な山容が形成されました。写真は、第4石門の肩の部分からの眺めですが、「鏡岩」(左)や「ローソク岩」(右)などが林立し、その美しさはいつまで見ていても見飽きないことから「日暮らしの景」と呼ばれています。

 


 広場の先にある「大砲岩」「胎内くぐり」「天狗のひょうてい」などの奇岩怪石は、鎖を頼りに往復することができますが、切り立った狭い岩場を通過するので注意する必要があります。写真は、石門群を見渡すことができる「天狗のひょうてい」からの眺めですが、その名のとおり天狗が空の上で評定するのにぴったりのロケーションです。岩場の先の下方斜面に「さくらの里」が見えています。

 

 

 

 復路は、表妙義自然探勝路を中之嶽神社へ向かって下りました。金洞山のピークの一つである中之岳の麓に鎮座する「中之嶽神社」は、隣接する「轟(とどろき)岩」と呼ばれる巨岩を御神体としていることから拝殿のみで本殿を持たない珍しい様式となっています。また、境内には、高さが20mもある日本一の大黒様がありますが、一般的な木槌ではなく剣を持つ珍しい姿で、やる気、元気が出るパワースポットとしても有名です。

 


 「県立森林公園さくらの里」は、表妙義の山腹を横断する通称「上毛三山パノラマ街道」を挟んで石門群の反対側の斜面に広がり、約47ヘクタールの園内に45種類約5000本の桜が植えられています。桜の種類によって開花時期が異なるため、比較的長く花見が楽しめるようです。

 

 

 

 高低差のある広い園内には、芝生広場、四阿(あずまや)、展望台などを結ぶいくつもの道筋があります。岩場の上を慎重に行動する石門巡りとは趣を変えて、妙義山を仰ぎながら、歩きやすい山道を軽快に行動して花見をすることができます。

 

 

(参考図書等:「群馬県の山」(山と渓谷社)、「群馬の山歩き130選」(上毛新聞社)、「ぐんま百名山」(上毛新聞社)、下仁田町HP、観光パンフレット、現地の説明板等)