海洋安全保障雑感~米国東海岸便り(No. 10)
   -国際人道法の後退を看過するのか-

  • (コラム102 2018/05/30)

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       武力紛争法、戦時国際法などと呼ばれるいわゆる国際人道法は、過去に人類が経験してきた戦争の歴史から得た反省と教訓の上に積み上げられてきた人間の尊厳を保護するための国際社会のルールである。
       これらの約束事の中で、保護を受ける側である文民にとって最も重要な点は「人道の実現」であり、そのため戦闘員と非戦闘員、軍事目標と民用物とを区別して、万が一武力衝突に至った場合においてもできる限り非戦闘員等が巻き添えになることを最小限とすることである。

    中国と赤十字国際委員会による武力紛争法ワークショップ

       5月8日から11日までの間、上海において赤十字国際委員会(ICRC:International Committee of the Red Cross)と中国人民解放軍国防大学の共催による海上における武力紛争法に関するワークショップが行われた1。これは、ICRCがアジア太平洋地域の各国国防当局の協力を得て2014年(平成26年)に始めたワークショップであり、関係地域の海軍士官が一堂に会して海上における武力紛争に関する議論を深めて理解を共有するためのものである。

       今回のワークショップが、中国人民解放軍の協力によって開催されたということは、我々国際社会の人道に対する理解を中国が共有していることの具現であったとするならば、それは歓迎すべきことなのであろう。

    洋上における人間の盾

       こうしたワークショップを中国人民解放軍が主導する一方で、文民や非戦闘員の保護といった人道に対する考え方について、首をかしげざるを得ない中国の振る舞いが海上においても今なお、後を絶たないことに、我々は目を向けざるを得ない。

       例えばそれは、漁船やその乗組員である漁民を、中国の国益を実現させるための外国に対する軍事的手段の一部として利用しているという点である。
       具体的には海上民兵の活動がその第一に挙げられる。例えば、2009年(平成21年)3月、南シナ海において米海軍艦艇「インペカブル」の航行を妨害した中国漁船が海上民兵であったことは、オドム(Jonathan G. Odom)のその後の分析によって明らかにされている2。また、近年、海南省の民兵組織が漁業会社を名乗って南シナ海で活動していることもエリクソン(Andrew E. S. Erickson)やケネディ(Conor M. Kennedy)が報告しているとおりである3。そのうえ、九段線の最前線で操業している漁船グループが海上民兵として活躍している事実は、中国自身が報じているとおりである4

       民兵は、中国の国内法に明確に規定された軍事力の一部である5。その一方で、民兵ではないと思われる普通の漁民も、同様に扱われているフシがある。例えば、朝日新聞は中国当局が補助金を与えて漁船を尖閣諸島周辺海域に派遣していたことを報じている6。また中国の大半の漁船には中国独自の衛星航法・通信システムである「北斗」が搭載され、一部の漁船には外国の軍艦等の動向を偵察、尾行して報告する等の任務が付与されている7。そのうえ、九段線付近の海域において他国の海上法執行機関の法執行活動に抵抗して犠牲となった漁民を、国益を守る前線の英雄として宣伝し、その犠牲に続くように中国当局は漁民を鼓舞している8

       我々が理解している国際法では、本来、非戦闘員である漁民と漁船は、たとえ武力紛争状態になっても守られるべき存在である。国際法上、漁民および漁船を戦争行為に用いた場合、それらは軍事目標となる。その結果、それらとの識別が困難な真正な漁民が巻き添えになる恐れが増大する、つまり国際法が期待している文民としての保護が弱体化することにつながる。中国の自国漁船に対する扱いは、これまでの国際法に真っ向から反するものと言わざるを得ない。
       中国の漁民たちは、正規部隊である人民解放軍海軍や、海上法執行機関である中国海警よりもさらに前方に展開して、外国の国益と最初に遭遇する「矢面」に立たされている9。そうした姿を「洋上における人間の盾」と呼んでもそれは間違ってはいないだろう。

    戦闘員と非戦闘員、戦時と平時を区別しないー中国の人民戦争と軍民融合

       漁船を装った海上民兵ばかりでなく、その他の普通の漁船やその乗組員である漁民を、外国に対して国家意思を実行するための軍事的手段の一部(人間の盾)として中国が利用できる理由はどこにあるのだろうか。

       一つには、「人民戦争」と呼ばれる、戦闘員と非戦闘員の区別のない、戦時と平時の区別のない戦い方を、中華人民共和国と中国共産党のレガシーであると位置づけて、あらゆる分野や状態における「軍民融合」10が徹底されている中国の、我々とは異なる価値観に基づくものなのであろう11
       二つ目に、クラスカ(James Kraska)とモンティ(Michael Monti)が指摘するように12、軍艦や海上法執行機関の活動と比較して、海上民兵の活動に対する他国の反発が抑制的であるという、ルールを遵守し人道を尊重する他国のマナーを逆手にとるような手法を厭わない極めて現実主義的な判断を中国指導部ができるからなのかもしれない。

       「インペカブル」への中国漁船の航行妨害が、国家間の武力衝突に発展しなかったのは、米国が努めて慎重かつ抑制的に対応したことが幸いしただけのことである。万が一、あの時、米国が、妨害行為を働く中国漁船に対して自衛のために反撃していた場合、中国漁民は米中軍事衝突における最初の犠牲者となっていた可能性がある。もちろん、そういった事態になれば、「ひ弱な中国漁民に米国軍艦が刃を向いた」と中国は国際社会に向けて大々的に非難のプロパガンダを始めていたであろうことは想像に難くない。
       もし、我が国の自衛艦や海上保安庁の巡視船が同様な状況に遭遇したならば、おそらく中国は「日本軍がかつてと同じように中国の人民を虐げている」と宣伝するに違いない。

       アリソン(Graham Allison)が指摘する通り、自身の正当性を国際法や宗教的規範に求める必要がない中国は、戦時・平時にかかわらず堂々とリアル・ポリティークに徹した戦略をとることができる国であることを見逃してはならない13

    中国の価値観が国際社会に普遍化することへの危惧

       中国漁船の操業エリアは今や全世界の海に広がっている。漁船を装った民兵の活動、漁民を盾とするような中国の振る舞いを国際社会が黙認することは、中国周辺海域のみならず世界中の海で、彼らが同様な行動を始めることを黙認することにつながる。
       また、中国の価値観や考え方に同調し、或いはそうした振る舞いをコストパフォーマンスの良い戦略であるとみなして、他の国々が中国のそれを踏襲するようになると、将来そのような考え方に立つ国が国際社会の多数派にならないとも限らない。
       現に、既にベトナムは中国の海上民兵や攻撃的な中国漁民に対抗するため、中国の手法を模倣した海上民兵の育成と強化を始めている14
       ベトナムのこのような政策を黙認することは、中国の行為をも認めることでもある。中国のみ非難して、ベトナムの行為を非難しないのだとすると、それは所謂ダブルスタンダードであり、国際社会は評価しないだろう。

    文民・非戦闘員の保護、人道を後退させてはならない

       中国の国力が増大するに従い、国際社会における人権問題が増加しているとナイ(Joseph S. Nye)は述べている15
       二度の世界大戦を含む数々の戦争の歴史を踏まえ、戦闘員と非戦闘員を明確に分けて、非戦闘員への被害の局限に最善の努力を重ねてきた国際社会の取り組みを後退させてはならない。国益の対立する最前線における民兵や漁民の活動を中国が誇らしげに自国民に繰り返し喧伝して、彼らを駆り出していることが、「人間の盾」とも言うべき前近代的で非人道的な手法となりうる危険性をはらんでいることを国際社会はあらためて中国に警告すべきである。

       軍隊の一部である民兵の活動は措くとしても、少なくとも普通の漁民と軍事力の一部である民兵とを明確に区別することは、中国の漁民の人権のみならず、海洋で活動する世界中の漁業従事者の安全、人権をも守ることであることを忘れてはならない。中国の海上民兵の活動は人権、ヒューマニズムの観点からも論じていかねばなるまい。中国の漁民と海上民兵との区別を国際社会が容易に判断できるようなルール作りを我々が主導的に進めていく必要があるだろう。
       そうでなければ、後世、我々が不作為の罪を問われることになりかねない。

    おわりに

       「兵は詭道なり」と説く「孫子の兵法」は、21世紀の今日もなお洋の東西を問わず軍人や戦略研究者のバイブルの一つに挙げられる。しかし、だからといって、人権や人道を蔑ろにするような詭道は21世紀の国際社会において黙認されて良いものではない。少なくとも我々日本社会はそれを望んでいない。国際社会のルールに日本の理想をより多く反映させるためには、我々は何ができて、どのように取り組むことが良いのだろうか。

       もちろん、ルールがあることをもって満足することの危険性は言わずもがなである。たとえ厳格なルールが結ばれたとしても、そのルールが全てのアクターに遵守されるかどうか100%確約できるものではないことは過去の歴史から明らかである。

       ルールの厳格化を促す一方で、ルールを軽視し、無視し、ルールを踏み荒らす行為が行われた場合においても、毅然としてそれに対処できる能力もまた我々は備えておく必要がある。

    (米海軍大学連絡官、米海軍大学インターナショナル・プログラム教授 山本勝也)

    (本コラムに示された見解は、幹部学校における研究の一環として発表する執筆者個人のものであり、防衛省、海上自衛隊の見解を表すものではありません。)

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    1 ICRC, “China: Seneior miritary officers seek greater respect for law of armed conflict at sea,” https://www.icrc.org/en/document/china-law-armed-conflict-sea-shanghai
    中国での会議がシンガポール(2014年)、タイ(2015年)、インドネシア(2015年)、マレーシア(2016年)に続く4回目の開催となる。
       上海で当該ワークショップが行われたほぼ同時期に、ICRCは米海軍大学等とともに、類似のワークショップを開催した。 U.S. Naval War College, “Stockton Center ‘Fog of Law’ Workshop: May 2018”, https://usnwc.edu/News-and-Events/Events/Stockton-Center-Gray-Zone-Conference-May-2018
    2 Jonathan G. Odom, “The True’ Lies’ of the Impeccable Incident: What Really Happened, Who Disregarded International Law, and Why Every Nation (Outside of China) Should Be Concerned”, Michigan State journal of International Law, Vol 18.3.
    3 Andrew S. Erickson and Conor M. Kennedy, “Riding A New Wave of Professionalization and Militarization: Sansha City’s Maritime Militia”, CIMSEC, September 01 2016,
    http://cimsec.org/riding-new-wave-professionalization-militarization-sansha-citys-maritime-militia/27689
    4 刘昱彤,胡耀中“这片海是祖宗海(この海は先祖代々の海)”,中国民兵2018年第4期,pp.30-35。
    5 コラム088「中国の海上民兵」参照」(リンク)
    6 朝日新聞「尖閣へ出漁『中国政府の命令』」、2017年9月10日。
    7 Andrew S. Erickson and Conor M. Kennedy, “From Frontier to Frontline: Tanmen Maritime Militia’s Leading Role pt.2”, CIMSEC, May 17, 2016,
    http://cimsec.org/frontier-frontline-tanmen-maritime-militias-leading-role-pt-2/25260参照。
    8 凤凰卫视“南海渔民:每与他国舰艇遭遇一次损失足以从小康回到赤贫(南シナ海漁民、外国艦艇に遭遇するたびに貧しくなっていく)”, Jul 27 2016, http://phtv.ifeng.com/a/20160727/44428051_1.shtml
    9 新华网,“中国海上维权分3步渔民在前军队点后护(中国海上権益維持は3段階、漁民は前方に、軍隊は後方に)”,Mar 13 2015,http://politics.people.com.cn/n/2015/0313/c70731-26690833.html
    10 王露“推动军民融合深度发展(軍民融合の更なる発展を進めよ)”,人民日報, Nov 21 2017, http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2017-11/21/nw.D110000renmrb_20171121_1-07.htm
    11 中国国防部“习近平强军思想开辟人民战争新境界(習近平の強軍思想が人民戦争の新たな境地を切り開く)”,Nov 30 2017,http://www.mod.gov.cn/jmsd/2017-11/30/content_4798607.htm
    12 ジェームズ・クラスカ、マイケル・モンティ、「中国の海上民兵と国際法」『島嶼研究―ジャーナル』第7巻1号(2017年、10月)、pp.88-106。
    13 Graham Allison, Destined For War; Can America and China Escape Thucydides’s Trap, 2017, p148.
    14 Ralph Jennings, “Vietnam’s Fishing ‘Militia’ to Defend Maritime Claims Against China”, VOA, April 06 2018, https://www.voanews.com/a/vietnam-fosters-fishing-militia-to defend-maritime-claims-against-china/4335312.html
    15 Joseph S. Nye, “Human Rights and the Fate of the Liberal Order,” Project Syndicate, May 09 2018, https://www.project-syndicate.org/commentary/human-rights-liberal-order-by-joseph-s--nye-2018-05