記念碑等

構内にある記念碑等について紹介します。

軍艦赤城戦死者之碑

「赤城」は日清戦争(黄海海戦、明治27年)に参戦し、軍令部長が座乗していた「西京丸」を清国北洋艦隊からの集中砲火を受けながら守り抜いた艦でありその際、艦長以下多数の乗員が散華されたことから、戦死者の碑が大正6年に現位置に建立されました。
 「赤城」は、その後も、日露戦争に従事し明治44年に除籍となりましたが、引き続き昭和28年まで商船として使用され艦齢は、実に63年に及びました。

 


留魂碑

 大正5年に海兵41期出身の当時中尉が「金剛」艦内で負傷し横須賀海軍病院で亡くなった際、「死後は魂の郷里江田島に集まらん」との思いを込めて、この「留魂碑」が、海兵41期会員により教法寺境内に大正8年に建立され、その後、昭和47年に永久保存のため本校に移動保存されたものです。


海軍兵学校之碑

 八方園の中に静かにたたずむ、海軍兵学校之碑は、かつて、この地で赤心に燃えた若き人々の精神を併せ留め、更にこの上に良き伝統が築かれることを希念して海軍兵学校生徒出身者及び関係職員により昭和42年に建立されたものです。

方位盤


古鷹山頂の方位盤

昭和16年に初代方位盤が八方園に設置されました。石造りの方位盤には、国内の県庁所在地及び主要国の都市名が刻まれており、生徒達が自分の出身地の方角に向かって思いを馳せたり、外国各地に向かって広い視野に立つことを目的に設置されました。
 現在の方位盤は、昭和43年に幹部候補学校卒業生有志により八方園に建立されました。

 古鷹山頂にも同様の方位盤が設置されております。

                      

駆逐艦「雪風」の主錨
 駆逐艦「雪風」は、昭和15年1月に佐世保海軍工廠で完成しました。
 太平洋戦争では、戦史に残る主要な海戦には全て参加、沖縄特攻にも戦艦「大和」と共に行動し、無傷で帰艦したことで一躍有名になった艦です。
 戦後連合軍に接収され、当時の中華民国海軍に引き渡され、「丹陽」と改名した雪風は同海軍の旗艦として活躍していましたが昭和44年に解体されました。
  この錨は雪風の記念品として、昭和46年10月22日、同国政府から雪風保存会に送られ、同会から海上自衛隊に寄贈されたものです。

従道小学校記念碑
 従道小学校は、海軍兵学校在職員等の子息が通う学校として明治23年から昭和20年まで構内に設立された小学校で、校名は西郷隆盛の弟で明治時代に海軍大臣となり、海軍初の元帥になった西郷従道の名前から命名されました。
 教育参考館に、当時の校章等が保存されております。

 昭和59年5月27日全国から集まった従道小学校の同窓生及び海自関係者が参列する中で、盛大な除幕式が挙行されました。





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