高杉晋作終焉の地

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厳島神社

厳島神社
 直径一一〇cm、重量三九〇kgこの大太鼓は、かつて小倉城内(現北九州市)北側の櫓にあって城下に時を告げていたものである。
 慶応元年(一八六五)四月、徳川幕府は第二次長州征伐令を発し、翌二年(一八六六)六月、大島口(山口県大島郡)・芸州口(広島県)・石州口(島根県)・小倉口(福岡県)の四境で戦いの火ぶたが切られた。この四境戦争での長州軍の勝利は倒幕への重要な契機となったが、なかでも高杉晋作が指揮する小倉口の戦闘は最大の激戦となり、長州軍は奇兵隊・報国隊の二隊を先鋒として戦い、遂に慶応二年八月一日、幕軍総帥小笠原壱岐守が小倉城を脱出、小倉藩は自ら城に火を放って敗走した。攻め入った長州軍は余燼の中から戦利品としてこの太鼓を持ち帰り、戦勝祈願を行った厳島神社に奉納したのである。
 現在、維新顕彰並びに小倉戦争の記念行事として、ここ厳島神社では毎年八月の第一日曜日に「太鼓祭」を催している。

厳島神社
萩藩新地会所跡

萩藩新地会所跡
(上新地町1丁目・・・厳島神社前の横)

 藩政改革を唱える高杉晋作は、元治元年(1864)12月15日、長府功山寺で挙兵し、本家萩藩の出先である新地会所を襲いました。下関を占領することによって、萩の藩政府に圧力をかけました。