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装備航空機の変遷

BELL−47

S28.8.12〜S49.2.16
  昭和28年8月12日、海上航空再興の1番機として、山内3正、山本3正によって東京洲崎ヘリポートから館山に空輸された。その後同月18日に2、3番機を9月3日に4番機を空輸し、ヘリコプター操縦講習が開始された。以来今日まで600名を越すヘリコプター操縦士の養成に活躍したが、昭和49年2月16日、移籍された。

S-51

S29.1.22〜S31.5.29
 昭和29年1月22日、1号機を新三菱航空機K.K.小牧工場において領収、須藤2正、山本3正によって館山に空輸された。その後4月5日に2号機を、同月16日に3号機を領収空輸し、合計3機装備され、訓練、広報、災害派遣等に活躍した。昭和31年5月29日、大湊航空隊に移籍された。

S-55

S28.6.4〜S40.10.27
  昭和29年6月4日、1、2号機を浜松において領収、山内2正、柳原3正、米村1士ほかによって館 山に空輸された。その後昭和30年10月31日に3号機を領収し、合計3機装備され、訓練、広報、災害派遣等に活躍したが昭和36年11月4日、1号機大 破、昭和37年7月31日、2号機水没、昭和40年10月27日、3号機水没の事故により、それぞれ除籍された。

KAL

S29.12.21〜S33.10.1
  昭和29年12月21日、川崎航空機工業K.K.岐阜製作所において領収し、鹿屋に空輸されて約1ヶ月間の練成訓練を修了し、館山に帰投した。その後訓練等に活躍したが昭和33年10月、鹿屋航空隊に移籍された

S-55A

S35.4.15〜S45.6.15
  昭和35年4月15日、1号機を新三菱重工K.K.名古屋航空製作所において領収し、館山に空輸された。その後昭和36年までに9機領収し、合計10機装 備され、主として操縦実用機後期ヘリコプター課程学生の操縦に使用されが、昭和45年6月15日、最後の6機が除籍された。

HSS-1

S33.8.16〜S39.5.1
  昭和33年8月16日、1号機を新三菱航空機K.K.小牧工場において領収し、館山に空輸された。その後、昭和37年までに7機領収し合計8機装備され、対潜作戦ヘリコプター部隊の創設期に活躍したが、 HSS-1N の採用に伴い、漸次大湊航空隊に装備替えされ、最後の1機(8551号)が昭和39年5月1日、大湊航空隊に移籍された。

HSS-1N

S36.8.31〜S40.3.25
  昭和36年8月31日、1号機を新三菱航空機K.K.小牧工場において領収し、館山に空輸された。その後、昭和38年までに8機領収し合計9機装備され、 対潜作戦ヘリコプター部隊の術力の練成に貢献し、災害派遣等に活躍したが、小松島航空隊の開設に伴い、昭和40年3月25日、全機小松島航空隊に移籍され た。

HSS-2

S39.3.24〜S53.5.22
(8001号〜8055号)
  米国で1952年に完成したタービン・ヘリコプター。
昭和39年3月 24日、1号機を新三菱航空機K.K.小牧工場において領収し、岸本2佐、佐藤(孝)1尉ほかによって館山に空輸された。その後、41機領収し、合計42 機装備され、本格的に対潜作戦ヘリコプター部隊の充実発展に寄与し、第1線主兵力として活躍したが、昭和53年5月22日館山から移籍された。

S-61A

S40.6.24〜現在
 昭和40年6月24日、1号機を新三菱航空機K.K.小牧工場において領収し、赤塚2佐、立石3佐ほかによって館山に空輸された。その後、7月28日に2 号機を領収し、ともに砕氷艦(南極観測船)「ふじ」飛行科に装備、南極地域観測輸送支援のため砕氷艦「ふじ」に、また現在は3号機、4号機が砕氷艦(南極 観測船)「しらせ」に搭載され、氷状偵察や物資輸送に活躍して毎年多大の成果を収め、南極観測には欠くことのできない存在となっている。

MENTOR

S45.4.1〜S49.2.19
 昭和45年4月1日、9005号機が宇都宮教育航空群から装備替され、第101航空隊に装備された。以来操縦訓練用として、また連絡用として採用された。

OH-6J

S48.3.16〜S49.2.16
  昭和48年3月16日、1号機が第51航空隊から装備替され、小夏1尉、藤井1尉によって下総から館山に空輸された。その後増勢されて第211教育航空隊に装備され、ヘリコプター初級練習機として活躍している。

HSS-2A

S49.8.24〜S61.1.14
(8056号〜8083号)
  HSS−2のエンジン馬力アップを図ったものであり、潜水艦捜索用ソーナー、レーダーを装備、攻撃用の短魚雷や爆雷も装備できる。また、陸上基地用と艦載型(着艦装置装備)があるが、HSS−2Bに切り換えられた。

HSS-2B

S55.12.19〜H12.12.8
  HSS−2を基本に性能向上型としたもの。対潜センサーとしては従来のソーナーのほか、MAD、ソノブイ等を装備、また戦術情報表示装置を搭載し、情報 処理能力を向上させている。初号機は54年12月に領収、55年12月に部隊使用承認が降りて実用になった。(8090号が最初の館山基地装備機)

SH-60J

H3.9.30〜現在
  HSS −2B型対潜哨戒ヘリコプターの後継機として、米国ユナイテッド・テクノロジーズ・コーポレーション、シコルスキー・エアクラフト・ディビジョンとの技術 提携により三菱株式会社が製作した海上自衛隊最新の対潜哨戒ヘリコプターである。館山基地には、平成3年9月30日に8207号機が第121航空隊に装備 され、運用が開始された。護衛艦に搭載する艦載HSで、対潜戦、対水上戦等の任務を遂行する。

SH-60K

H17.10.31〜現在

 SH -60Jをベースとし、三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場が制作し、21世紀の護衛艦搭載哨戒ヘリコプターとして対潜戦、対水上戦能力向 上、警戒監視能力向上、多用途性向上、そして安全性を向上させている。更に、艦載対潜戦術判断支援、着艦誘導支援、艦載対潜用音響等の各システムの追加、 性能向上がはかられている。(8405号が最初の館山基地装備機)


UH-60J

H19.3.26〜現在

 救難機UH−60Jは、航空自衛隊が同型機を導入したこともあり、平成4年4月から、救難機S−61Aの後継機として海上自衛隊の部隊に配備されました。本機の母機は、米国シコルスキー社のUH−60A(米陸軍)であることから、SH−60Jと基本的な構造に多くの共通点をもっています。 また、UH−60 J に搭乗する救助員は准看護師や救急救命士等の公的資格の他、海上自衛隊内の資格である HRS ( Helicopter Rescue Swimmer )資格を有し、洋上、艦(船)上及び陸上において機外に展開し、遭難者等を救助することを任務としています。



 
 
 
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