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乃木神社
大正元年12月
郷土の有志が相謀って乃木記念館を組織した。
大正8年
年を追って乃木将軍に対する追慕の念が益々高揚して乃木神社建立の儀が起こり広く有志の協力を得て創建される。創建以来皇太子殿下(昭和天皇)の御来閲、各皇族方のご参拝十余回に及んでいる。
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乃木将軍御夫婦銅像
昭和37年 御殉死五十年祭に当たり乃木静子夫人の神霊合祀を記し銅像建立をもって百世
崇敬の象徴と為す。 |
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乃木将軍愛馬「壽号」像
壽号はステッセル将軍の愛用した「アラビヤ」産の牡馬で、明治38年1月5日水師営会見の際に乃木将軍に贈らんとしたが、大将はその志を謝し直ちにこれを受けとることは軍規の許さないことなので、後日を約してこれを「壽[す]」号と名づけて戦役中乗用し凱旋後払い下げを受け自分の馬として愛用した。
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乃木旧邸
乃木希典は、嘉永二年(一八四九)十一月、長府藩士乃木希次の子として、江戸麻布の長府毛利藩邸に生まれたが、安政五年(一八五八)、十歳のとき父とともに長府の地に帰り、十六歳で萩に従学するまで、私塾集堂場において学ぶなど、長府城下で過す。
現在保存されている乃木旧邸は大正三年(一九一四)、乃木記念会がそのゆかりの地に、忠実に復元したもので、家屋の造りは、六畳と三畳の二間、押入れ、それに二坪の土間という極めて質素な生活をしのばせている。
また、調度品等も当時を再現したものであるなど、生活の工夫も見られ興味深い。
なお、六畳の間に相対して置かれている父、母、そして少年からなる三体の等身大木彫座像は、乃木大将の甥にあたり、明治から大正にかけて活躍した著名な彫刻家長谷川栄作の製作によるもので、乃木少年が、父親から訓話を受けている場面が、見事に表現されている。
(掲示板の説明)
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宝物館
一家をあげて世のため人のために尽くし、最後に明治天皇に殉じた乃木将軍御夫婦の殉死
75年を迎えた、昭和61年を記念するため御遺愛の品々を初め、乃木家伝来の宝物を後世の
人々に伝えるため、宝物館造営奉賛会を結成全国の崇敬者の真心によって同年7月に竣工す
る。 |