主題: これからの日本のあるべき防衛力(抑止理論の今後の発展を踏まえて)

優秀賞

副題

 ~戦略思考に基づく総合的防衛力の構築~

小池政就

 
 2001年9月に米国本土で起こった同時多発テロは軍事情勢の変遷を象徴づけるものであり、その後に世界各地で勃発したテロ事件とあわせて、各国は顕在化する非対称性脅威はもはや間接的なリスクではなく、自国の安全保障に対する直接の脅威としてその切迫性を認識しつつある。国際関係においてこれまで厚遇されてきた市民社会の負の側面が噴出した形となり、それに国家がどう対処するかという国家対市民社会の新しい対立構造の中で国家レベルでの課題が突きつけられている。

 しかしこの変遷する世界においても、国家の安全保障を高める防衛力向上の基礎となるのは従来通りの地道なプロセスの積み重ねである。それはつまり、明確な国益に基づいて防衛の対象を定め、自らを取囲む安全保障環境と脅威の対象を正確に認識し、その脅威を最小化する為に保持する防衛力を適応・発展させ、法制度の整備を含め有効に対処できる環境を創造していく過程である。脅威が多様化する中で実際には具体的対応が求められていくが、自信を持った個別政策を支えるのは戦略性を備えた強固な安全保障基盤なのである。本稿においては以上の基本プロセスに基づき、現代における日本のあるべき防衛力を提示していく。

 社会が複雑化し国民の観点も多様な現在においては、国益の定義づけは難しく継続した国民レベルでの議論が求められるが、日本の国益の中心は「自国の平和と安全を維持し経済的繁栄を増進する」という事に疑いはない。この安全保障と経済的利益は相互に密接に依存しており、それを支える科学技術と国際貿易の推進という二点をも合わせた複合的な結果として国益というものが形成されている。また、天然資源に乏しく貿易依存度の高い日本にとって国益はもはや外的な脅威から自国の領土を守る事のみでは十分に確保できる訳ではなく、周辺地域および世界秩序の安定を必要条件としている。特に相互依存や科学技術が進んだ今日においては、日本の国益と地域益そして地球益の結びつきが直接・間接的に強くなっており、更なる融合を図っていく必要がある。
 それでは、日本の国益に密接に関連する現代の国内及び国際的軍事情勢をどう捉えるか。際立つのは不確実性の高いリスクの遍在である。内戦と地域紛争は冷戦後においても依然として燻り続け、統治機能を失った破綻国家は国家主体に独占されたはずの物理的暴力を統制する事ができず、大量破壊兵器(WMD)をも含む武器の拡散を見逃し、テロを温存する土壌を提供している。特に米国を始めとした国際社会が最も懸念とするのは、国際的テロ組織とWMDの組み合わせであり、破綻国家がテロ組織を匿い高度な技術の開発と生産設備を支えている場合には、生ずる損害は極めて甚大なものになる。非国家主体による脅威の形態は他にもinformationwarfare、サイバーテロ、市街戦、弾道もしくは巡航ミサイルの使用と多様化しており、米国が進めてきた軍事革命(RMA)をもってしても対処が容易ではない。これらの非対称性脅威に必要なのは国際的警察行動と多国間協調による対処であるが、その能力不足及び同一の脅威認識共有の難しさが集団的安全保障体制の有効性に疑問を呈している。

 国際的な非国家主体の脅威の高まりに加え、日本の周辺地域においては国家の主権に対する執着が依然強く軍事情勢の主アクターとして君臨している。90年代後半の経済危機にも関わらず地域諸国の軍事支出は増大を続け、世界においても最も軍拡化された地域の一つである。域内には現存する五つの共産主義国家の内四ヶ国がひしめき合い、独裁主義国家と国粋主義的国家も多く存在する。歴史的にも冷戦時においてでさえ国家間戦争が多発した地域でもあり、現在もその火種となり得る領土問題は日本を含む複数の国家間の緊張を持続させている。更に最近表面化してきた核兵器をも含むWMDの拡散、地域的覇権国家の出現、破綻国家による瀬戸際政策は地域の軍事的緊張を高め、近い将来における事態の根本的改善は楽観視できない。

 また、自国の安全保障を考える上で国内における治安維持も当然重要である。国内情勢の混沌は内外の安全保障環境を脅かす事になる。近年犯罪数の増加と刑法犯の検挙率低下が顕著になっており、中でも傾向として凶悪犯罪の深刻化、来日外国人の関与、組織化の進展が見られる。国際的組織による犯罪のグローバル化の対処に加え、領海での不審船対策、テロ組織から米軍施設及び原子力発電所等重要施設を防護するという拡大する課題は、従来のような国外は自衛隊、国内は警察という枠組での役割分担では不十分になりつつある。

 このように奇襲性・突発性の高い多様なリスクが遍在する社会においては、日本に求められる防衛力の性質も変遷している。1957年に定められた「国防の基本方針」では国防の目的として侵略からの抑止を掲げているが、冷戦時に想定されていた北方からの侵略を防ぐ目的での自衛隊及び米軍の「存在」による抑止は、今日直面する脅威に対してはその効果は低い。抑止とは説得のプロセスであり、相手の意思決定に影響を与える事によって両者に多大な被害をもたらす紛争を回避するものである。しかし昨今の所謂5W1Hが明らかでない脅威についてはより高い機能性と総合性を備えた防衛力でなければその抑止効果が期待できない。その為には国防、国際秩序安定への貢献、信頼醸成という三分野を防衛力の支柱とし、これらを支える日米同盟、インテリジェンス、そして法的・社会的環境整備を確立してこそ高い抑止力を備えた総合的防衛力が達成されるのである。

 総合的防衛力構築の第一の支柱である国防はこれまで米国に頼ってきた傾向が強く、外からの要請も比較的弱かったために課題は山積されている。国防を構成する段階として、消極的防衛、積極的防衛または拒否的抑止、そして自衛のための打撃力行使の三つを捉えた時に現状全ての段階において自助努力の必要が見受けられる。まず、敵からの攻撃による損害をいかに最小限に抑えるかという消極的防衛では、法的整備はようやく進んできたものの、迅速な対応を可能にする運用面での課題は依然残る。特に指令本部である官邸及び安全保障会議の意思決定の拠り所となる情報の伝達、分析・評価の向上は喫緊の課題である。更に、被害の拡大を抑えるために省庁間及び地方自治体との連携、国民の理解と協力を高める努力と恒常的な訓練も必要とされる。拒否的抑止としては、脅威を水際で阻止するための自衛隊と警察による情報共有と協同対処、ハード面ではミサイル防衛の導入検討も進める必要がある。三段階目として、非対称性脅威の切迫性が高まる社会の中では、自衛のための打撃力保持という選択肢も検討しなければならない。変動する社会においても、専守防衛を普遍的理念として自らを抑制してきた日本は攻撃能力が無いに等しい。これは米国に同盟の矛としての役割を任せてきた為でもあるが、自衛の責任を自らの能力と意思決定で果たすには必要最小限の中長距離投射能力を持つ事も検討の必要がある。能力の保持と強い意志を示す事は抑止力向上にも繋がるのである。但し一方で自衛権の緩用という恣意性の問題を防ぐ為にも、正確な情報分析と共に説明責任を伴う事を忘れてはならない。

 以上の国防の全ての段階の鍵となるのは、日米同盟の連携強化と役割分担の明確化、それに伴う法的整備、そして自衛隊の統合運用能力の改善と再編成である。日米同盟においては役割分担を明確にする中で同盟機能向上の為に何をすべきか、そのために何が制約かを確認し環境整備を進めていく必要がある。圧倒的で独立完結性のある防衛能力を保持する米国に対しては、同盟国の必要な役割として米国の不足する機能を地域的に補完する役割を果たす事が期待されるが、その際にまず武器弾薬の補給、後方支援等の制約となる武力行使の一体化を認める必要があり、予測される大半の役割はこれにより果たせられる。次の段階となる集団的自衛権の行使には国内的抑制の解消だけでなく能力面において自己完結的な防衛力が求められるという課題も留意すべきである。

 総合的防衛力の第二の支柱である国際秩序安定への貢献については、外からの要請・圧力に応える形で対応を拡大してきたが、自国の防衛の一貫として捉える必要性が出てきている。1990年代初めからこれまでの適応は評価されるが、依然として武器使用基準には制限があり国際貢献活動を抑制しているのみならず、自衛官の安全をも脅かしている。予防的性質を備えた軍事・非軍事的活動を通し、自らの国益を促進する国際秩序の安定に能動的に取組む姿勢が期待される。

 最後の支柱である信頼醸成も、地域及び国際間の相互理解を深めながら内外の緊張を緩和させていく手段として重要性が高まっている。国防の手段として抑止力の向上は必要だが、抑止の負の側面である緊張の高まりや軍拡競争の激化の主原因とされる相互の認識不足を改善する事も重要である。政府間レベルだけでなく、例えば現在予定されている日中の部隊間での相互訪問等、軍事力の透明性の向上を通して信頼を醸成していく努力も求められる。異なる歴史や文化に囲まれた中で同様に異なる意思決定の基準を持つ相手との差を埋めていく努力が内なる平和を築いていくのである。

 安全保障は現状における様々な要素で構成されるものであり、国家は市民と軍事・非軍事面での国力の全てを結びつけて相乗作用を及ぼしながら多様化する不確実性に対処しなければならない。防衛力を支える抑止とは、必ずしも恐怖の均衡による平和の確保が目的なのではなく、他の外交手段との連携により脅威を低減させていくための暫定的な戦略でもある事を忘れてはならない。これからの日本に必要なのは、多様化する脅威から自らを守る強固な国防力と、脅威を低滅するための能動的な環境創りを融合した、総合的防衛力なのである。 

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