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  平成25年9月16日(日)、海上自衛隊の術科教育は、その開始から60年の節目を迎えました。翌17日、その記念行事として学校長(海将補 下薗輝昭)には、次の訓示(一部略)が行われ、教育に携る者への気概を述べました。




 昨年は、海上自衛隊の前身である海上警備隊が創設し60年を迎え、その記念行事が統合、陸上、海上、そして航空幕僚長臨席のもと粛々執り行われた。
 海上警備隊創設から1年5月後の昭和28年9月16日、海上保安庁上警備隊は保安庁と名称を かえましたが、ここ田浦の地に、その保安庁警備隊術科学校が創設され、本格的な教育が開始され今年は、その60周にあたる。

  術科教育については、保安庁警備隊となって間もない昭和27年、横須賀地方総監部において講習の形式を採って始められたが、 その総監部の準備委員会にて、学校教育の必要性が検討され、翌年9月、田浦に警備隊術科学校が新設された。その草創期の教育は、砲術、掃海、航海、通信、機関、応急、補給であり、旧海軍水雷学校の施設、特に3つ講堂にて約1000名が教育を受けている。警備隊術科学校は、昭和29年7月、旧警備隊が海上自衛隊に名称をかえたのに伴い海上自衛隊術科学校とな った。

 その後1年も経たない昭和30年5月、江田島の旧海軍兵学校が米から返還されたのを受け、海上自衛隊術科学校で教育していた主に機関、潜水艦、航空、衛生関連各課程以外の全課程約3000名が江田島に移転し教育が再開された。

なお、 主力が江田島に移っためなお、田浦にあった元祖海上自衛隊術科学校は、誠に残念ながら海上自衛隊術科学校横須賀分校に校名変更されている。

 その2年後昭和33年4月、術科学校の名称がかわり、江田島が第1術科学校、横須賀が第2術科学校となり今に至って いる。その後、昭和36年に航空術科教育が千葉県下総にある第3術科学校に、 また昭和50年には、第1、第2、第3術科学校で分散教育されていた経理、調達、管理、補給、給養等の教育が京都府舞鶴にある第4術科学校移管された。ここ至り、現在ある第1から第4の術科学校が出揃ったである。

 術科教育に携わる我々は、術科関する学校教育の原点がここ田浦の地にあったとを終生忘れることなく、この地が、その歴史と伝統を継承して いることに誇りをもって、本校の伝統である旧海軍機関学校から継承された「自主自律」の精神のもと、 職員・学生が一丸となり、「分を尽くし」、日々「明るく、元気に、何事にもむき合い」、戦後における術科教育開始の地、第2術科学校を真の術科学校にすべく前進 することを切に期待して訓示とする。




 

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