防衛副大臣インタビュー
自衛隊員が縦横無尽に働ける場を
政務三役が作らなければと強く思います
Q:東日本大震災における自衛隊員の活動により、今までにないほど自衛隊への注目が高まっています。そういう時期に防衛副大臣に就任されたわけですが、就任当時のお気持ちをお聞かせください。
A:「静岡県会議員を経て平成8年に衆議院議員に当選して以来、約15年経ちます。そのうち半分近い年月は、安全保障委員会や事態対処特別委員会、テロ対策特別委員会、テロ・イラク特別委員会といった安全保障関係に関わっていました。そのため、ご連絡いただいた時は大変ありがたく、今までの経験を生かせるという思いがこみ上げ士気も上がりました。現在は大臣を支え、目配り気配りをしながら実務を担う毎日です」
Q:実務を通じての防衛省・自衛隊に対する印象はどのようなものですか。
A:「私は静岡県の出身なので、昔から地元の駐屯地や基地、御殿場の演習場などによく足を運んでいました。国会議員になってからもそれは変わらず、自衛隊と接する機会は多く、北は稚内、南は宮古島のレーダーサイトまで行きました。ただし平成21年までは、野党としての立場での訪問です」
「副大臣になってからもすでに何カ所か訪れましたが、今はそのたびに自分が指揮命令系統の中にいるのだと実感します。また、これは副大臣に就任する以前からですが、駐屯地や基地を訪れるたび、規律正しい隊員を頼もしく感じます。私が到着するずっと前からきちんと整列して待ってくれている、その一糸乱れぬ姿を見ると、おのずとこちらの背筋も伸びますね」
「自衛隊員は私たちの誇りとするところです。彼らを励ますだけでなく、より使命を果たせる環境作りをしていこうという思いを新たにしているところです。野党時代は提言するだけでしたが、現在は執行できる側にいるので、自衛隊員が縦横無尽に働ける場を政務三役が作らなければと強く思います」
Q:政治家になる以前、新聞社で記者として勤務されていた時期がありますが、その経験が現在の職務に生かされるようなことはありますか。
A:「隊員たちに向けてあいさつする時などは原稿をあらかじめ用意していくのですが、もっと彼らの士気を高めるにふさわしい言葉はないのか、違う言い回しの方がより勇気づけられるんじゃないかと考える癖がついていますね。これは記者時代に身についたものでしょう。ですから実際に話すときは原稿通りではなく、アドリブで変えてしまうことが多いです」
Q:就任されてから印象深かった出来事はおありですか。
A:「先日、硫黄島に行きました。副大臣になってからは初めてですが、それ以前にも2度訪れています。硫黄島には海上自衛隊と航空自衛隊の基地があり、それぞれの隊員が常駐しています。そのときはそのまま足を延ばして日本最東端の南鳥島にも行ったのですが、東京から約2000キロメートル近く離れたこの小さな島にも海上自衛隊の航空派遣隊が置かれ、隊員たちが働いていました。こんな絶海の孤島、領海ぎりぎりの淵にも自衛隊がいて、日本を守っているということに感銘を受けました。装備品が充実している駐屯地、基地祭や航空祭が人気の基地などばかりが注目されがちですが、こうして全国津々浦々、人の目に触れない場所でも自衛隊が守ってくれているのだと、改めて感じ入りました」
「硫黄島は本土防衛の最後の要として、アメリカと35日間にわたって激戦を繰り広げた場として知られていますが、そういう島に今も自衛隊がいることは感慨深く、敬意と感謝の念を抱いています。今後も時間の許す限り多くの駐屯地や基地を訪れたいですね。しかもこれまで政務三役がなかなかいけなかったような離島や辺境の、小さな部隊の隊員たちに会いに行きたいです」
Q:全国の自衛隊員に対するメッセージをお願いします。
A:「東日本大震災で自衛隊員の働く姿を見て、日本にはこれほど頼もしい人たちがいるのかと思った国民は多いはずです。以前は迷彩服姿の隊員に怖いとかものものしいといったイメージを持っていた方が、震災の際には迷彩服を着た隊員を見かけるとほっとしたという話も耳にしました。被災者の方々のために泥まみれになって働くその姿が、人の気持ちを動かしたのです」
「国際社会においても同じです。自衛隊が外国の地で汗を流す姿から、海外の人は日本という国を知り、日本人を理解します。そして自衛隊員の誠実な仕事ぶりが高く評価され、別の機会にも『自衛隊に来てほしい』と依頼されてきました。ですから自衛隊員には、日の丸を、日本を背負っているのだという意識を持ってほしいのです。特に震災で日本人が見せた、逆境であっても道徳心を忘れず秩序を守る国民性には、多くの国が感銘を受け、日本と日本人に対する評価が高まったと思います。今後派遣される国際協力活動においても、そういう評価を受けている国から来たということを忘れず、日本を体現するつもりで活躍してほしいです。海外へは行かず日本に留まる隊員も同様です。それぞれの持ち場で、自分は日本を背負っている自衛隊員なのだという意識を持っていただきたいと思っています」
Q:渡辺副大臣が政治家を目指された動機をお聞かせください。
A:「私は父親が政治家のいわゆる二世議員ですが、若いころは政治家になるつもりなど毛頭ありませんでした。というのも、父は私が5歳から15歳までの10 年間、落選し続けたんです。感受性も豊かで人間形成が大事な時期に、父親の落選する姿を何度も見るって、これはなかなか切ないものがありますよ。小学生のころなど、同級生たちが選挙ポスターの父の顔写真を傘で突いたりして、もうそのやるせなさといったら(笑)。だから正確にいうと、政治家になるのが嫌だというよりも、選挙をやる家にいることが嫌でした。それでも学生のころから議員会館に出入りするようになり、政治というものを意識し始めた昭和58年、大韓航空機撃墜事件が起きました。衝撃でしたね。当時は冷戦の真っただ中で、大韓航空機が墜落したのは宗谷海峡沖。そんな近くで、民間航空機が戦闘機に撃墜されるというとんでもないことが起きたわけです。日本という島国は常に危険と隣り合わせじゃないかと、あのとき初めて実感しました。その後もいろいろ思うところあって政治の道へ進むことを決意したわけですが、やはりあの大韓航空機撃墜事件はきっかけのひとつになったと思います」
Q:休日の過ごし方やご趣味を教えてください。
A:「地元に帰らず東京にいる時は、お茶漬けの具材を買いに行ったりしています。新橋や銀座とか、物産展をやっている所にぶらりと行って、昔の製法で作ったナメタケだとか、瓶詰のちょっと高級そうな野沢菜とか買うんです(笑)。だから議員宿舎の冷蔵庫の中は、お茶漬けの具材がいっぱい。そういう小さなものを細々買うのが楽しくて好きなんですね。駐屯地や基地を訪問した際も、そこの売店で何かしら買ってきます。南鳥島ではポストカード、鹿屋では海軍カレー、防衛省内の売店でも耳かきを買いました。それから私は乗り物好きなので、各地の駐屯地や基地を訪れるというのは、個人的にも楽しいですね」
Q:最後に、国民の皆さんへメッセージをお願いいたします。
A:「防衛問題や外交は、国民の皆さんの関心が比較的薄い分野と言われがちです。それはおそらく、日々の暮らしとの接点を見出しにくいと思われるからかもしれません。しかし国の安全を考えなければ、国の発展はありません。ぜひ世界の中の日本、日本から見た世界、自衛隊を通しての防衛問題といったことに関心を持っていただきたいです。特定の人間だけが日本の防衛を考える時代は終わりました。今はこの国をどう守るか、国民一人ひとりが考える時代を迎えているのだと思います」
文/渡邉陽子 撮影/岡戸雅樹
(MAMOR 2012年2月号より)
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