トップページ佐世保史料館(セイルタワー)→針尾無線塔〜針尾送信所

佐世保地方隊創設60周年記念(帝国海軍施設の変遷)

針尾無線塔〜針尾送信所

 帝国海軍では、日露戦争を契機に無線連絡体制の強化が図られ、1911(明治44)年、佐世保の弓張岳に木製の無線電信塔が建設されました。しかし、1918(大正7)年の大風で電信塔は吹き倒されたため、帝国海軍はこれに代わるものとして、佐世保の針尾島に針尾無線塔を建設しました。
 針尾無線塔の建設は1918(大正7)年11月に起工され、4年後の1922(大正11)年11月に総工費155万円(現在の価値で約250億円相当)をかけ3塔の無線塔が完成しました。
 建設当時、針尾島と佐世保間には今日のような道路は開通しておらず、資材は全て海路から小鯛部落の海岸に集積され、その膨大な鉄筋、セメント等の資材は、急勾配の坂に敷いたトロッコによって運び上げられました。
 完成した無線塔の高さは約136m、塔の直径は、基底部で約12m、頂部で約3mとなっており、1922(大正11)年12月から運用を開始、中国大陸、東南アジア、南太平洋方面に展開する海軍根拠地部隊や艦船等に送信されました。ただし、太平洋戦争の開戦を告げた「ニイタカヤマノボレ1208」を中継し送信したと言われていますが、このことに関する明確な資料がないため、事実は不明です。
 終戦後は、米軍が接収していましたが、1948(昭和23)年、佐世保海上保安部針尾送信分室が開設され、海軍の施設をそのまま引き継いで使用し、海上自衛隊も1955(昭和30)年6月から、針尾送信所として共同運用を開始しました。しかし、1997(平成9)年4月針尾送信所新送信局舎運用開始に伴い、無線塔としての役割は終えました。
 近年の調査により、本施設が建築された歴史背景とともに土木技術や無線技術の面からも高く評価され、日本の技術発展を象徴する近代化遺産として、2013(平成25)年3月、国の重要文化財に指定されました。

完成直後の針尾無線塔全景
(写真提供:清水建設株式会社)
塔の基礎工事風景
 (写真提供:清水建設株式会社)
建設時の針尾無線塔
 (写真提供:清水建設株式会社) 
建設時の電信室
 (写真提供:清水建設株式会社)
現在の針尾無線塔 
ページトップ