海洋安全保障雑感~米国東海岸便り(No.5)~
   -ペリー提督からケリー提督へ-

  • (コラム092 2017/08/31)

       7月17日早朝、ニューポートの海軍桟橋に、次の寄港地へと向かう海上自衛隊遠洋練習航海部隊(練習艦隊)の出港を見送る二人の日米オールド・セイラーの姿があった。一人は今春、米海軍大学に着任した武居智久前海上幕僚長1であり、もう一人はジェィミー・ケリー(James D. Kelly)元在日米海軍司令官(海軍少将)であった。そのケリー少将(退役、以下略) も8月末をもってニューポートを後にした。


    ケリー少将送別会にて。武居前海幕長、ケリー退役少将、道井在ボストン総領事


    ケリー元在日米海軍司令官

       ケリー少将は歴代の在日米海軍司令官(CNFJ:Commander, U.S. Naval Force Japan)の中でも最も有名な提督の一人であり、日本をもっともよく知る米海軍軍人の一人でもある。

       「どのような協定でも、最大限の効果を発揮するには関係個人間の信頼関係がものを言う。」 これはケリー少将が2006年(平成18年)9月に日本記者クラブで述べた言葉である2。そして、ケリー少将はその言葉の通り行動した人である。

       ケリー少将の在日米海軍司令官としての勤務は、2005年(平成17年)9月から2009年(平成21年)7月までの約4年間に及ぶ。その間、原子力空母「ジョージ・ワシントン(USS George Washington, CVN-73)」の横須賀配備実現をはじめとする日米安全保障体制の強化のために尽力し、日本のみならず地域の平和と安全に大きく貢献したことは有名である。
       また、在日米海軍と地元自治体との関係強化にも意を尽くし、例えば、2007年(平成19年)3月には横須賀市との間で「災害対応準備及び災害救援の共同活動に関する横須賀市と在日米海軍司令部及び米海軍横須賀基地司令部との覚書」、「災害準備及び災害対策に関する神奈川県と在日米海軍との覚書」などを在任中に成立させている。その上、地元の観光振興に協力するため「ヨコスカ・ネイビーバーガー」の開発に協力する等、市民レベルの日米友好親善を重視して精力的に交流を重ねた。


       ケリー少将の日本との関連は在日米海軍司令官の4年間だけではない。2003年(平成15年)から2005年に在日米海軍司令官に就任する直前まで、第7艦隊の基幹であり横須賀を拠点とする第70任務部隊/第5空母打撃群指揮官(CTF70/CSG5)として勤務したほか、それ以前にも第115航空隊(VA115)、空母「ミッドウェー(USS Midway, CV-41)」、空母「インデペンデンス(USS Independence, CV62)」、空母「キティホーク(USS Kitty Hawk CV-63)」等の乗艦勤務では日本を拠点に活動し、また空母「コンステレーション(USS Constellation, CV-64)」艦長として朝鮮半島周辺海域に展開する等、米海軍生活における洋上勤務の大半を日本周辺で過ごしてきたことになる。それゆえ、ケリー少将夫妻の日本への想いは深く、また、横須賀などでは今でもケリー少将に対する市民の人気は高く、来日のたびにケリー少将夫妻の下に集う地元市民、関係者は絶えない。

    ケリー米海軍大学戦略作戦統率部長

       2009年7月、在日米海軍司令官を最後に現役を引退したケリー少将は、2011年(平成23年)からニューポートに所在する米海軍大学に戦略作戦統率部長(Dean, College of Operational and Strategic Leadership) として勤務し、戦略・作戦計画、意思決定、リーダーシップ及び倫理教育の分野における後進の育成に指導力を発揮してきた。その対象は将官級から大尉レベルの幕僚にまで至り、そして米国軍人のみならず海上自衛官を含む外国軍人にまで多岐にわたっている。また世界規模で展開する米海軍の所要に応じた教育の場は全世界に及び、それらのほとんどの場で、ケリー少将自身から日米同盟の役割とその重要性が繰り返し語られてきた。とりわけ留学生としてニューポートに滞在し、あるいは様々な目的で当地を訪問する多くの海上自衛官にとっては、日米同盟の道標ともいえるアドバイザーでもあった。

       またこの間、海上自衛隊幹部学校と米海軍大学との協力関係は、ケリー少将の強力なバックアップによって深化し始めた。2016年(平成28年)から始まった幹部学校を舞台に米海軍大学の教授陣により行われているAPNIC(Asia Pacific Navy Planning Process International Course,3アジア太平洋地域における関係国海軍士官を対象として海軍作戦計画作戦手順に関する教育プログラム)がその成果の一つである4。そのほかにも、未来戦、国際法、戦史・リーダーシップ、戦略的コミュニケーション、中国海軍戦略など、様々な教育・研究分野における両校間の人的・知的交流や協力が近年加速されている。もちろん、武居前海上幕僚長が米海軍作戦部長特別招聘研究員として米海大における活動を始めることとなったことも忘れてはならない成果の一つであろう。
       米海軍大学における日米の関係は、古くは1897年(明治30年)に米国に留学しワシントンに滞在していた秋山真之とマハン(Alfred Thayer Mahan)の時代から始まる。また、戦後は、1956年(昭和31年)に米海軍大学に大佐級留学生課程(Naval Command Course:現在のNaval Command College5)が新設され、その際、マハンの「海上権力史論」の翻訳で有名な北村謙一元自衛艦隊司令官が第1期学生として派遣されたことに始まる6


    ケリー日米協会理事

       ケリー少将は米海軍大学に勤務する傍ら、ボランティアとしてロードアイランド州日米協会(Japan-America Society of Rhode Island)理事を務め、地元のコミュニティ、在ボストン日本国総領事館、さらには横須賀市、ニューポート市の姉妹都市である下田市などをつなぐ架け橋として、ロードアイランド州及び同州を含む米国東海岸ニューイングランド地方各地で行われる市民・草の根レベルの日米友好親善プロジェクトに取り組んできた。

       毎年7月中旬に同協会主催によりニューポートで行われる黒船祭(Newport Black Ships Festival)はその代表例であり、例年、計画準備の段階からケリー理事が中心となって日本経験を有する多くの米軍関係者がそれに参画している。
       ニューポートは、幕末の黒船来航で知られるペリー(Matthew C. Perry)提督の故郷であり、1984年(昭和59年)に始まり今年で34回目を迎えた黒船祭は、ニューポートにおける有数の年中行事の一つとなっている。とりわけ今年(2017年)は、練習艦隊がこの黒船祭に合わせて7月13日から17日までの5日間にわたり当地に寄港し、各種関連行事に練習艦隊の乗員や実習幹部が参加することにより、海上自衛隊と米海軍との強固な関係を具体的に目に見える姿で地元市民にアピールされた。これもまたケリー理事の精力的な働きかけの成果である。
       黒船祭のクライマックスは最終日に行われるペリー提督墓碑への慰霊献花である。日米両国から授与された勲章7が輝く礼装用軍服に身を包んだケリー少将がこの儀式を主宰した8 。主宰者としての最後の献花式となる今年のケリー少将の式辞は、19世紀のペリー提督に始まり21世紀の同盟へとつながる日米の歴史と未来への希望を綴るものであり、米海軍、海上自衛隊、地元市民及び中学生を含む下田市代表団等、多くの参加者の胸を打つ感慨深いものとなった。
       ペリー提督から始まった近代日本と米国の歴史は、ペリー提督の故郷ニューポートにおいて、ケリー提督により確固としたものに紡がれてきた 。

    おわりに

       日米同盟の価値とその重要性を理解する米海軍の現役軍人及び退役者の存在は日米同盟の強化に不可欠の人的資源である。ケリー少将はニューポートを離れるが、ニューポートで、あるいは在日米海軍基地で、第2、第3のケリー少将が続々と誕生しているものと期待したい。そのためにも我々は先人たちと同様に、彼らとの緊密な連携によりこの流れを途絶えさせることなく紡いでいかなければならない。

       米海軍では先人の知恵や知識、技術、伝統を後進に伝えていく手段の一つとして、退役軍人をシビリアンとして軍の機関や施設に雇用することにより、彼らが教官、研究者、事務職員あるいは技術職員として様々な分野で活躍する場を豊富に用意している。ケリー少将もその一人であった。またケリー戦略作戦統率部長の任務を引き継ぐ、海上作戦教育部長(Dean, Maritime Operational Warfare)、統率倫理担当部長(Dean, Leadership and Ethics)の二つの配置のいずれも、それぞれの関連分野で活躍してきた退役したばかりの海軍少将が指名されている。
       特に長期にわたる研究と分析、継続した教育指導が必要な部門には前線における実務経験と博士や修士の学位を併せ持つ多くの退役軍人が教授等の立場で勤務している現状がある。少子高齢化がすすみ、様々な分野で人材の争奪戦が始まるであろう我が国にとっても参考に値する人材活用法の一つと言えよう。



    (米海軍大学連絡官、米海軍大学インターナショナル・
    プログラム教授 山本勝也) 

     本コラムに示された見解は、幹部学校における研究の
    一環として発表する執筆者個人のものであり、防衛省ま
    たは海上自衛隊の見解を表すものではありません。

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    1コラム089「武居智久前海幕長が米海軍大学教授として着任」参照(リンク)
    2日本記者クラブ「ジェームズ・D・ケリー アメリカ 在日米海軍司令官」、https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/14607/report、2017年8月24日アクセス。
    32017年8月、戦略作戦統率部は組織改編により、戦略・作戦計画、意思決定を所掌する海上作戦教育部(College of Maritime Operational Warfare)とリーダーシップ及び倫理教育を担当する部門(Leadership and Ethics)に再編された。
    4ニュース「APNICの開催~14ヵ国36名の海軍士官が参加」参照(リンク)
    5海外留学生便り「米海大指揮課程」参照(リンク)
    6海上自衛隊の前身である海上警備隊が1952年(昭和27年)に創設されてからわずか4年後のことである。
    7ケリー少将はそれまでの功績に対して、2009年に日本政府より「旭日重光章」を授与されている。
    8米国では、退役した軍人も儀式の場において現役当時の軍服を着用することが許されている。