ぐんま観光特使の新・群馬紀行
第6回 神成山

 皆様、こんにちは。
この冬は暖冬と言われていますが、大寒を過ぎて寒さが増してきました。

 

 さて、新・群馬紀行第6回は、富岡市の「神成山」(かんなりやま)をご紹介します。

 神成山は、標高328mほどの里山ですが、東西約3qの稜線に9つのピークを持つ九連峰で別名「富岡アルプス」とも呼ばれ、ちょっとした山岳縦走気分が味わえます。写真は、山の南側を走る上信越自動車道の方向から写したものですが、横一杯に連なるのが神成山で、右後方には榛名山、左後方には妙義山が見えています。

 


 主な登山口は山の東西両端にあり、東端の登山口の駐車場となる富岡市宮崎の「宮崎公園」まで、東京郊外から約105q、上信越自動車道の富岡IC経由で約1時間40分ほどです。園内には、現存する民家の中で日本最古の建物と考えられる「茂木家住宅」(群馬紀行第44回参照)があります。登山口は、公園の西500mほどの距離にある富岡市立西中学校の裏手にあります。

 


 東端の登山口の標高は約240mなので、ここと各ピークとの標高差はあまり感じません。暫く進むと「神成城跡」の標識がある小広い場所に到りますが、戦国時代に武田氏に仕え、この辺りを支配していた小幡氏の支城の一つで、西中学校付近には平時の居城であった宮崎城(同第31回参照)があり、神成城は戦時の詰城として利用されたようです。

 

 


 第2ピークの「龍王山」(321m)は、かつて神成城の物見台があった所だけに、神成山一の展望が得られます。写真は富岡市の中心部がある東方向ですが、約5q先の世界遺産「富岡製糸場」の巨大な繭倉庫が見えています。手前の青い屋根の建物は、登山口のある西中学校です。

 

 

 

 第4ピークの「旧宇芸(うげ)神社跡山頂」は、麓にある宇芸神社の旧社があった所で、九連峰の概ね中央部に位置します。写真は南方向ですが、正面に稲含山(新・群馬紀行第4回参照)を望み、眼下には上信越自動車道、上信電鉄、国道254号などが東西に走っています。

 

 


 第9ピークの「吾妻山」(あずまさん、328m)は九連峰の最高峰で、ここから西端の登山口がある麓の「新堀神社」までは急勾配の道を下ります。南西方向の眺めが良く、下仁田町や南牧村の特徴のある岩山が良く見えます。

 

 

 


 新堀神社から宮崎公園までの復路は、神成山直下の麓の道を辿ります。山の南側は、断崖で鋭く切れ落ちているので、各ピークから見下ろすと標高差以上の高度感があります。一方、麓から間近に見上げる断崖状の山容には迫力があります。

 

 

 

 復路の中間辺りに鎮座する「宇芸神社」は、672〜686年頃に創建された由緒ある神社で、約3q東にある富岡市一ノ宮の「貫前(ぬきさき)神社」(群馬紀行第44回参照)を一の宮とする「上野十二社」の一つ(十二の宮)に数えられます。

 

 


 宇芸神社前で信州姫街道の旧道に合流します。「信州姫街道」(同第36回参照)は、中山道の脇往還で、中山道の本庄宿から分かれて藤岡、吉井、福島、富岡、一の宮、宮崎、南蛇井(なんじゃい)の各宿を通り、下仁田宿で西牧道と南牧道に分かれて信州に入りました。この辺りには宮崎宿が成立し、砥石問屋などが置かれて賑わったようです。

 

 

 写真は、神成山を背景に宇芸神社の参道を横切る「上信電鉄」です。高崎と下仁田を結ぶ上信電鉄は、明治30年に開業した「上野鉄道」(同第37回参照)がその前身で、生糸、繭、砥石、石灰石、鉄鉱石などの信州姫街道沿いの産物を輸送してこの地域の経済発展に大きく寄与しました。

 

 

 (参考図書等:観光パンフレット、現地の説明板等)