MAMOR (広報誌)2017年5月号

日本の防衛のこと、もっと知りたい!

MAMOR(マモル)は、防衛省が編集協力をしている唯一の広報誌です。
防衛省の政策や自衛隊の活動を分かりやすく紹介し、国民とともに防衛を考える広報誌を目指しています。

2017年5月号(3月21日発売) FEATURE

2017年5月号表紙

特集

ヒトマル戦車。護衛艦『いずも』、F-15戦闘機・・・・・・
自衛隊の
どうやって付けられるのか?

Military Report

防大生へ。硫黄島からの伝令
防衛大学校 硫黄島研修隊

編集後記

編集長 高久 裕

 自衛隊が持つ車両や航空機についている名前は、「F-2」、「C-1」などのように、アルファベットや数字を並べた無味乾燥なものが多い。が、しかし、中には、「チヌーク」や「イーグル」などのようにニックネームで呼ばれる装備品もある。やはり、人間と同様、装備品も愛称がついているほうが親しみが湧くものだ。そこでマモルでは、自衛隊の最新装備品に、勝手にニックネームを付けてみた。名付け役をお願いしたのは、“しょこたん語”で一世を風びした中川翔子さん。命名すべく選んだ装備品は、世界に誇る名車「10式戦車」、日本で開発された哨戒機「P-1」、飛行場に配備されている「救難消防車Ⅱ型」の3つ。はたして、どんな名前になったでしょうか? ええっ? 10式が□○×△!? 気になる方は、ぜひ、本誌をご覧ください。

特集 取材後記

ヒトマル戦車。護衛艦『いずも』、F-15戦闘機・・・・・・
自衛隊の名は
どうやって付けられるのか?

編集ディレクター 出口 直樹

 今号の特集では、これまで取り上げていそうで取り上げていなかった、自衛隊のさまざまな「名前」にフォーカスしてみました。「名は体を表す」という言葉があるように、弊誌のコンセプトでもある「日本の防衛のことを知る」ためには、自衛隊の名前を正しく理解することが近道のひとつと考えたからです。例えば陸上自衛隊の『74式戦車』は、1974年に制式採用された戦車なので、西暦の後ろ2桁を取って名前に「74」が付いています。同様に『90式戦車』であれば「1990年に制式採用された」というように、名前を知るだけで、戦車の採用時期が分かるのです。では、部隊名に付いている「数字」は何を表しているのか。またその命名ルールは、陸・海・空自衛隊ごとに違うのか。はたまた「ブルーインパルス」などのニックネームは、どのように生まれたのか。制作を進めるにつれて次々に新しい疑問が浮かび上がりましたが、防衛省に全面バックアップしていただきながら一つひとつ丁寧に解説していますので、ぜひ手に取ってご覧いただけると幸いです。

カメラマン 江西 伸之

 陸・海・空各自衛隊の装備品の多くにはニックネームで呼ばれているものが多々あります。特集では未だニックネームのない装備品に対し、より一層の親近感をもってもらうべく名前をつけてもらいました。
 名付け親になってもらった中川翔子さんといえば、"しょこたん語"による新たな表現が代名詞です。すんなりと簡単に名前をつけられるのかな、と思っていたのですが、撮影中ずっと装備品の写真を見ながら真剣に考えていらっしゃいました。自衛隊に対する、中川さんの真摯な姿が見えたような気がしました。
 振り返れば、元自衛官である自分も北海道でレンジャーになるための訓練では"猛熊(もうゆう)戦闘隊"と呼ばれ、仲間同士互いに士気を高めていました。また、所属旅団も地元の皆さんから親しみを込めて"熊旅団"と呼ばれていました。
 地域との絆を大切にする自衛隊です。愛称からも地域の皆さんとの距離感や文化、歴史、風土などが見えてくるのではないでしょうか。
 ぜひ今回の特集を機に、それぞれの装備品、部隊、そして地域の特色などに思いを巡らせてもらい新たな発見を楽しんでもらえれば幸いです。

 

Military Report 取材後記

防大生へ。硫黄島からの伝令
防衛大学校 硫黄島研修隊

ライター 臼井総理

「字数が足りない!」
 今回の「執筆後記」はこの一言に尽きる。
 私も原稿書きを生業とする者、与えられた字数の範囲内で表現するのが仕事だ。
 が……とにかく今回はもっともっと書きたかった。言いたいこともあった。
 もちろん、記事はいいものに仕上がったと自負しているが、それ以上に書きたい内容の多い、非常に濃い取材だった。
 うまく文章で伝えられたかどうか不安もあるが、硫黄島の「壕」は、想像以上の厳しい環境だった。沖縄の海軍司令部壕や松代大本営跡なども見学したことはあるが、そのどれとも違った。こんな狭く暑苦しい壕に籠もって戦うなど、同じ人間にできるのだろうか、と思うほどの劣悪さ。先人たちが味わった労苦、いや『地獄』をほんの少し覗けただけでも、私にとって良い経験になった。
 硫黄島訪問は、私自身の夢でもあった。幾度か、知り合いを通じて遺骨収集のボランティアに加われないかと探ったこともあるほど。それが今回叶ったというだけでも嬉しかったのだが……行けば行ったで、もっと見たい、と感じるのもまた不思議なものだ。

カメラマン 長尾 浩之

 私は取材後、硫黄島へ撮影に行ったことを周囲にたびたび話をしている。
 家族を思い、国を思い亡くなられていった方々の魂がそうさせているのかもしれない。
 あの有名な摺鉢山、大粒の砂利に覆われた南海岸。錆びてはいるが、まだ形をとどめている戦車や機関銃。高温多湿で硫黄臭が息苦しい地下壕。いつか戦史の写真で見た、まさにあの映画で見たその光景が 目の前にあった。いやいや「映画の場所」ではない。ここで起きた本当の出来事が映画化されたのだ。そこを忘れてはいけない。
 防大生のみならず硫黄島に足をつけた者は 皆「時代の伝令」として硫黄島で起こった出来事を伝える義務があると思う。そのような気持ちで取材撮影にあたり、防大生と共に黙祷をささげました。


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