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 米海大ナウ!

 028 「ブル」ウィリアム・ハルゼー提督

(028 2015/11/18)

米海軍大学   客員教授
本校戦略研究会(SSG)
1等海佐    下平   拓哉

   1882年10月30日は、ウィリアム・ハルゼー(William Frederick Halsey, Jr.) の誕生日です。

【米海大学生時代の写真】

   ジャップを殺せ、ジャップを殺せ、ジャップをもっと殺せ(Kill Japs, Kill Japs, Kill More Japs)」との彼の言葉が象徴するように、米海軍では猛将で知られています。米海大におけるハルゼーに関する記録については、アーカイブに学生時代の写真とともに、彼が提出したレポートが残されているのみです。
   ハルゼーは、ニュージャージー州エリザベス市生まれで、代々船乗りの家系です。1904年に米海軍兵学校を卒業。62人中42番。候補生時代には、終戦時に日本が降伏文書を調印する場所となる戦艦「ミズーリ」に乗組んでいます。その後、1907年12月から1909年2月に米大西洋艦隊が実施した世界一周航海「グレート・ホワイト・フリート(GWF)」の一隻である戦艦「カンザス」乗組みで1908年10月に来日し、東郷平八郎とも会っています。1933年に米海大を卒業しています。

   太平洋戦争中は、南太平洋方面軍司令官、第3艦隊司令官として戦い、その勇猛果敢さから「ブル(猛牛)」と呼ばれています。第3艦隊とは、対日戦争のために、1943年3月15日に新たに編成されたものですが、現在は、特に世界最大規模の演習である環太平洋多国間合同演習リンパック等を通じ、海上自衛隊と深い絆で結ばれています。
   また、1944年10月17日には、レイテ沖海戦の指揮を執りますが、小沢治三郎中将の陽動に引っかかったことにより「ブルズ・ラン(猛牛の突進)」と呼ばれたり、12月18日のコブラ台風においてレイテ海戦以上の被害を受けるなどエピソードには事欠きません。

   ハルゼーが米海大学生時代に提出した「戦時における海軍戦略と戦術と
指揮の関係」と題するレポートには、次のようなことが記されています。
   「指揮とは、戦略と戦術を導き、管理、調整する中枢である。指揮官によっ
て、戦略が右手で、戦術が左手である。戦争の三位一体は、戦略、戦術、
そして指揮であり、そのなかでも最も重要なのが指揮である。」

【ハルゼーが米海大学生時代に提出した課題】



【Milan Vego, Joint Operational Warfare, Theory and Practice, Newport, RI: Naval War College, 2009 を基に筆者作成】

   現在の安全保障環境は複雑さが増し、戦争のレベルもより細分化、複雑化されてきています。 ハルゼーが主張した戦略と戦術の2本の手だけでは、すでに足りない時代となっています。
   米海大のJMOにおいては、オペレーショナル・アート(作戦術)の重要性を繰り返し教えています。戦略にも、国家戦略と戦域戦略があり、戦略と戦術をつなぐものが作戦であり、そして戦略と作戦の間の作戦戦略レベルも考えなければ、現在、そして将来の戦いに勝利することは難しいと考えているからです。そして、一層厳しさが増す将来の安全保障環境を踏まえ、戦争のレベルの是非についても常に「クリティカル(批判的)」に議論されています。
   戦争を明らかにする学問には、変化を感じながらの不断の努力が欠かせないのです。