石破防衛大臣スピーチ

第7回IISSアジア安全保障会議
(2008年5月31日、シンガポール)
石破防衛大臣スピーチ(仮訳)
「東アジアの安全保障の将来」

[はじめに]

 アイスブール会長、チップマン所長、ご来賓の皆様
4年振りにこの地域の安全保障上の課題について話す機会をいただきましたことを嬉しく思います。
まずはじめに、ミャンマーにおけるサイクロンの被害、中国四川省における地震の被害に対して、心より哀悼とお見舞いの言葉を申し上げます。
我が国として、各国との協調の下、可能な限りの支援をする用意のあることを、ここに改めて表明したいと思います。

[冷戦期の東アジア]

 さて、東アジアの安全保障の将来、というテーマを与えられました。この地域における重要な安全保障上の課題のそれぞれについて、順次私の考え方を述べさせていただきます。
この地域の重要なキーワードは「多様性」です。多くの民族、多様な宗教、異なる国家体制、大きな経済間格差が存在しています。欧州とは異なり、島嶼国家が多く、いくつかの領土問題が存在しているのも特徴です。これらの「多様性」はそれぞれが紛争の要因となりうるものです。
冷戦下においては、第三世界の存在はあったものの、世界は大きくアメリカを盟主とする西側、ソビエトを盟主とする東側に分かれ、東アジアもその例外ではありませんでした。米ソ共に強力な核兵器を有し、いったん全面戦争となればそれは人類の滅亡をもたらすものになる、との「恐怖の均衡」の下、様々な紛争の要因が潜在化した、奇妙な大規模な戦争の無い時代が冷戦の時代でした。これは決して道徳的なものではなく、「平和の時代」と呼ぶことも適当ではない時代でした。
冷戦の終結後、一部の人々は、これで平和な時代が到来すると考えました。しかしすぐに、冷戦下では潜在的であった要因が顕在化するようになりました。
冷戦期はまた、二つの大戦と同様に、「戦争」の意味を変えた時期だったといえるでしょう。かつてクラウゼヴイッツが「戦争は軍事力を使用した政治の延長である」と述べたようには、もはや軍事力を国家政策遂行のための道具として使用することは難しくなりました。現代にあっては、軍事力の本質は「抑止」に重点を置くものとなったのです。

[9.11テロ後の世界]

 冷戦後の世界で新たな脅威として現れたテロについて述べます。
さらに、9・11同時多発テロは、テロリストやテロ集団が、従来は国家しかなしえなかった強力な破壊行為を実行し得る、との極めて困難な時代の到来を告げるものでした。テロリスト、或いはテロ集団には、懲罰的抑止力が機能せず、主権国家でないため国連の枠組みも充分に有効ではありません。「国際紛争の解決」を目的とした国連を中心とする現在のシステムが今後とも有効に機能するかについて、重大な問題が提起されたのです。
テロの大きな特徴の一つは「民主主義の全否定」です。我が国においては1995年に狂信的な宗教団体「オウム真理教」による大規模なテロが発生し、多くの人々が殺傷されました。あまり知られていないことかもしれませんが、彼らはテロを実行する数年前、政党を結成し、民主主義によって彼らの考えを実現するべく幹部の多くが国政選挙に立候補し、全員が落選しました。民主主義では自分たちの考えは実現できない、しかし武力で実現しようにも、警察にも自衛隊にも到底対抗できない。その事実に直面した彼らが選んだのが、無関係な市民という弱い人々を狙い、恐怖を連鎖させ、社会を崩壊させようとするテロ行為でした。
「いつ、どこで、誰が、誰から、どのようにして攻撃を受けるかわからない」「いつが始まりで、いつが終わりなのかもわからない」実に困難なテロとの長い闘いの中に我々はいるのです。
民主主義、基本的人権の尊重、信教の自由、思想や言論の自由など、我々の尊ぶ価値観を否定する行為には断固として立ち向かわなくてはなりません。テロの本質が、「恐怖を連鎖させ、体制を弱体化させる」ことにある以上、「テロには決して屈しない」との強い国民の意思が必要であることは言うまでもありません。

このように、「冷戦後の紛争要因が顕在化する時代」そして「テロとの困難で長い闘いの時代」に我々は生きていかなくてはなりません。そのためには、いくつもの重層的な取り組みが必要であり、その中で我が国はいかなる役割を果たすべきなのかを更に明確にしたいと考えます。

[バランス・オブ・パワーの検証]

 次に、今日の変化しつつある安全保障環境におけるバランス・オブ・パワーの意味についてお話します。
私は、かつてアメリカのウィルソン大統領が「諸国間の利害の対立は、国際連盟における理性的な話し合いと国際法の強化によって解決できる」と主張したような、理想主義的考え方であるウィルソニアン・パラダイムを否定するものではありません。しかし同時に、「世界政府も世界警察も存在しない以上、勢力を均衡させておくことが紛争防止のために有効である」とのリアリスト・パラダイムもまた、極めて重要であると考えています。
ゆえに、東アジアの安定を考えるには、この地域において「バランス・オブ・パワー」が有効に機能しているかについての不断の検証が必要だと思います。バランス・オブ・パワーの機能には、能力、法制度、条約、運用構想など、あらゆる面があり、各国の相互理解と交流が不可欠になります。

[中国の台頭]

 東アジアの安全保障の将来にとって重要な中国の役割について述べます。
東アジアの安全保障及び世界全体の将来にとって、政治面、経済面、軍事面での中国の重要性が増していることは、大きな変化です。
私は、世界最大の人口を有し、多くの民族が存在し、多くの国と国境を接する中国を統治することの困難性をよく認識しています。中国が安定的に発展し、地域の安定と世界平和のために大きな力を発揮することを期待します。我が国は中国を徒に脅威として喧伝することには賛成しません。しかし、中国に対しては、保有する軍事能力とそれを用いる意図について、更に透明性を高めることを強く望みたいのです。
この点から、安全保障問題を含む近隣諸国との対話がさらに強化されることを期待します。

[日米同盟の信頼性強化と集団的自衛権]

 次に、日米同盟の信頼性強化と我が国の役割、さらに日米同盟とアジア外交との共鳴について述べます。
現在、世界第一・第二の経済力を有する日本とアメリカの日米同盟は世界でも最強の同盟関係の一つとなっています。この日米同盟はその軍事的価値とともに、二国関係の文脈だけでなく、今後はより広く、地域の公共財として活用されるべきです。米軍のプレゼンス、そして意思と能力を高めた日本が、ともに地域の諸課題に取り組むことは、アジア太平洋地域の平和と安定にもプラスとなるからです。
 かつて英国の宰相パーマストンが「我が英国にとって永遠の同盟も、永遠の敵も存在しない。あるのはただ英国の国益のみである」と述べたことは、真理であると考えます。日本とアメリカはその国益が重なる部分が大きいため、これまで同盟が維持されてきました。その中核は今後とも「東アジアの安定」であり続けるでしょう。

 多くの方がご存知のとおり、日米同盟は「非対称的双務関係」であると言われています。即ち米国は日本防衛の義務を負うが、日本は憲法の制約から集団的自衛権を行使することが出来ないため、米国を防衛することが出来ない。その代わりに、日本防衛のためだけではなく、極東の平和と安全の維持に寄与する米軍のために日本の基地を提供する義務を負っているのです。これは世界でも極めてユニークな同盟関係です。
 我が国の中には、「日本が攻撃されたら他国に助けて貰うが他国が攻撃されても日本は何もしない」というのは不道徳であり、他国からも信頼されないのではないか、だから集団的自衛権を行使できるようにすべきだ、との考えが一部に強くあります。
現在日本政府として、憲法を改正したり、解釈を変える予定はありません。しかし、将来この問題が国会で議論されるときには、日本が集団的自衛権を行使する場合、どのような条件が必要か、議会はどのように関与すべきかを厳格に定め、集団的自衛権の名のもとに侵略行為をすることのないようにするべきでしょう。そして、アジアの人々にかつて日本が与えた悲しみと苦しみを、今の日本人も正確に理解し、アジアの人々の信頼を得ることが大きな前提となるものと考えています。

我が国においてはしばしば、「日米同盟強化か、アジア外交重視か」が論争となります。古くは明治時代にも、「脱亜」対「入亜」という論争がなされました。しかし、この問いは、そもそも誤った問題設定です。なぜなら、日米同盟の信頼性強化とアジア外交の強化は、二者択一ではなく、同時に達成できるものだからです。また、同時に達成することこそが、アジアと西洋民主主義の双方にアイデンティティを持つ我が国が目指すべき道ではないでしょうか。我が国は、多様な文化が交差するこの地域において、開かれた協力を推進する役割を果たしたいと思います。
そしてこの観点から、我々は、米国が進めているグローバル・ポスチャー・レビューに対しても主体的に取り組み、地域全体としての力の均衡を維持しうるよう、連携して取り組むべきものと考えます。

〔我が国の核政策について〕

 ここで、外国の方からよく頂く質問について簡単に触れておきたいと思います。
昨年北朝鮮が核実験を行なった際、日本も核兵器を保有すべきであるとの意見が出されました。しかし、我が国は現在も、そして将来においても核兵器を保有する考えはありません。
世界で唯一の被爆国である日本が核兵器を保有することは、そのままNPT体制の崩壊につながります。私はNPT体制が不完全なものであると認識しており、その不公平な面も否定しません。しかし、今よりもはるかに多くの国々が核兵器を保有するという悪夢のような世界よりはベターな体制だと信じています。
我が国がなすべきは核武装ではなく、米国の核抑止力の信頼性を更に高める努力を続けることと、六ヶ国協議を粘り強く続けるなど、大量破壊兵器の拡散防止のために更なる努力をすることだと考えています。

[紛争の未然防止]

 同時に、紛争を未然に防止するための手段につき、コンセンサスを得るための努力を重ねることも重要です。国家間においては、当然のことながらあらゆるレベルにおける信頼関係を築いていくことが必要であり、政治レベルの交流もさることながら、軍人同士の交流も更に深める必要があることを痛感しています。
なぜなら、軍人は合理的に思考するものであり、軍人の政治に対する助言は、武力の使用に反対のときに最も説得力を有し、その使用に賛成のときに最も影響力を持たないものであるからです。軍人がプロフェッショナルとして、その国家の軍事的能力を理解することで、脅威に対する誤解――意図と能力の掛け算たる脅威の「能力」部分の誤解――の多くが解消されると信じるからです。

我々はまた、それぞれの国において、言論の自由が保障され、情報公開が十分になされるように務めなくてはなりません。
かつて我が国は、世界の多くの国を相手に開戦し、兵士たちは祖国のために勇敢に戦い、そして敗れました。日米開戦の8ヶ月前の1941年4月、日本政府は若きエリートを集めて「仮に米国と戦った場合どうなるか」という研究を開始させ、彼らは同年8月には「緒戦は勝つことが出来ても、やがて国力の差により戦争継続は困難となり、必ず敗れる」との結論に達しました。しかし、この事実は国民に全く知らされることなく、無為な精神論のみが横行し、結局同年12月に開戦するに至ります。
私は民主主義国家が常に平和愛好的であるとは必ずしも考えません。民主主義は危険なナショナリズムの高揚を助長する危険性を常にはらむものであり、それを遠ざけるのは十分な情報公開と、言論の自由の保障なのです。

[自衛隊の国際平和協力活動]

自衛隊の国際平和協力活動についても一言申し上げます。
我が国は戦後、六十数年に亘り、民主主義に基づく平和国家としての道を歩んできました。そして我が国の自衛隊は、この平和国家としての誇りを胸に、あらゆるパートナー国とともに、国際平和協力活動の経験を積んできました。イラクにおける空輸活動やインド洋における給油活動は、今でも継続しています。
しかしながら、これら二つの活動は時限立法であり、インド洋での補給支援活動は来年1月、イラクでの空輸活動は来年7月にその期限を迎えます。このように新たな事象を受けて一つ一つ法律を作っていく方法が、我が国の姿勢として正しいのか、という議論が、日本国内において提起されています。
我が国は、この地域および世界中の様々な国と安全な海洋航路から多くの恩恵を被っています。ゆえに、我が国は世界の平和と安定に責任があります。
この責任を果たすために、我が国として何をすべきか、憲法の制約の下で何ができて、何ができないのか等を、先入観なしに真剣に検討し、国際社会の協力要請に主体的に応えるためのメニューを示す「一般法」を作るべきだと私は考えます。この過程において、我が国の国際平和協力活動は国連の要請を必要条件とすべきか、活動のメニューは人道復興支援や後方支援だけでよいのか、武器の使用基準はどうするのか、議会はこれにどのように関与すべきなのか等を真剣に議論すべきだと思っております。
福田総理が掲げる「平和協力国家」を実のあるものにし、再来年に設置されるPKOセンターを地域の公共財として役立てるためにも、我が国の活動の理念と枠組みを整備してまいります。

[組織改編]

防衛省改革についても説明します。
防衛省の政策的枠組み、組織構造、装備体系は未だ変わっていません。これらは冷戦構造下における我が国の本土防衛という任務を遂行するために最適化されたものであり、これを今の時代に適合したものに早急に改めなくてはなりません。
現在日本政府内では、防衛省改革に向けた取り組みが進められています。文官と制服自衛官の混合体制を更に進めることによって、政治の意思決定が迅速かつ適切に行なわれ、最も相応しい装備体系が整備され、自衛隊が諸外国とともに国際平和のために更に円滑に活動できる態勢を整えることがその大きな目的です。私はこの早期の実現のためにも、努力したいと考えています。

[テロとどう向き合うか:地域の拒否的抑止力の強化]

 我々はまた、テロとどう向き合うか、というもう一つの課題にも対処しなければなりません。
「貧困と圧政がテロリズムを生む」というのは一面の真理です。テロや暴動は、必要最低限の衣食住が満たされない、という絶対的な貧困よりも、他国の国民との経済的境遇の格差という相対的な貧困に由来する場合が多いのです。しかし、貧困の解消も、政治体制の変更も、決して容易なものではありません。貧困が解消され、政治が変わっていくというシステムが、人々の地道な努力によって整えられていく必要があります。我が国は、単なる経済的な支援にとどまることなく、必要なあらゆる支援をしていかなくてはならないと考えます。

他方、テロに懲罰的抑止が機能しないとすれば、我々に残された方法は拒否的抑止の総合的な能力を向上させることだと考えています。
 日本が整備を進めているミサイル防衛システムもその一つに位置づけられます。弾道ミサイルという破壊力を懲罰的抑止力の効かない主体が手にした時、その恫喝に屈しないためには、ミサイル攻撃を無力化するシステムが必要です。
 そして我々は、適時に国民を避難させうること、そのためのインフラを整え訓練を積むことによって、どのような攻撃によっても国民に犠牲が出ない、だからどのような攻撃も恫喝も意味がない、という強い拒否的抑止力を手に入れなければならないと思います。
 また、このような拒否的抑止力の強化は、もはや一国のみで行うべきものではなく、地域全体で協力しつつ向上させていくべきものではないでしょうか。韓国は民間防衛について高い知見を有していますし、シンガポールのインフラは抗たん性の高いものとなっています。地域の各国がそれぞれの経験と知識を活かして、地域全体の拒否的抑止力をどう向上させていくか、という視点を持つことが、この地域における安全保障協力をさらに進めていく鍵となりうるのではないでしょうか。

[おわりに]

 冒頭から申し上げている我々の地域の「多様性」は、実は単なる紛争要因ではありません。これはまた、未来に向けた可能性を示唆してくれる言葉でもあります。
我々は、「多様性」の中で、自然と調和して生きていくすべを知っています。互いの民族の有する歴史や伝統、文化や宗教を理解し、尊重することの重要性について知っています。西欧的な価値観がただ一つの真理なのではないことを知っています。
これらは全て、今世界中で起こっているあらゆる脅威に対処する際のヒントとなりうるものです。
我が国がイラクの復興支援のために陸上自衛隊を派遣する際、隊員たちはまず、イラクの宗教や文化、さらには簡単な日常会話を学びました。勿論短期間で出来ることは限られていましたが、その国の歴史と文化を敬う姿勢は、自衛隊の任務の円滑な進行に大きく役立ちました。これは、なにも我が国独自の施策ではありません。この地域に脈々と受けつがれた、アジアの知恵だと私は考えています。
 この、我々が共有しているアジアの知恵を、世界全体の平和と安定のために役立てるときが来たのではないでしょうか。
 そのためには、我々にとって言葉にする必要のなかった知恵の一つ一つをしっかりと言葉にし、再認識し、他の多くの地域に向けて発信していくことが必要であり、それはここに集う我々から始めなければならないことだと思っています。

ご静聴ありがとうございました。


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