硫黄島航空分遣隊長プロフィール

階級氏名:3等海佐 佐野 三也

生年月日:昭和31年3月7日生

血液型:AB型

出身地:茨城県鉾田市出身

入隊期別:航空学生26期

趣味:ゴルフ・ウォーキング

コメント:南十字星を肉眼で見ることができ感激しました。(硫黄島4〜6月限定)

  第73航空隊の隷下部隊として平成20年3月26日に新編された硫黄島航空分遣隊長の佐野3佐です。

  硫黄島(IWO-TO)は、東京小笠原村にあり、東京から南に約1250kmはなれた、周囲約18km面積約22kuの火山島です。

  先の大戦では、硫黄島攻防戦として米海・米空軍の猛烈な攻撃の中、小笠原兵団長栗林中将の指揮の下、見事な持久戦を展開し、米軍陸上部隊に多大な損害を与えましたが、日本軍将兵約2万人のほとんどは玉砕しました。昨年では、この攻防戦を題材とした「硫黄島からの手紙」や「父親たちの星条旗」といった映画も上映され、記憶に新しいことと思います。終戦後は、米国の管理下にありましたが、昭和43年6月小笠原諸島の本土復帰により海上自衛隊の基地が新編され、今年は、開隊40周年の節目を迎えました。

  硫黄島航空分遣隊の任務は、航空救難と艦艇輸送でありますが、硫黄島の北約270kmには、小笠原諸島の父島、母島があり、急患発生時には昼夜を問わず24時間態勢で災害派遣の要請に対応しています。また、硫黄島近海を航行する船舶(漁船)からの急患輸送にもあたっています。

  硫黄島航空基地で勤務する隊員は、家族と遠くはなれ、灼熱の太陽と火山島特有の地熱といった過酷な環境の中で真っ黒になりながら、もくもくと任務遂行に努力しています。

  硫黄島には、未だ日本軍将兵の遺骨が多数眠っています。機械のある度、日米戦没将兵慰霊碑(天山慰霊碑)に立ち、英霊に対し心から御霊を捧げ、硫黄島航空分遣隊の任務達成と航空安全を祈願しています。

 

 

 

大湊航空分遣隊長プロフィール

階級氏名:3等海佐 野口 久幸

生年月日:昭和28年12月9日

出身地:群馬県

入隊期別:航空学生26期

趣味:映画鑑賞、釣

  大湊航空分遣隊は、本年3月26日海上自衛隊の部隊改編に伴い、八戸救難飛行体改め、大湊航空分遣隊として青森県むつ市にある海上自衛隊最北端の航空基地である大湊基地に発足いたしました。

  従来の救難任務だけでなく、新たに輸送任務も加わり、その活躍が大いに期待されたいます。航空機は、UH-60Jを2機運用し、日夜不時の事態に備えて待機しており、3月28日には陸奥湾で発生したホタテ漁船の遭難に際して捜索救助活動に参加しています。

 災害は発生しないことを誰もが望むところですが、私たちはいざ発生した災害に速やかに対応し、ひとりでも多くの人命を救助できるように日々訓練を重ねています