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海上自衛隊第2術科学校ホームページへようこそ
 
 

 

 第2術科学校が所在する横須賀市田浦の地は、明治40年、海軍水雷の教育が東京築地から移設開始され、また、昭和5年、海軍通信を専門とする学校が海軍水雷学校から分離独立した地であり、戦後は、昭和27年、海上警備隊発足にあわせ専門教育が実施された術科教育開始の地であります。
 更に、第2術科学校が担当する機関術科については、戦前は、東京築地に発足した後、横須賀市白浜、そして広島県江田島を経て京都府舞鶴へと3度所在を変えてきましたが、戦後は教育開始から現在に至るまで一貫して横須賀市田浦で教育を続けています。
 その沿革の詳細は次に示すとおりです。

 The school stands on the grounds of the Torpedo School of the former Imperial Japanese Navy established in 1907. In 1930, the Naval Communication School branched out and separated from the Torpedo School.
 After WWII, the school was the first educational institution of the Maritime Safety Security Force. Since then, marine engineering has always been taught here at Taura.

 


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