MAMOR (広報誌)2017年3月号

日本の防衛のこと、もっと知りたい!

MAMOR(マモル)は、防衛省が編集協力をしている唯一の広報誌です。
防衛省の政策や自衛隊の活動を分かりやすく紹介し、国民とともに防衛を考える広報誌を目指しています。

2017年3月号(1月21日発売) FEATURE

2017年3月号表紙

特集

見事に咲きましょ、
自衛隊 同期の

Military Report

松島基地、ついに完全テイクオフ!
航空自衛隊第4航空団

編集後記

編集長 高久 裕

 防衛省は2017年1月9日に、防衛庁からの組織移行10周年を迎えました。そして防衛省・自衛隊の広報の一翼を担う本誌も、17年1月21日発売号で創刊から10周年を迎えました。これも、支えていただいた、読者をはじめ関係者の皆さまのおかげと、感謝して止みません。防衛省と『MAMOR』は、同じ年の同じ月に誕生し、同じ年月を刻んできた「同期」でもあるのです。
 そこで、10周年記念号の特集は「同期の桜」。自衛官の「同期」意識は、一般の学生や社会人のそれと、根本的な意味が違うようです。組織の精強さにつながる「命を預け合う」同期の絆。その秘密に迫ります。
 そのほか、ジャーナリストの橋本五郎さんと檀蜜さんが、防衛省の10年を総括したり、軍人の同期について、中村獅童さんが語ったり、とゴージャスな特集が満載。ぜひ、手に取ってお読みください。

特集 取材後記

見事に咲きましょ、自衛隊同期の

ライター 岡田 真理

 学校の同期、部活の同期、入社の同期など、人それぞれにさまざまな「同期」がいます。希望や不安を抱えながら新しい環境に飛び込み、苦楽を共にした同期は、他とは違う特別な存在だったりするのではないでしょうか。
 今回は、自衛隊の「同期」とは?という特集です。自衛隊では、お仕事を覚える過程でさまざまな教育を受けるため、入隊後だけでもさまざまな同期がいます。
 ・ 入隊直後の数カ月~数年を共にした同期
 ・ 専門職の教育課程を共にした同期
 ・ 昇任などのための教育を共にした同期
 ……などです。私が自衛隊に関わるようになってから10年あまり、自衛官のみなさまと接するにつれ、「自衛隊の同期の絆は特別なものがあるんだな」と常々感じていました。その背景にはなにがあるのか……今回は、ある「同期」たちにお話を聞くことができました。
 取材したのは、「174期幹部及び175期陸曹空挺レンジャー課程」の同期のみなさん。2009年に本誌の連載で訓練課程を密着取材させて頂いた、あのメンバーです。
 当時を振り返りながら、「同期とはどんな存在なのか」「なぜ同期の絆が生まれるのか」を本音で語って頂いています。「同期」というキーワードから、あらゆる人間関係を構築する上でのヒントにもなるような有意義なお話が聞けました。ぜひご覧ください!

174期幹部及び175期陸曹空挺レンジャー課程

カメラマン 近藤 誠司

 「レンジャー」ということばを人生で最初に覚えるのは、おそらく幼少時代の戦隊もので、赤レンジャーや青レンジャーの類いがお決まりだと思う。そして小学生になる頃には興味は他のものに移り、その後の人生ではほぼ使う事の無い単語になってしまう。今回の撮影に携わるまでは自分もそうでした。
 この撮影に際して「レンジャー」について調べたりMAMORの過去の記事を読み、実際に体現している彼らに接して「レンジャー = 5色のヒーロー」という固定観念が「レンジャー = 迷彩の猛者」に置き換わりました。
 「第一空挺団のレンジャー訓練は過酷さにおいて最高」との前情報どおり、過去記事の最終訓練の様子や当時を振り返っての座談会の会話が普通じゃない。滑落を意味する「フォール」や意識を失うという言葉が飛び交っていました。真っ暗闇の山中で意識喪失や滑落する者が出てくる状況は完全な非日常で、仲間の絆を強くしない訳がない。
 撮影日は11月では50年ぶりという積雪の中、完全防備で臨んだ僕とは対照的に、どう見ても薄い戦闘服の隊員たち。撮影中、「寒い」を合い言葉のように言い合う取材班に対して、誰一人寒いと言わない隊員たち。レンジャーは心だけでなく身体も強いと思い知らされた1日でした。

174期幹部及び175期陸曹空挺レンジャー課程

Military Report 取材後記

松島基地、ついに完全テイクオフ!

ライター 魚本 拓

 松島基地の取材から帰ってきた翌日、東日本大震災で被害を受けた、仙台・石巻間を走る仙石線についてのNHKの番組が偶然にも放映されていました。まさに前日に乗車していたその沿線の運転手や車掌以下、震災当日に電車に乗り合わせた人たちが、どのような避難行動をとったのか、という内容でした。番組ではまた、破損の激しい駅は高台に移設されたことも伝えていました。実は2013年にもブルーインパルスの取材で松島基地へ赴いたのですが、そのときは仙石線はまだ復旧しておらず、代替のバスでの道中、津波による被害の痕が生々しい駅や住宅地の様子を目にしています。基地の近くにも、瓦礫など、津波で流されたものたちがうず高く積まれた光景がありました。それから三年後に訪れた同地は、仙石線をはじめ、かなりの復興を遂げていました。松島基地も同様で、前回の取材時に、なんと既存の巨大な建造物をそのまま嵩上げして高所化するという作業が進められていたブルーインパルスの格納庫が完成していました。今回の「ミリレポ」ではこうした松島基地を中心とした、震災での被災から復旧・復興までの道のりを取材しています。あの日、松島基地で何が起きたのか。その後、隊員たちはどうのような活動をしたのか––その軌跡をたくさんの方にお読みいただければ幸いです。

松島基地

カメラマン 村上 淳

 格納庫やエプロンをかさ上げし、F2やブルーインパルスが帰還し、完全復活を遂げた松島基地を取材しました。
 大勢の「笑顔」を撮らせてもらいましたが、隊員たちの恥ずかしそうな笑顔、緊張している笑顔、決めポーズでの笑顔など様々な笑顔がありました。
 周りを見渡せば未だ震災の爪痕が残っていたり、当時の話はやはり今聞いても胸が苦しくなりますが、悲しみや困難を乗り越えてきた彼らの笑顔は、逆にこちらが元気をもらえたように感じました。今回はそんな松島基地の皆さんの笑顔をご覧いただければと思います。

松島基地


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