乃木神社
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忌宮神社  忌宮神社
蚕種渡来之地


「蚕種渡来之地」記念碑

 いまから約千八年のむかし中国より秦の始皇十一世の子孫功満王が来朝帰化しここ豊浦宮にご滞在の仲哀天皇に蚕種(カイコの卵)を献上したのが、わが国養蚕の始まりと伝えられる。生糸の輸出の最も盛んであった昭和八年に養蚕関係者によってこの碑が建立された。
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集童場場長室

集童場場長室
 集童場は、長府藩士福田扇馬が文久二年(一八六二)、南之浜の自宅に開いた私塾 桜柳亭を母体とし、元治元年(一八六四)三月、藩士熊野則之が中心となり、古江小路の益田宅を集童場と命名。身分の別なく広く藩内年少の子弟(十〜十七才位)の教育を行ったいわば長府の松下村塾とも言われた。
 総督(場 長)  熊 野 則 之
 総監(相談役)  福 原 和 勝
 教授       福 田 扇 馬
          熊 野 九 朗
          金 子 四 朗
 設立当時は三十数人で発足したが、一年後には百数十人にも増えた。
 慶応元年(一八六五)2月、裏侍町にあった旧藩校敬業館跡に移転、名実とも長府藩の学校となったのである。さらに明治二年(一八六九)藩校敬業館に併合され明治5年2月まで存続した。
 集童場で学んだ子弟は、乃木希典をはじめいずれも明治・大正時代に様々な分野で活躍した。
 この建物は、古江小路に在った集童場の場長室を昭和三年(一九二九)、所有者伊藤氏から寄贈を受けここに移転保存したものである。
   平成五年三月                    下関教育委員会
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熊野則之先生記念碑 熊野則之先生記念碑

萩の松下村塾に相当するのが「長府藩集童場」で多くの有為な人材を育てた。
場長熊野則之先生を顕彰するこの碑は、乃木希典ら門下生によって明治二十年に建てられた。揮亳は元勲山縣有朋、碑文は門人金子豪介である。
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