コラム055 | 海上自衛隊幹部学校
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 防衛駐在官の見た中国(その12)
  -中国近代海軍の父 劉華清将軍-

(コラム055 2014/11/12)

 

   このコラムは、筆者が在中国日本国大使館防衛駐在官として在勤中1に得た雑感をご紹介するものです。読者の皆様が、我が国の防衛・安全保障を考える上で、幾ばくかの参考となれば幸いです。
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   先日、佐久間一2 元統合幕僚会議議長 3(海将)を偲ぶ会が都内で行われた。佐久間元統幕議長は、防衛大卒業生として初めて海上幕僚長、統合幕僚会議議長を務められた人物である。また、海上自衛隊初の海外派遣となる「ペルシャ湾掃海派遣部隊」を送り出した当時の海上幕僚長でもあり、今日の海上自衛隊の礎を築いた人物の一人であった。

   一方、今日の中国人民解放軍海軍(以下、中国海軍)の礎を築いた人物について振り返ると、劉華清(LIU HuaQing)元海軍司令官(上将4)を挙げることができる。劉華清上将は、いわゆる「第一、第二列島線5」 という用語で有名な「近海防御戦略」と呼ばれる今日の中国海軍戦略を提唱した人物であり、中国では「中国近代海軍の父」又は「中国航空母艦の父」と呼ばれている。

   筆者は劉華清上将本人に直接会ったことはないものの、少なからぬ縁を感じている一人である。その縁は、劉華清将軍の長男である劉卓明(LIU ZuoMing)6人民解放軍総装備部科技委員会副主任(海軍中将)を通じたものである。

   2010年(平成22年)5月、中国国防部が主催した武官団南京軍区研修で訪問した海軍指揮学院7の学院長が劉卓明海軍少将(当時)であった8。劉卓明学院長は筆者が北京在勤中に公私にわたり親しくしていた楊毅(YANG Yi)9海軍少将の親しい友である。また、筆者が防衛研究所一般課程在籍中に同課程の留学生として共に学んでいた中国海軍大佐(当時)の上司でもあった。

   東シナ海における海自護衛艦への中国軍機の異常接近事案をはじめ日中防衛当局間にいくつかの懸案を抱えた時期ではあったものの、懇談は短いながらも親しくかつ率直なものだったと記憶している。長身で劉華清将軍とそっくりな容貌をした劉卓明学院長は、筆者が知り合った中国海軍の提督の中でもスマートで開明的な将官の一人であった。筆者にとって劉卓明学院長との出会いは、あらためて劉華清を学ぶ契機となった。

   翌2011年(平成23年)1月14日、劉華清上将死去のニュースが中国国内で報じられた。筆者が本国に報告したところ、ただちに杉本正彦海上幕僚長(当時)から呉勝利(WU ShengLi)海軍司令官(海軍上将)宛の弔意を表した親書が準備され、日中安全保障対話のために中国を訪問していた代表団を通じて賈暁寧(JIA XiaoNing)中国国防部外事弁公室副主任(当時)へ手渡された。

   また、その頃筆者は北京における海軍武官団長10を務めていたことから、各国海軍武官の了承の下、海軍武官団を代表して呉勝利海軍司令官に対する弔意のレターを送るとともに、葬儀への海軍武官団としての出席の許可申請を中国海軍司令部に試みた。

   海幕長による中国海軍司令官へのこのようなメッセージは、国際的かつ伝統的な海軍コミュニティーにおける交流を日中間において具現したものである。さらには2008年以降の呉勝利海軍司令官と赤星海上幕僚長(当時)との相互訪問 11を始めとする海上自衛隊と中国海軍との関係改善の過程における海上自衛隊トップによる中国海軍とその歴史に対する敬意と心遣い12であったと言えよう。

   また葬儀は中国海軍の所掌ではないということで、結果として海軍武官団の葬儀への出席が認められることはなかったが13、国際スタンダードな海軍軍人の姿勢を中国海軍に示すことができたのではないか。当時の海軍武官団ではそのように理解することにした。

   さて、ここまで筆者は劉華清の肩書について殊更に「上将」、「将軍」と記してきた。何ゆえ筆者が肩書にこだわるのか。その理由は劉華清将軍が「海軍の父」ではあるが、「提督(Admiral)」としてではなく「将軍(General)」として一生を閉じたことによる。

   1916年(大正5年)10月、湖北省14に生まれた劉華清将軍は、1929年(昭和4年)に中国共産主義青年団 15に加入、人民解放軍の前身の一つである中国工農紅軍に入隊した後、国共内戦中は第2野戦軍に所属し、上司である鄧小平(DENG Xiaoping)の厚い信頼を得たと言われている。

   1951年(昭和26年)に海軍16に転じた劉華清は、1955年(昭和30年)、中華人民共和国建国により人民解放軍が階級制度を導入した際に「海軍少将」の階級が授与された。1965年(昭和40年)に「遊撃戦争を主体とする毛沢東軍事戦略へ転換」した人民解放軍が階級制度を廃止するまで、劉華清は海軍少将と称されている。

   劉華清は海軍在職中にソ連の海軍アカデミーに留学、以後、海軍旅順基地司令官、海軍副参謀長等を歴任し、1982年(昭和57年)から1988年(昭和63年)までの間、海軍司令官を務めた。また、1985年(昭和60年)から1992年(平成4年)までの間、中央顧問委員会17委員を務めた。さらに、1987年(昭和62年)に中央軍事委員会委員となった劉華清は、1989年(平成元年)から同委員会副主席に、1992年(平成4年)から併せて中央政治局常務委員18に就任し、それぞれ1997年(平成9年)まで務めた後19、2011年(平成23年)1月14日、96歳で永眠した。

   この間、1988年(昭和63年)に人民解放軍では階級制度が復活20したが、既に海軍司令官を辞していた劉華清中央軍事委員会委員に対しては、あらためて「上将」の階級が授与された。中国では海軍、空軍及び武装警察の階級にのみ「海軍上将、空軍中校(2佐、中佐に相当)、武警少尉」等と軍種を冠した階級を呼称する。一方、陸軍等その他については「少将、大校(上級大佐に相当)、中尉」とのみ呼称し、「陸軍」を冠さない。したがって、劉華清に与えられた新たな階級「上将」は「海軍大将(Admiral)」ではなく「(陸軍)大将(General)」であることを示している。当然、当時の劉華清上将の制服姿は陸軍軍人であった。

   劉華清は、軍歴の大半を海軍で過ごし、晩年は「中国海軍の父」、「中国空母の父」と呼び称えられるまでになった中国海軍の英雄である。人民解放軍主力の陸軍軍人から見れば、軍種を局限した「海軍上将」よりも人民解放軍「全体」の「上将」であるほうが劉華清をより厚遇しているものと考えるのは不思議ではない。しかし、一般的に海軍軍人にとってみれば、軍種間に優劣はなく、そのような「厚遇」には違和感すら覚えるものがある。
   当時、北京における社交の場において中国国防部や総参謀部将校達は劉華清について「General LIU(劉将軍)」と呼んでいたところ、筆者が敢えて「Admiral LIU(劉提督)」と言うと、同席の中国海軍の将校達は一様に我が意を得たりとばかりに頷くことが度々あった。当時の人民解放軍内部における海軍の立場を垣間見た一場面であった。

   2012年(平成24年)11月、習近平(XI JingPing)体制発足とともに、人民解放軍のリーダーシップも刷新された。一時は下馬評に載っていた呉勝利海軍司令官の国防部長への異動21はなかった。しかし、許其亮(XU QiLiang)空軍司令官(空軍上将)が範長龍(FAN ChangLong)済南軍区司令官(上将)とともに中央軍事委員会副主席に選出された。空軍軍人が中央軍事委員会副主席となる人民解放軍史上初の出来事である。人民解放軍における最高位の軍人22である副主席就任に際し、許其亮が「上将」に衣替え23することはなかった。ここにも人民解放軍における力学の変化が見てとれる。

   今後しばらくは人民解放軍のリーダーシップ研究については、公的・組織論的観点24からのみならず、軍人の内的・心理的側面からの力学変化についても注意する必要があるのではないだろうか。

(自衛艦隊司令部 山本 勝也)

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12008年(平成20年)5月から2011年(平成23年)7月まで勤務。
2佐久間一(さくままこと)元統幕議長については、佐久間一著『佐久間一(元統合幕僚会議議長)オーラルヒストリー』(近代日本史料研究会、2007年)が詳しい。
3 統合幕僚会議(議長):「自衛隊の運用に関する一元化」に伴い、2006年(平成18年)3月に統合幕僚会議(議長)は統合幕僚監部(統合幕僚長)に改編された。
4上将(General):人民解放軍の階級。自衛隊における「将」、欧米諸国の軍隊における「大将」に相当する。人民解放軍の将官は、現役を退いた後も現役時と同様に階級を呼称し必要に応じて制服を着用するほか、階級に応じた給与、住居、車両、秘書等の待遇が享受できる。
5第一列島線は、日本列島から沖縄、台湾、フィリピン、ボルネオ島に至るラインを、第二列島線は、日本列島から、伊豆諸島、小笠原諸島、グアム、サイパン、パプアニューギニアに至るラインを指す中国人民解放軍の戦力展開のための地理的概念。  中国の有識者は、「第一(二)列島線」という用語、概念は中国の造語ではないと言っているが、中国メディア等も頻繁に使用するため今日では中国国内においても中国の海洋戦略の概念用語の一つとして理解・常用されている。
6劉華清には劉卓明海軍中将及び総装備部の局長である劉維明(LIU WeiMing)少将の2人の軍人の息子がいるほか、甥として広州軍区副政治委員である劉長銀(LIU ZhangYing)中将がいる。 また長女の劉超英(Helen LIU)は国有航空宇宙企業である中国航天科技集団の元経営陣の一人である。
  さらに次女の劉暁莉(LIU JiaoLi)の夫である海軍出身の徐念沙(XU NianSha)は人民解放軍との関係の深い国有企業である保利集団の会長である。 劉卓明をはじめとする彼らもいわゆる「太子党」、「紅二代」に分類することができる。
7 海軍指揮学院:中国海軍における最高学府。上級指揮官及び幕僚を養成するための教育機関であり、海自幹部学校に相当する。  国防大学と同様に、外国軍隊からの留学生専用学部・課程を擁し、多くの留学生を受け入れている。江蘇省南京市に所在。
  国防大学については、コラム007「人民解放軍国防大学への留学」参照。
  中国海軍のその他の教育機関(軍事院校)については、コラム012「練習艦『鄭和』で海を渡った海上自衛官」参照。
8インターネット上で確認できるかぎり、劉卓明は海軍装備論証センター主任(中国語で主任は当該組織のトップを意味する)、海軍装備研究院長、総装備部科技委員会副主任を歴任しており、もっぱら海軍装備技術系将校であると言える。そのような人物が当時「指揮学院」のトップであったことは興味深い。
9楊毅海軍少将:元国防大学戦略研究所所長、元在米中国国防武官。
  コラム005「北京における小さな日中防衛交流」参照。
  ニュース「東北アジア開発研究院 楊毅少将、彭光謙少将 来校」参照。
  ニュース「主任研究開発官の中国・北京訪問」参照。
10北京駐在武官団:コラム008「北京駐在武官団は小さな国連である」参照。
11呉勝利海軍司令官が2008年(平成20年)秋に訪日し、その答礼訪問として赤星海上幕僚長(当時)が翌2009年(平成21年)夏に訪中した。
12第2次世界大戦末期、ルーズベルト米国大統領の死去に対し、当時の総理であった鈴木貫太郎海軍大将が哀悼の声明を発したことと相通じるものとも言える。
13中国海軍司令部外事局の回答は、劉華清元海軍司令官の最終経歴が党中央政治局常務委員、中央軍事委員会副主席であることから、中国海軍第一の英雄であるものの、葬儀は海軍司令部の所掌ではなく、そのため武官団に対する便宜を図る立場にないというものだった。
  一方、中国国防部(外事弁公室)に同様の申し入れをしたところ、「前例がない」との回答が返ってきた。
14湖北省:長江中流域にある省。省都である武漢は辛亥革命が勃発した都市(武昌起義、1911年10月10日)。また、中国内陸部最大の商工業都市である武漢には、宋(Song)級潜水艦、056型江島(JiangDao)級フリゲイト、海警3050巡視船等を建造する武昌造船廠が所在する。
15中国共産主義青年団(共青団):若手エリート(14歳から28歳)を養成する中国共産党下部組織(1920年発足)。胡錦濤が総書記となって以降、共青団出身者を「団派」と称し一種の派閥としてみなすことがある。
16人民解放軍海軍は、1949年4月23日に設立している。
17中央顧問委員会:1982年から1992年まで中国共産党に存在した組織。革命第1世代の古参幹部を引退させて党中央の世代交代を図るために鄧小平が導入したと言われている。
18党中央政治局常務委員:中国共産党の最高意思決定機関(中央政治局常務委員会)のメンバー。1997年に劉華清が退いて以降、人民解放軍出身者は選ばれていない。
19国家中央軍事委員会副主席の職務は、1990年から1998年まで務めた。任期の相違は党中央軍事委員会委員を選出する党大会と、それを受け国家中央軍事委員会委員を選出する全国人民代表大会の開催時期のズレによるもの。
20中越戦争の教訓(指揮系統の不十分)が、階級制度を復活させた理由の一つ。
21今回、呉勝利海軍上将は海軍司令官に留任した。年齢を考慮すれば、2017年に予定される次期(19期)党中央委員会第1回全体会議の前後に次世代と交代するものとみられる。
22中央軍事委員会主席は習近平総書記が兼任している。
23人民解放軍では、近年においても軍種間の異動が行われており、陳小工(CHEN XiaoGong)元空軍司令官(少将→空軍少将→空軍中将)等、人民解放軍入隊以来、将官になるまでずっと陸軍部隊等に勤務してきた陸軍将校が、将官に昇任後に軍種を転換した事例が確認できる。
24 人民解放軍と中国海軍とのリーダーシップに関する力学については、拙著「人民解放軍の意思決定システムにおける中国海軍の影響力」『海幹校戦略研究』第2巻第1号、2012年5月参照。


 本コラムに示された見解は、研究の一環として発表する執筆者個人のものであり、防衛省または海上自衛隊の見解を表すものではありません。