乃木神社
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海福山高林寺

海福山高林寺
 永平寺の末寺で曹洞宗。長府藩主毛利秀元から清末藩一万石を与えられ、その初代藩主となった毛利元知が、父秀元の位牌と木像をまつるために創建した寺です。開山第一世に長府功山寺の六世寒江和尚を招きました。延宝六年(一六七八)のことでした。 初めは秀元の戒名にちなんで智門寺といいましたが、長府六代藩主となった二代元平が父元知の供養のために寺領を百石に増し、名前も高林寺と改め、代々清末毛利家の菩提寺として保護してきました。
 寺の後には歴代の藩主とその一族・重臣の墓や、公家冷泉家の一門でこの地で不慮の死を遂げた冷泉岩丸君の墓もあります。
 伽藍は安政二年(一八五五)に全焼し、いま下関市の文化財に指定されている山門だけが残っています。

 現在の本堂は廃寺を移築したものです。
  平成四年十一月
    清末ふるさとまちづくり推進委員会
                     

下関市指定有形文化財
高林寺山門(昭和四十九年三月二十五日指定)
 高林寺は延宝六年(一六七八)に開かれ、当初は智門寺と号していましたが、享保四年(一七一九)に現在の寺号に改められました。
 その後、安政年間に火災に遭い、伽藍の大半を焼失したものの、山門だけが焼失をまぬがれました。
 高林寺山門は、下層を門、上層を鐘楼とする鐘楼門で、天和二年(一六八二)に建てられました。建立の年代については、山門の上梁に書かれた「天和二年壬戌暦林鐘上院吉祥日」の墨書によります。この門の特徴は、足元が大きく湾曲した柱や、三手先と呼ばれる軒廻りや縁を支える組物にあります。組物は、主に柱のうえにある構造材で、方形の斗と肘木という部材を組み合わせて構成され、前方に迫り出し、持ち送りの役割を果たします。日本建築の美しさの一つとされる深い軒の出は、組物がより前方に迫り出すことによって生み出されるものですが、このような三手先組物を持つ門は、市内では他に例がありません。
 なお、平成十一年(一九九九)秋から平成十三年(二〇〇一)三月にかけて行われた解体修理の祭に、詳細な調査が行われ、そのような結果をもとに、今に見る姿に復元されています。
     下関市教育委員会
        平成十三年三月
         清末ふるさとまちづくり推進委員会
        (掲示板の説明)

高林寺山門