沿革 of 厚木航空基地 公式サイト

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昭和16年
旧日本海軍厚木飛行場は艦載機訓練場として計画し整備がされ、本土防衛の主要基地として役割を果たす。
昭和20年
8月15日 終戦
8月28日 連合軍先遣隊(指揮官ランチ大佐)148人が、同基地に到着する。
8月30日 連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が同基地に到着し、占領政策の第一歩が踏み出される。
9月2日 米軍によって正式に接収される。以降飛行場としては使用されず、一時キャンプ座間の資材置き場として使用されるなど、米陸軍の輸送基地として任務を担う。
昭和25年
10月25日 朝鮮戦争の勃発に伴い、米軍は極東地域に海軍航空基地を必要とし、海軍建設部隊が荒れ果てた滑走路等の建設復旧に着手する。
12月1日 第7艦隊所属艦載機の修理、補給及び偵察基地として「米海軍厚木航空基地」が発足する。
昭和46年
6月25日 日米合同委員会において、厚木飛行場の一部を自衛隊に移管することが合意される。
6月29日 航空管制権が自衛隊に引き渡される。
7月1日 海上自衛隊が同飛行場の維持運営にあたり、共同使用が開始される。名称も「海軍航空施設」となる。
12月24日 海上自衛隊厚木航空分遣隊が編成されるとともに、千葉県下総基地から第4航空群が移駐し本格的な共同使用が開始される。
昭和48年
10月5日 米海軍第7艦隊所属空母ミッドウェーが横須賀を母港化し、以後厚木基地が艦載機の母基地となる。
12月25日 千葉県下総航空基地から、海上自衛隊航空集団司令部と第4航空群残存部隊移駐が実施された。
昭和58年
3月30日 海上自衛隊最初のP-3C部隊である第6航空隊が新編され第4航空群に編入される。
平成20年
3月26日 第3航空隊と第6航空隊が統合される。

基地概要

基地の特色

共同使用基地 日米共同使用基地は、全国に三沢基地(青森県)、岩国基地
(山口県)と厚木基地の3ヶ所があります。

三沢基地は航空自衛隊と米空軍、岩国基地は海上自衛隊と米海兵隊、厚木基地は
海上自衛隊と米海軍との共同使用基地となっています。

三沢及び岩国基地における航空基地としての機能は、米軍が管理していますが、
厚木航空基地の飛行場としての主な機能(滑走路維持整備、航空管制業務)は、
海上自衛隊が管理しています。

自衛隊として重要な機能(部隊)が集中している基地 所在部隊紹介のページで
ご覧に頂けますが、厚木航空基地には、海上自衛隊航空部隊の総司令部である
航空集団司令部をはじめ、航空集団直轄の第51航空隊、第61航空隊及び航空管制隊
が、また航空機のシステム管理に欠かせない航空プログラム開発隊等、海上航空部隊
にとって非常に重要な部隊が集中しています。

密集地にある航空基地 首都圏に近い厚木航空基地は、周辺人口の増加と
米海軍のジェット戦闘機が飛行する基地であることから、騒音問題を抱えています。

任務と訓練に必要不可欠なものを除き不必要な騒音を出さない配慮と、基地周辺に
対する各種協力等を積極的に実施し、国民と基地との共存に努力しています。

離島を管理・運営 第4航空群は、日本本土から遥か彼方の太平洋上に浮かぶ硫黄島
及び南鳥島の基地を維持・管理しています。

これらの島を日本国が保有する意義には、主として次のようなものがあります。

(1)排他的経済水域の確保(半径約370km)
(2)南東航路帯の防衛拠点
(3)騒音問題の是正(NLP(ナイト・ランディング・プラクティス)の代替飛行場として
硫黄島を活用)

厚木基地

昭和20年代の厚木航空基地上空写真

厚木航空基地西側に蓼川、東側を引地川、境川、
及び和泉川がながれ、当時の厚木基地周辺の
風景が見える。