特攻隊戦没者慰霊塔建立の由来

 第2次世界大戦における沖縄の戦闘は、戦史にも類例にない

ほど熾烈なものであった。時に戦場は、ようやく我軍に不利と

なり、ここに退勢挽回の秘策を試みるに至った。即ち敵国海空

軍兵力の全滅を期して企てた。特攻攻撃である。ときにまさに

昭和二十年春であった。

 そして、この壮烈なる特攻攻撃発進の地こそ、当鹿屋であっ

て、以来八十二日間の戦闘は苛烈を極め、日々若人達は黒潮

おどる沖縄へと飛び立った。

 惜しくも青春に富む尊い生命を、祖国のために敢然と捧げた若

人達・・・世上ともすれば敗戦のかげにこのような尊い犠牲を

忘れがちである。

 こんにち、ことの結果がどうであったとしても、これら身を挺して

祖国の難に殉じた人々の祖国愛は称賛されるべきであり、これ

ら若人の至情の精神は、その御霊とともにとこしえに祭られ史実

とともに後世に誤りなく伝えられなければならない。

 その最もゆかりの深い地として、また本土最南端海軍航空基

地として多くの特攻隊員(九〇八名)が飛び立って再び帰るこ

とがなかった最後のこの地この「鹿屋」に、その御霊を祭る慰

霊塔を建立すべく、昭和三十二年十月鹿屋市長を会長とする「

旧鹿屋航空基地特攻隊戦没者慰霊塔建立期成会」が結成され、

全国に協力を呼びかけたところ、市内はもとより、ひろく各方
面から多くの浄財が寄せられた。

 これに基づき、航空隊を眼前に眺望する小塚丘に、その神霊

をとこしえに平和の礎として祭る慰霊の碑を、昭和三十三年三

月二十日に建立したものである。

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