ー戦後の経緯ー

・・・米軍接収時代・・・

 戦後米軍に接収され、米軍通信隊、物資集積場、後にゴルフ場として使用されました。その一部は長崎大学水産学部が使用していましたが、朝鮮動乱終結以来ほと
んど使用されなくなりました。
 昭和36年7月。桟橋部分を残し、すべての土地、建物が日本側に返還されました。


         






・・・海上自衛隊佐世保教育隊の発足・・・

 返還に先立つ2年前の昭和34年3月。米軍が返還するという情報を得て、佐世保地方総監部は本地区を教育隊に利用したい旨を上申。
昭和39年2月27日、大蔵省は海上自衛隊に敷地の一時使用を承認しました。
佐世保教育隊の設置計画を策定してから、足かけ5年の歳月を費やし、昭和40年3月25日佐世保教育隊が開隊されました。

 そして昭和41年3月31日、正式に防衛庁の行政財産となり、現在に至ります。

ー終戦までの沿革ー

 大正3年(1914年)、当時の日宇村崎辺免前畑の民有地を政府が買収。教育隊のある小半島は、長さが約百間(1間は約180cmなので、百間は約1800m)であったことから、百間鼻と呼ばれていました。この百間鼻の先にあった横島、九木島、飛島、大森島という4つの島を切り崩して平地とし、陸上小型機の離着陸ができる東西300mの滑走路が作られました。
 大正9年12月、佐世保海軍航空隊開隊。その後、海軍の手で整備を行い、昭和14年、現在見られる地形が完成しました。
 昭和12年、同敷地内に佐世保海軍工廠航空機兵器工場を開設。雨天訓練場が設置され、昭和16年10月、第21海軍航空廠日宇分工廠の崎辺分工場となりました。また、教育隊裏門付近から太田貯油所のタンクに至る付近が、旧海軍太田揮発油槽の一部でした。
 現在の佐世保教育隊は、旧海軍の3つの施設にまたがって作られました。

* 旧佐世保海軍航空隊の一部

* 旧第21海軍航空廠日宇分工廠の崎辺分工場

* 旧海軍太田揮発油槽。

1985年の佐世保教育隊

2015年の佐世保教育隊

1985年

〒857−1176
長崎県佐世保市崎辺町無番地
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佐世保教育隊とは
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昭和40年3月25日
荒れ果てたままの構内に日章旗が掲揚されました。

残ったままの米軍の看板

昭和40年6月佐世保地方総監視察

佐世保教育隊の一日
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大正9年佐世保海軍航空隊開隊時

百阨@埋立による崎辺の造成

2015年

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