防大かわら版VOL.78

2017年01月23日

防大かわら版ロゴ

後期学生隊学生長としての抱負

4学年 池上 好古 県立横浜修悠館高等学校(北海道出身)

後期学生隊学生長を拝命した池上好古学生です。近年、学生間指導が見直され、より学生の自律を尊重するものへと移行しました。一方最近の防大生はだらしがないとのご指摘をよく頂きますが、これではいけません。我々防衛大学校学生はそのあるべき姿を追求する責任があります。そこで私の勤務目標を「紳士、淑女たれ」と致しました。これは初代学校長槇智雄先生のお言葉から拝借しましたが、現在の防衛大学校学生が意識すべき核心をついていると考えます。前期学生隊学生長、工藤学生の下で定めた学生隊の年間目標である「背筋を伸ばせ」を引き続き意識し、学生一人ひとりが我々に課された使命を自覚し、凛とした士官候補生を目指して日々の勉学・訓練に励んでいく所存です。私自身のお話をさせて頂きますと、陸上自衛隊高等工科学校を卒業後防衛大学校へ進学致しました。また、3学年時には米国陸軍士官学校へ約半年間留学の機会を頂きました。学生は集団生活の中で周囲との同調を強く意識し、ともすれば付和雷同しがちですが、これまで貴重な経験を積ませて頂いた私には、得られた教訓を反映する責任があると自負しております。今回3か月間という短い期間ですが、大変貴重な経験をさせて頂くことになりました。学生の代表として学生隊を率いていくと同時に、防大生のあるべき姿を追求し国民の皆様のご期待に沿えるよう学生一丸となって努力致します。

平成28年11月5日全日本学生銃剣道大会準優勝 (右端が本人)

冬季定期訓練参加の所感

3学年 佐藤 駿竹 私立早稲田高等学校(東京都出身)

12月、先の大戦の激戦地のひとつ、硫黄島に降り立った。冬だというのに暖かく、気候だけでも本土との違いを痛感させられた。冬でも暖かいのなら、先人達が壕を掘った夏場は、この上なく暑かったに違いない。研修が始まり、当時の爪痕を残す多くの史跡を巡った。摺鉢山、海軍砲台、陸軍トーチカ、海軍トーチカ、米海兵隊の上陸した砂浜、陸海軍の地下壕。どの史跡もまるで昔からずっとそこにあったかのようにひっそりしており、史跡をみると多くのことが分かってきた。海軍トーチカは、鉄筋の入った立派なコンクリートで作られているが、陸軍のものは石の間にセメントを詰めたように見える程度のものであり、かろうじてそのあとを遺していた。地下壕の入口には弾痕のあとがあり、そこで熾烈な戦闘が行われていたのだろう。米軍の猛爆撃に耐え、ゲリラ戦による持久戦を可能にするため掘られた、迷路のように入り組んだ地下壕は、深く狭くそして暑い。天井にはピッケルの跡が生々しく残り、先人一人一人の血と汗のあとを遺す。彼らはこの地で祖国を、遠く離れた家族を想いながら散ったのだ。彼らの死を無駄にしてはならない。この思いを忘れず勤務に臨もうと誓い、硫黄島を発った。

慰霊をする学生(中央が本人)

3学年 黒栁 朋宏 県立香住丘高等学校(福岡県出身)

12月、3学年冬季定期訓練として硫黄島研修が行われた。硫黄島は、一般の人はもちろん、自衛隊員であってもほとんど訪れることができない島である。私は、防衛大学校学生として硫黄島で研修できる機会を与えられたことに名誉と責任を感じながら研修に参加した。私は、実際に戦闘が行われ、未だに遺骨や武器装具の残骸が残されている硫黄島に、輸送機から降り立ち、足を踏み入れた瞬間から空気が重くのしかかったような感覚に陥った。各戦跡等については、事前に戦史や資料で学んでいたものの、現地でしか味わえないことも多く、さらに想像を遥かに超えていた。また、各戦跡において献水と黙祷をしてから研修した。当時、圧倒的な戦力を保持していた米軍に対して、持久戦を選択した日本軍は、死と隣り合わせの恐怖の中、温度が40度を超える壕の中に立てこもり、水や食料が不足する中で最後まで戦い抜いた。まさに、硫黄島の戦いは地獄そのものであっただろう。私は、先人が苦悩や絶望のなか最後まで戦い抜いた要因の一つに愛国心があると考える。それぞれ守るものは違えど、日本のために戦った彼らには日本人としての誇りがあり、強い意志や魂があり、そして何よりも日本を愛していたからこそ、戦えたのだと感じた。先人達の愛国心があったからこそ、今の日本がある。現代に生きる我々は、日本人として、先人の志や魂を誇りとして受け継ぎ、同時に畏敬の念を忘れてはならない。今回の硫黄島研修を通じて、自衛隊の本質を身体で感じ、平和であることに心から感謝した。今後は、自分の職務を完遂するために、まずは、幹部自衛官となる防衛大学校学生としての責任の重大さを自覚するとともに、先人の愛国心を見習ってこれからの防衛大学校生活や自衛隊生活を過ごしていきたい。

                            献水中の本人

3学年 野村 真太郎 道立帯広三条高等学校(北海道出身)

先の大戦の屈指の最激戦地の一つである硫黄島に到着し、私がまず感じたことは島の美しさであった。12月中旬とは思えないほどの暖かさ、南国を思わせる風土に、事前教育や教育書に載っていた激戦地の面影は残っていないように思われた。だが研修が始まり、壕内の過酷な環境を経験し、引率教官の現地説明を聞く中で、硫黄島が最激戦地であったことを実感した。過酷な環境だけではなく、補給もなく敵は自分たちより優れた装備を持ち、撤退することすらできない地獄の戦場で栗林中将は最後まで部下に徹底抗戦を行わせた。果たして自分は同じ立場になった時に同じように指揮をすることができるのか、また徹底抗戦した将兵のようにできるか考えた。研修当初は、「自分もなれたらいいな」という憧憬の念を抱いたが、次第に「私達も偉大な先人のようにならなければならない」と感じた。先人たちの奮闘があり、今の平和があるのだからこそ、私達はその安寧をただ徒に享受するのではなく、自衛官としてその平和を維持していかなくてはならないという使命感を強く感じることができた。同時に、南海岸の砂浜に足を取られながらの研修は、米軍の上陸時の辛さをも感じることができ、日米双方にとって過酷な戦場であったことが痛いほど伝わってきた。島に存在する日米双方の碑の数々が米軍にとってもこの島での戦闘が特別な意味を持っていることを物語っている。将来国防の中枢を担うべき人材としての教育を受けている我々にとって、硫黄島における研修は書籍等で得る知識をより確かな実体験にし、使命感を再認識させられるとともに、自らの成長に資するとても良い精神教育の機会となった。

      戦跡研修の様子 (左後方の腕章装着者が本人)

3学年 アハマド・ファウジ 
 インドネシア第3国立高校ジョグジャカルタ 
(インドネシア共和国出身)

第3学年の冬季定期訓練では、硫黄島研修及び校内訓練に参加し特に硫黄島研修は印象深いものでした。本州から遠く離れた絶海の孤島に降り立った瞬間、漂う緊張感のようなものを肌で感じ、身が引き締まる感覚を覚えました。事前教育は受けていましたが、実際にその環境に身を置くと、当時の戦闘の様相が目に浮かぶようで、将兵の苦しみまで伝わってくるようでした。研修が始まり、戦跡及び壕を見て回りましたが、70年以上も前の遺物がほぼ当時のまま残っていることに感銘を受けました。また、兵団司令部壕をはじめとした各壕に入壕して感じたことは、狭い、蒸し暑い、息苦しい、早く出たい。という思いでした。同時に、当時その壕を掘り、立てこもった将兵の苦しみの一端を実感することが出来、敬意を抱くとともに、いったいどのような思いで壕を掘り続けたのだろう、と胸が苦しくなりました。今回の研修で死生観や使命感といった精神的な修養が出来たと思います。これからも防大生として精進していこうと決意を新たにしました。

              米軍上陸記念壁画にて左が本人

ビブリオ競技会の所感

2学年 志賀 慎太郎 私立國學院大學久我山高等学校(東京都出身)

防衛大学校には、開校記念祭で行われる事で有名な棒倒しを筆頭に、カッター競技会、水泳競技会、断郊・持続走競技会等年間を通じ様々な競技会があります。学生は、すべての競技会に於いて所属する大隊の優勝を目指して団結し心血を注いでいます。今回私が紹介するビブリオ競技会は、それら競技会の一つとして4年前から始まりました。4個大隊各々から厳しい予選を経て選出された学生が、全学生及び学校長をはじめとする教職員の方々の前で自身の推奨する本について5分間で紹介します。その後、同じく学生を代表して選出された討議者との討議を経て、「発表・討議内容を踏まえ最も読みたくなった本」について、学生及び教職員の方々の投票により順位がつけられます。今回のテーマは「仲間」であり、『群集心理』という本を紹介しました。「仲間」という集団が衝動的に突き動かされる「群衆」に変貌する事の危うさ、そしてそれを踏まえ私達は将来のリーダーとして何をなすべきかという2点について述べました。本競技会に参加した私は、改めてこの競技会のもつ意義についての認識を深めることができました。私が思う本競技会の意義は、「将来幹部自衛官となる上で不可欠な強靭な思考力の育成」です。指揮官として、或いはその補佐として、自らの属する集団を能動的に動かし任務完遂を目指す際に、読書から得られる知識や教養は思考の助けとなるでしょう。「何を読むか?」そのヒントを授けるのが本競技会です。本競技会で得た様々なヒントを活かし、将来の資としていく所存です。

               競技会終了後の部屋にて

防大かわら版