注意:本ページは、ブラウザによって文字の表示が重なることがございます。必要に応じて、適切な文字サイズに設定して下さい。
幕僚、左から2番目が本人
しかし、「何がしたいのか」と考え続けることによって自分は大きく成長できたと思うし、この学校の目的である「幹部自衛官となるべき者を育成する」ために、何をしなければならないのかを理解することができた。
4年間の思い出は数多くある。しかし、防大生活4年間の毎日を通して共通する思い出は、「何がしたいのか」に端を発する自問自答を繰り返してきたことであり、「幹部自衛官になる」という答えに行き着く努力をしてきたことである。
防衛大学校で4年間を過ごした思い出と言われても、それを紙面にまとめることは非常に難しい。それは何故かと問われれば、私のこの4年間は数々の印象深い思い出に彩られ、たかだか数百字で語りつくせるものではないからであります。嗚呼、かようなことを書いているうちにもう字数がなくなってきたではありませぬか。
前置きはこれくらいにして、そろそろ本題に入らせていただきましょう。一学年の頃はつらくて何度もやめたいと思ったこの学校ですが、4年が過ぎ卒業が迫った今となっては、ここで経験したすべての思い出が不思議と目頭をあつくさせるのであります。楽しい、つらい、悲しい、様々な感情をその時々に抱いてきましたが、今私の胸に去来するその何かは、私のこころを温かく、ほかほかする気持ちにさせてくれるのであります。もしかしたらこれを青春と呼ぶのではないのでしょうか。
この4年間は1日がとても濃密で、あっという間に過ぎてしまいました。後輩たちには、この長いようで短い4年間を今自分ができることを精一杯やって悔いがないようにしてほしいと伝えていきたい。そして、私はここでしか経験できない思い出を胸に、卒業しても感謝の気持ちを忘れず、絶えず努力を続けていきたいです。
防大ホームページトップへ戻る
防衛大学校は、思い出には事欠かない場所である。四季のそれぞれに応じ、学年のそれぞれに応じ、学生は多くのイベントに全力で臨む。学校行事としては、遠泳やカッター、開校祭など様々ある。ですが、私の4年間の中で最大の思い出は、出身地も経歴も全く違う人々が共に生活する「部屋」にあった。
1学年の時、部屋の4学年は決して手の届かない存在に思えたものであった。3学年は力強く4学年をサポートし、2学年は隅々まで気を配り直接的に1学年の指導に当たっていた。思えばこの時作られていた各学年のイメージを追いかけて、私は4年間を過ごしてきた。1つ上の学年に上がり、名札の色が変わるたびに、あの時の部屋の上級生のようになったのだなという感慨とともに、自分はあの時の上級生のようになれているだろうかと自問自答をしていた。
私にとって防大での4年間の思い出は、合気道部で過ごした日々です。それまで「合気道」という武道があることすら知らなかった私ですが、「勝ち負けがない」という不思議な魅力に惹かれ、続けるうちに自分でも驚く程合気道が好きになりました。下級生の頃は、ただひたすらに上級生を追いかけ、稽古に打ち込み、そして上級生になったとき、ここで貰ったものをひとつでも後輩に返せるように全力を尽くそうと、合気道部員としての自分を最優先することに決めました。正しい選択だったのかどうかは分かりませんが、この4年間を通じて、合気道に対して誠実でいられたこと、また良き先輩や後輩に恵まれたことは、私にとって最大の思い出となりました。その全てに感謝しています。
防大を卒業し、幹部候補生学校、また、その先の自衛官としての道を歩み出すことに不安も多くあります。けれど、この4年間で経験したこと、出会った人、苦しんだこと、悩んだこと、そして得たものはきっと私の骨となって私を支えてくれると信じ、これからも苦しみ、悩み続けることがあってもこの経験をもとに乗り越えていきたいと思います。
防衛大学校資料館では、「小原台の歴史概観〜先史から防衛大学校建設までを辿る〜」を特別展示として、次のとおり資料館内に特設コーナーを設け展示します。
是非一度ご覧下さい。
1 展示期間:24年3月中旬〜当分の間
2 展示場所及び展示内容
(1) 資料展示室左側:特設展示コーナー
先史時代の小原台の創生から、古代、中世、近世(小原台砲台群・防大建設 〜現在)までの小原 台を中心とした歴史を紹介するもので、展示資料の作成は本校の教授・准教授・講師等による作業部会 を設置し、各部会員の編纂により作成した、いわゆる「手作り」の資料です。
(2) 玄関左側(元鞄等置場):学校保有資料展示コーナー
本校保有の防大の歴史を偲ばせる写真等資料を展示します。
この防大での生活は、勉学・訓練・学生舎・校友会といったどの場面においても、理想を追求できるため、無駄な時間や経験はありませんでした。57期生以下やこれから入校する後輩の皆さんには、二十代の貴重な時期を後悔のないものとするためにも、日々の生活に全力を尽くして、よりよい防大生活を送ってもらいたいと思います。
最後に卒業するに当たり、海上自衛隊の幹部候補生学校での生活に対し、希望と同時に不安も持っていますが、今後はより一層自己の研鑚に励み、海上自衛官として日本に貢献できるように頑張ります
今、自分は4学年として赤い名札をつけている。かつて永遠に手の届かない存在と思っていたあの日の部屋長に、私はなっている。思い出の中にあるその姿は、これからも私の憧れであり続けるのだろう。そして、自分は追いかけられる背中になっているのだろうか。
憧れの背中に追いつけるように、後輩からの憧れの存在であれるように、これからも努力を続けていきたいと思う。
また、3学年時の夏季定期訓練でお世話になった運用訓練幹部の方や、4学年時の訓練担当指導教官など、尊敬する方と多く出会えたことで、理想の幹部自衛官像を具体的に描くことが出来ました。
このように、将来の勤務のみならず、一人の人間として尊敬出来、理想となる方々との出会いは、人生において大きな意味を持ち、今後の成長に繋がって行くことと思います。そして、それを自分の目指すところとして、いつまでも見失わずに追い続けて行きたいと思います。
今までお世話になった方々への感謝の気持ちと新たな出会いへの期待を胸に今後も頑張って行きたいです。
防大かわら版バックナンバー
この印象深い2つの経験はとても貴重な経験でした。大隊単位や校友会単位の広い視野を養う事が出来たと思います。また、自分の決断一つで多くの人に影響が及ぶ状況での決断力が身に付きました。さらに指揮官とはどうあるべきか、自分の行動による周りへの影響、物事を決定するのは指揮官であり責任も全て指揮官が持っており、指揮官は孤独であるという事を考えさせられました。
将来幹部自衛官になる身にとってこれらの経験はとても貴重なものであり、必ず今後の糧になると思います。今後はこの経験を糧とし、しっかりとした考えを持った幹部自衛官になるべく精進していきます。
防大4年間で最も印象に残っている事は、中期第4大隊学生長をさせて頂いたことと、校友会において硬式庭球部の主将を務めた事です。
大隊学生長として、「実践躬行」を勤務方針に掲げ、大隊の先頭に立ち大隊員全員を指揮してきました。また、少しでも気を抜けば大隊員全てがバラバラになってしまう事を考慮し、大隊の全ての事を把握しそれにどう対処すべきか考え速やかに行動しなければなりませんでした。
校友会の主将に関しては、「土台作りからの飛躍」を運営方針に掲げ、前年度関東理工科リーグ4部残留という結果を引き継ぎ、1年間昇部目指して邁進しました。如何にすれば昇部出来るのか、部員がやる気を持って楽しく校友会に参加できるかを常に考えながら指揮してきました。しかし、結果としては前年度と同じく4部残留という結果でした。
防大4年間を思い返すと、それまでの生活とのギャップに驚いた学生舎生活に始まり、大学から始めたバスケットボール部での校友会活動や弐大隊一筋で戦ってきた競技会など様々なことがありました。それぞれに多くの思い出がありますが、その時々に沢山の人たちと出会うことが出来たことが私の一番の思い出です。
特に印象に残っている思い出は、定期訓練時に一般部隊から支援に来られる隊員の方々との出会いです。なかでも、2学年時の夏季定期訓練で来て下さった隊員の方々は、陸上要員になったばかりで知らないことだらけの私たちに、それまでの部隊経験を通じて学んだ広範な知識・技能を課業内外を問わず熱意をもって指導して下さったり、悩みも親身に聞いて下さりました。その出会いは、それ以降の防大生活を大きく変えるものであり、陸上自衛隊の魅力や楽しさも知ることが出来ました。そして、この人たちのようになりたいと思うと同時に、いつか部隊でお会いした時に恥ずかしくないよう、より一層勉学や訓練に励まなければならないと感じました。
卒業を目前に控えた今、私が防大を振り返ってみて思うことは、非常に貴重な経験をさせてもらったということです。具体的には、カッター・断郊といった競技会や遠泳や護衛艦実習といった訓練など数多くあります。その中でも、米国への海外派遣や毎年行われるICC(国際士官候補生会議)で行った海外士官候補生のエスコートや、中期学生隊幕僚として勤務させてもらった経験が最も思い出深いです。海外士官候補生と話すことで、ライバルとなる海外士官候補生の水準を実感することができました。また、幕僚として勤務したことにより、学生隊という一つの部隊を運営することの難しさを知ることができました。
防衛大学校は何を目的とした学校か。答えは、「幹部自衛官となるべき者を育成すること」を目的とした学校である。思い返せばこの4年間、ずいぶんと世間離れした事を体験してきた。8キロ遠泳や射撃訓練、それに戦闘機の体験搭乗等である。防衛大学校での団体生活もまた、世間離れしている。四六時中、上級生・同期・下級生と寝食を共にするのである。唯一プライベートゾーンと言えるのは、自分のベッドだけと言えるだろう。
この様な世間離れした所で過ごした4年間、種々様々な事象に対して「何がしたいのか」という疑問を持ち、それらを考え続けたことが強く印象に残っている。「この校則はいったい何を目的としているのか」、「この人(指導官・上級生・同期・下級生)は何がしたいのか」、「自分はここで何がしたいのか」等々。これらの疑問に、その都度自分なりの答を出し、行動し、そして結果を反省することを繰り返してきた。勿論辛いことも、答が見つからず中途半端になってしまうこともあった。
しかし、そのような日々も永遠には続きません。私も3月には卒業し、この国を守るヒーローとなるべく、階級章をつけます。私はまだ、この階級章の重みを実感できませんが、この4年間が私に教えてくれたのは、その階級章がどれくらい重いのかということだったのではないでしょうか。私が何度も逃げたいと思ったつらいこと、苦しいこと、それは将来いつ来るとも知れないピンチを乗り切ることができる、ヒーローになるための試練だったのではないかと感じる今日この頃です。
防衛大学校卒業を目前に控え、この4年間を振り返って楽しかったことやつらいことを振り返ると、常に思い出すのは同期や上・下級生、教官、指導官など自分を支えてくれた方々のことばかりです。防衛大学校は、人との繋がりを強く感じられる場所であったと感じています。
自分が所属する組織の中で目標実現に向けて努力するには、必ず誰かの助けが必要であることは、防衛大学校の学生は皆、身を持って経験していると思います。私も訓練、校友会や勉学などで多くの人々の協力を得ることができ、充実した学生生活を送ることができました。
今まで私を支えてくれた方々には、とても感謝しています。特に、私は同じ中隊となった今の1学年に対して感慨深いものを感じています。自分の入校時の姿と重なると同時に、後輩たちから多くのことを学びました。その結果、4学年時の1年間で自分はより一層成長できたと実感しています。
前列左から3番目が本人
嗚呼、我が青春の防衛大學校 4学年 芳田 雄貴(京都府 洛星高校)