防衛大臣臨時記者会見

日時
令和5年9月13日(水)21:50~22:32
場所
防衛省A棟11階第1省議室
備考
木原防衛大臣就任会見
動画版①
動画版②
動画版③

1 発表事項

 本日、防衛大臣を拝命いたしました木原稔です。9年ぶりのですね、防衛省勤務となります。どうぞよろしくお願いいたします。まず、本日も北朝鮮が午前中に2発の弾道ミサイルを日本海に向けて発射するという事案がありました。我が国を取り巻く安全保障環境は待ったなしの厳しい状況にあります。こうした中で、国家の存立と国民の生存を守るという崇高かつ国家の根幹に関わる任務を担うことになり、大変光栄に感じるとともに、自らの職責の重みを痛感しているところです。今般、就任に当たり、岸田内閣総理大臣から、先ほど御指示を頂いております。それを読み上げます。1つ目は、日本国及び日本国民の安全と繁栄を確保するため、国家安全保障会議の下、関係大臣と協力して、国家安全保障政策を一層戦略的かつ体系的なものとして実施する。戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に対応すべく、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画及び骨太方針に基づき、2027年度までの5年間で防衛力を抜本的に強化する。2つ目は、国民の命や暮らしを断固として守り抜くため、スタンド・オフ防衛能力、統合防空ミサイル防衛能力、無人アセット防衛能力、領域横断作戦能力、指揮統制・情報関連機能、機動展開能力・国民保護、持続性・強靭性を重視して防衛力の抜本的強化に取り組む。また、防衛生産・技術基盤を強化する。3つ目に、日米防衛協力ガイドラインの下、日米共同の抑止力・対処力を一層強化していく。その際、日米共同による領域横断作戦を円滑に実施するための協力を一層深化させるとともに、我が国の反撃能力をより効果的に発揮するための日米の協力態勢を構築する。4つ目に、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向け、日米同盟を基軸としつつ、豪、印、ASEAN、欧州、太平洋島しょ国等との共同訓練、装備・技術協力を含む二国間・多国間の防衛協力・交流を推進する。5つ目に、沖縄基地負担軽減担当大臣と協力して、普天間飛行場移設を含む在日米軍再編を進める中で、抑止力の維持を図るとともに、沖縄をはじめとする地元の負担軽減を実現する。6つ目に、我が国の領土・領海・領空の警戒監視について、関係大臣と緊密に連携し、緊張感を持って、情報収集を行うとともに、事態に応じて我が国の法令に基づき適切に対処する。7つ目に、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、平和安全法制に基づく自衛隊の任務の着実な遂行に万全を期す。最後に、相次ぐ自然災害への対応のため、必要に応じて迅速に災害派遣を行う。その際、最優先で人命救助を行うとともに、積極的に被災者からのニーズを把握して支援を行う。加えて、平和安全法制に関する事務を担当させる。法制に基づく諸施策の実施に当たっては、国民の理解を得ることが第一であり、必要性や内容について、引き続き、国民に対して、丁寧かつ、分かりやすい説明を尽くす。以上に掲げた総理の御指示に基づき、防衛大臣として、約25万人の自衛隊員とともに、国民の皆様方の負託に応えるため、我が国と世界の平和と安定のために全力を尽くしてまいる所存であります。それから、冒頭発言の最後になりますけれども、本年4月にですね、発生した陸上自衛隊のヘリの事故について一言申し上げます。なぜならば、私の地元である熊本市に所在しております第8師団隷下ですね、ヘリでありました。第8師団の坂本陸将以下10名の御霊に対しては、心からの哀悼の誠を改めて捧げるとともに、また防衛大臣になりましてですね、隊員一人ひとりの命を預かる、そういう立場として、その職責を全うするということをですね、今日この場で皆様方にもお誓いしたいと、そういうふうに思っておりますので、今日は発言をさせていただきました。

 

2 質疑応答

Q:今の大臣の冒頭の御発言と被るところあるかもしれませんが、改めて伺います。今日も北朝鮮のミサイル発射があり、またロシアによるウクライナ侵略、更には中国の動向も含め、大臣おっしゃったように我が国周辺の安全保障環境、厳しさを増す中、国防の中心を担う防衛大臣を拝命された現在の心境と、そして防衛政策を今後どのような形で進めていくおつもりか、お考えをお聞かせください。

A:9年ぶりということもありですね、若干、防衛省・自衛隊の担っている重要な役割というのは過去にも経験しておりますので、そういう中で、その9年間の間にもですね、中国による急速な軍事力の増強や、またその東シナ海等での活動の活発化、また今日もありました北朝鮮による核・ミサイル開発の進展、そしてロシアによるウクライナ侵略など、そういった我が国を取り巻く安全保障環境は戦後最も厳しく複雑なものと、この9年間に更になったというふうな認識であります。また、前回、政務官時代に小野寺大臣でありましたけれども、我が国は初めて国家安全保障戦略を策定したところになります。私が、防衛省勤務時代に、はじめての安全保障戦略ができました。折しも、昨年末に新たな3文書が策定されたと、そこには自民党の議員の立場でですね、あるいは与党の立場でその策定に加わらせていただいたというところであります。防衛大臣として、3文書に基づく防衛力の抜本的強化の1日も早い実現、まだ文書でしかありませんから、それを実現のために、防衛省・自衛隊の先頭に立って取り組む職責の重さというのをですね、今改めて感じているところであります。その3文書で示された防衛政策の今度は遂行ですね、今までは文書を作った立場です、今度はそれを遂行するということを通じて、力による一方的な現状変更やその試みを抑止し、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、防衛力の抜本的強化の実現に必要な事業を着実に、そしてスピード感をもって進めていくのみならず、同盟国・同志国ともこれまで以上に連携していきたいと、そのように考えております。

Q:大臣は、防衛装備移転の三原則の見直しの自民党と公明党のプロジェクトチームのメンバーとして、論点整理をまとめられ政府に提言したと思います。今回、改めて閣僚として政府の立場になるわけですけれども、改めて、この防衛装備移転の三原則見直しについて、今どのような考えをお持ちかお聞かせください。

A:先ほども申し上げましたけれども、私は、これまで自民党の中のですね、安全保障調査会の幹事長としての立場、そして与党ワーキングチームのそういったメンバーにも自民党側の一人として選ばれまして、これまで精力的に議論に携わってまいりました。しかし、今回、防衛大臣を拝命し、今後はですね、政府の立場から本件に関わっていくということになるわけです。その上でですね、国家安全保障戦略にも記載しているとおり、防備装備移転は、我が国にとって望ましい安全保障環境の創出や、国際法に違反する侵略を受けている国への支援などのための重要な政策的手段となります。防衛大臣としましては、防衛装備移転三原則や運用指針を始めとする制度の見直しについては、こうした観点から、引き続き、私ども政府と今度は与党の皆さんとの間で緊密に連携して、取り組んでいかなければいけないと、そのように思っております。また、今回政府の立場となった以上、ある意味、与党ワーキングチームの議論の進め方とか、スケジュールとか、そういったことは逆にコメントはできない立場になったなと思っておりまして、しかしながら、そのワーキングチーム今も継続中でありますから、そこには活発に議論を行っていただきたいということを期待をいたします。

Q:大臣はこれまで日華議員懇談会の事務局長を務めるなど、台湾との議員外交を重ねてこられました。今年5月のG7の首脳会談でも台湾海峡の平和と安定の重要性は盛り込まれたところですが、防衛大臣として御自身の御知見をどのように活かすお考えか教えて下さい。

A:今、御指摘のとおり、国会議員のですね、超党派のですね、議員連盟として日華議員懇談会というものがあります。古屋圭司先生が会長で、私が事務局長という立場でございました。しかし、これはあくまでも議員としての活動であり、今、防衛大臣になりましてですね、議員あるいは政党、そういった私個人のこれまでの活動についてですね、防衛大臣としてコメントするということは、もう控えなければいけないなというふうに思っております。政府といたしましては、台湾との関係というのは1972年の日中共同声明を踏まえて、非政府間の実務関係として維持していくこと、また、台湾海峡の平和と安定は重要であり、台湾をめぐる問題が対話により平和的に解決されることを期待する旨、政府はこれまで一貫して表明しているところです。そのような立場から、台湾をめぐる情勢について、引き続き、関心を持って注視してまいりたいというふうに思っております。

Q:旧統一教会との関係についてお伺いします。自民党による点検結果では会合に議員本人が出席して講演というふうで、木原大臣該当していますが、改めてその経緯について教えてください。また、地元紙の報道では関係団体や団体関係者から寄付を受けていたとの報道もありますが、事実関係を教えてください。併せて、岸田首相は旧統一教会との関係を絶つことを基本方針としていますが、木原大臣は関係を絶つことができているのか、大臣の見解をお願いします。

A:旧統一教会及びその関係団体との関係についてはもう今、御発言があったように自民党による調査に回答しておりますので、それ以降、特に過不足がありませんので、是非そこはその調査を御覧いただきたいと思います。それともう一つ、いずれにせよですね、党としてガバナンスコードの改訂などもありまして、党の方針でもありますが、その後の関係団体との関係は断つべし、ということでありました。もうその通りですね、私自身はそれ以降、それ以降といいますか、講演辞退ももう去年提出した、そこから遡ってもう10年前とかそういうことだったわけですが、それ以降関係団体との関係は断っているということを申し上げたいと思います。

Q:台湾の問題に戻るんですけれども、日台交流協会台北事務所でですね、防衛省職員が常駐しているという一部報道があるんですが、事実関係を教えてください。また、職員が事務官や、いつから派遣しているかなど詳細あるようでしたら教えてください。

A:我が国の政府職員が必要に応じてですね、民間の窓口機関である日本台湾交流協会に休職出向をし、同協会の職員として台湾に派遣されることは、従来から一貫して行われてきておりますが、その一般の職員一人ひとりの人事についてですね、個別のお答えは困難であるということを御理解ください。その上で、繰り返しになりますけれども、台湾との関係というのは、1972年の日中共同声明を踏まえて、非政府間の実務関係として維持していくとの立場であり、台湾との関係については、こうした立場に基づき適切に対処をしていく考えであります。

Q:台湾についてお伺いしたいんですけれども。大臣、与党議員として台湾との関係強化に取り組んでらっしゃると聞きました。今回、防衛大臣になられたことが中国に対してどういうメッセージを送ることになるかというのを御自身分析されているか、御所見をお伺いしたいです。

A:どういう分析をしているか。

Q:御自身で。

A:議員としての活動は自由ですので、私自身、自分自身の考え方、あるいは理念に基づいて活動してまいりました。そして、私自身、日華議員懇談会事務局長なども務めておりました。その以前は、自民党の青年局長なども拝命してですね、これはある意味自民党の台湾との窓口としてであります。ですので、その自由なその議員活動というものはですね、当該国にどのように評価をされるかということは、それは私自身は当該国に聞いてみなければ中々分かりにくいことではありますけども、同時にですね、私の感じるところですが、日中の両国は、地域と国際社会の平和と繁栄にとっては共に重要な責任を有していると思うんですね。特に東アジアにおきましては。だからこそ、中国の間では、ある意味、主張すべきことは主張すると、そして、責任ある行動を求めていくと、そして、お互いに何か懸案があればですね、そういった諸懸案を含めしっかりと対話をしていくと、そして、そういった中で共通の課題があれば、それは協力をしながら建設的かつ安定的な関係を構築していく必要があるというふうに考えておりますので、そういった、是非前向きにですね、関係でいきたいなというふうに思っております。

Q:普天間飛行場の名護市辺野古移設について伺いたいと思います。2014年に名護市長選で移設反対を掲げた候補が当選した選挙について、大臣は当時政務官として応じられ、「国会の民意、永田町の民意もある」とおっしゃったと報じられています。現在の御認識を伺いたいのですが、沖縄の民意は辺野古移設反対が示されているとお考えでしょうか。また、地域に理解を得られていない以上、計画を見直すお考えはないでしょうか。

A:普天間飛行場の辺野古移設については、地元でも様々な御意見があるものというふうに認識しておりまして、そして今先程、国会の民意、永田、すいません、どういうふうおっしゃいましたか。

Q:要請された方は、永田町の民意と木原先生がおっしゃったとおっしゃっていたんですけれども、木原先生は取材に対しては国会の民意と言ったというふうに説明されていたので。

A:そうですよね。私はだからそういった発言を訂正していると思います。琉球新報さんにも書いてますけれども、永田町の民意でなくて、国会の民意だというふうに言ったということでですね、その時の2014年は名護市長選挙で辺野古移設反対を掲げた候補が当選した直後だったと思うんですけれども、そういう意味で言うと、その当時の直近の民意としては、そういった民意だったということで、それはもう十分選挙結果ですから理解をするものでありますが、しかし、もう10年前ですので、記憶が定かではありませんが、それ以外のいろんな国政選挙なりですね、補欠選挙などが行われていたと思うんですよね。そういった中で、その当時の国会、ここにも新聞にも御社にも書いてますけれども、国会では自民党が多数派で野党が少数派でと、一般論として少数の民意も尊重しなければならいけないと、そういうつもりでですね、そういう一連の会話の中で、当時、防衛政務官の部屋の中で、そういう民意という話をした中での会話でありましたから、永田町の民意があるということは私は言ってないということを既に訂正をして、御社も書いていただいているとおりでありますので、そのあたりは誤解ないようにお願い申し上げます。

Q:現在については、沖縄の民意は反対を示しているというふうにお考えでしょうか。

A:現在の民意は、普天間飛行場の問題の原点というのは、これは繰り返すまでもないですけれども、市街地にですね、位置し、普天間飛行場が。そして住宅や学校で囲まれていると、そして世界で最も危険と言われているという、そういう状況の中で、この普天間飛行場の危険性を一日も早く除去しなきゃいけないというのは、これは共通の認識だというふうに思っております。ということは、もう普天間飛行場の固定化は絶対に避けなければいけないということになるわけですね。これはもう政府と地元の皆様との共通認識であるというふうに思っております。私ども政府としては、辺野古移設が唯一の解決策であるという、そういう方針に基づいて、着実にこれまでと同様、工事を進めていくことが、普天間飛行場の一日も早い全面返還を実現し、そして、その危険性を除去するということにつながるものと考えておりますので、辺野古への移設工事を着実に進めていかなければいけないと、そのように結論を私共は持っているということであります。

Q:沖縄が何を求めているかということをどう認識されているかということについてはどうでしょうか。

A:申し上げたとおり、普天間飛行場の危険性を一日も早く除去するということ、そして固定化を絶対に避けなければいけないということ、こういったことが共通認識だというふうに思っております。

Q:佐賀空港への陸上自衛隊オスプレイの配備計画と、それに伴う駐屯地建設について伺います。この計画は大臣も先ほどから9年ぶりという御発言もありましたが、政務官を務めていらっしゃった2014年7月に佐賀県側に要請がありまして、約9年を経て今年の6月に駐屯地工事が着手されました。大臣は以前地元の高遊原分屯地でオスプレイの試乗などもされたと思うんですけれども、改めてオスプレイ配備の必要性と、この間の安全保障環境の変化を踏まえ、調整に9年という時間がかかったことへの所感を伺いたいと思います。加えて、佐賀の駐屯地工事は、今、木更津への暫定配備の期限の関係もあって突貫工事が進んでるんですけども、そのことに伴う生活環境への懸念が地元からは上がっております。地元の不安払拭や理解促進などに向けて、工事現場の視察など、大臣自ら佐賀県を訪れられるお考えなどありましたらお聞かせください。

A:おっしゃるとおり9年前のことを思い出しながら、今質問を聞いておりました。防衛省としては、喫緊の課題である島しょ防衛能力の強化のためには、佐賀県さんに陸自オスプレイの配備を行わせていただいて、そして、長崎県に所在する、相浦の水陸機動団と一体的に運用できる態勢を早期に構築する必要があるというふうに私は当時も、そして今も、そのように考えております。これは、遡ると平成26年に防衛省から地元に要請を行って以降ですね、皆様の御懸念や御質問に、私自身も一つずつ丁寧に答えながらですね、時間を掛けて受入れについて御理解をいただき、9年掛かりましたけども、今現在に至っているというふうに思います。9年掛かったという裏返しには、丁寧に一つ一つ答えていった結果9年掛かったという、そういう私は理解でおります。今後ともまだ引き続き皆様方がお持ちのですね、御懸念やその不安があるとすれば、それを払拭、あるいは解消していくためにですね、そして更にその駐屯地を開設することによって、地域の発展につながっていくんだということを説明しながら、引き続き佐賀県などと連携をしながら対応していく所存であります。また、訪問する予定があるかということでありましたけども、本日着任をいたしましたので、私も九州出身、同じ九州の熊本の出身でありますから、現地の訪問については、今後検討していくということで、今日のところはそういうことにさせていただきます。

Q:今の話とも関連するんですけども、沖縄を含む南西地域のですね、防衛体制強化についてなんですけれども、大臣は3文書の策定に深く携わってこられたかと思いますが、この南西地域の防衛体制強化の必要性というものはどのように考えたかという点とですね、地元には様々な懸念をおっしゃる方も多くいらっしゃいますけれども、そういった懸念についてどういうふうにお考えかという点についてお伺いいたします。

A:我が国周辺において言えばですね、例えば、中国は近年、軍事力の量も質もですね、広範かつ急速に強化しているということは、もう誰もが感じているところだと思います。それに伴って尖閣諸島周辺をはじめとする東シナ海、そしていわゆる第一列島線を越えて、第二列島線に及ぶですね、我が国周辺全体での活動をですね、活発化させていると、そういうふうに分析をしております。こういう状況というのは、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境というふうに言えると思います。そういったことを踏まえれば、南西地域の防衛体制の強化というものが、我が国の防衛にとって喫緊の課題であるというふうに、私はそういう認識を持っております。地元の御懸念もあるということですけれども、このような私どもの行っている防衛体制の強化というのは、力による一方的な現状変更を許容しないという我が国の意思を示すとともに、我が国の抑止力や対処力を高めていくことで、我が国への武力攻撃そのものの可能性を低下させるものであると、そしてそれがひいては我が国国民の安全につながるものと、そういうふうに考えておりますので、引き続き、地元自治体の皆さん方に、そういった根強い懸念というのがあるとすればですね、しっかりと説明しつつ、防衛力の抜本的強化の実現に向けて、これからも全力で取り組んでいくと、そういう所存でございます。

Q:大臣の過去の発言について、先ほどとは別の沖縄についての発言についてお伺いしたいと思います。大臣は2015年6月にですね、沖縄戦没者追悼式で当時の安倍総理に「帰れ」などと野次があったことについて、インターネット上の動画で「明らかに動員されていた。主催者は沖縄など」と述べています。この発言の真意を教えてください。

A:2015年ですよね。防衛政務官をもう終えて、当時は自民党の一議員として、沖縄県戦没者追悼式に、初めて参加をさせていただいた時のことだろうというふうにですね、2015年なので。その時に、初めてでしたから、私は政治家としてですね、様々な式典とか追悼式とかいろいろ出てまいりました。その時点でも随分出ていましたし、先般も、本年4月のですね、ヘリの墜落の追悼式も私の地元の健軍駐屯地で、総理出席で行われました。そういう一般論として追悼式というのはですね、追悼の言葉という非常に総理の言葉をですね、御遺族やあるいは自治体の方々、そして、県民・地元民の方々が耳をそばだてるように聞くものがですね、これが私の常識だったわけなんですね、追悼式というのはそういうことだろうと思っていたんですが、実はそうではなくてですね、安倍総理が追悼の言葉を御遺族や、または亡くなられた方に述べている間に、そういう、何を言っているかよく分からないような野次でしたけれども、当時、10年近く前だからあまり記憶もありませんけれども、とにかく野次で、追悼式のその厳粛な雰囲気ではなかったというのがえらいショックでですね、ショックでそういう発言をしたんだろうというふうに思いまして、当時の私の肌感覚と言いますかね、そういう印象とういうものを述べたのだというふうに理解していただければと思います。

Q:当時を振り返ってその発言に問題があったと、今はお考えでしょうか。

A:動画が残っているということで、これはエビデンスがあるんで、明らかに動員されていたということを言ったんですかね、私も動画を観ていないもので分からないのですが、そういうことであれば、私は確認をしてないので、参加者が動員されているのかどうかということを確認をしたわけではないので、もしそのままの発言で私が申し上げたとすれば、それは確認をすべきだったなというふうに思います。

Q:先ほど来の質問と少し重なる部分もあると思うんですけれども、防衛省は今後防衛力強化に向けて、全国で弾薬庫をはじめとする施設整備などを進めていくことになると思うんですけれども、先ほど沖縄や佐賀のお話で出てましたけれども、地方で賛否が割れるようなことが、今後出てくると思います。地元自治体や住民とどう向き合っていきたいか、理解を広げていくためにどのような取組が必要かについて、大臣のお考えをお聞かせください。また、日米間の長年の懸案であった米軍FCLPの移転先であった鹿児島県の馬毛島でも、今年1月から基地整備工事が始まっていますが、現地視察であるとか、工事で影響が及んでいる種子島を訪問するお気持ちがあるかどうかについて伺います。

A: 安全保障環境が厳しさを増すというのは従来から申し上げているとおりですが、そういった中で、防衛力の抜本的強化に向けた取組を進める過程においてですね、御指摘の火薬庫の整備も含めた自衛隊施設の強靱化、これには防衛省としてしっかり取り組んでいるところであります。こうした取組の実施に当たっては、これまでと同様にですね、防衛施設が所在する関係自治体に様々な形で情報提供をさせて頂きたいと考えております。そして、FCLPの話ですかね、馬毛島の自衛隊施設、これについても我が国の防衛と、FCLPですから日米同盟の抑止力・対処力の強化のためには、一刻も早い整備が極めて重要であるという、そういう認識をしております。現地の視察等については、今日着任したばかりで、これからこういう認識の下でですね、今後検討していきたいと思います。

Q:今の弾薬庫に関連して一点お伺いさせてください。今、大臣、防衛施設が所在している関係自治体に情報提供させていただきたいという旨をお話されましたが、現状、防衛省は弾薬庫にどのような弾種を保管しているかというのを公表していないと思います。一方で今回、増設する弾薬庫はスタンド・オフ・ミサイルも保管されるものが出てくると思います。住民の方にとっては、反撃能力にも使われるスタンド・オフ・ミサイルの保管というのは、懸念事項もあることだと思いますけれど、こういったスタンド・オフ・ミサイルを保管するかどうかも含めて情報提供されるお考えというのはありますでしょうか。

A:弾薬というのは様々な種類がありまして、自治体に説明する上ではですね、ある一定の情報提供は必要だろうというふうに思います。まずは、繰り返しになりますけれども、その関係自治体に対しましてですね、その整備内容等について、やはりしっかり説明していくことが必要だろうというふうに考えております。

Q:具体的な弾薬の種類を例えば述べなくとも、例えばこれはスタンド・オフ・ミサイルであるかどうかだけでも伝えるというお考えはありますでしょうか。

A:個別の案件なので、そこは事務方にお尋ねいただきたいと思います。

Q:大臣がどういった方針を示すかによって地元の理解にも関わってくることだと思いますけれども、その点いかがですか。

A:そこは本当に関係自治体に説明が必要ということであればですね、私、大臣含めて、まだ決まっておりませんが、副大臣、政務官などと力を合わせながらですね、説明を尽くしていきたいと思っております。

Q:代表を務められています文化芸術懇話会に関して、過去の話ですが2015年の会合で出席者や講師から「マスコミをこらしめる」などの発言や「沖縄の基地について普天間基地は田んぼの中にあり周りに何もなかった」などと事実を誤認する発言がありました。現在の考え方について、報道を規制するような考え方に対する現在の御認識と普天間飛行場の成り立ちについては、大臣になられた今どのように御認識されているか教えてください。

A:もし御存じない方がいたら誤解のないように言いますが、今の発言は、私が言った発言ではないんですよね。

Q:出席者から。

A:私が当時、代表を務めている会合の中で出席者からですね、これ実は会合、非公開だったんですよ。非公開の会合の中でそういう発言が出たのではないかと言われたことであります。一般論としてですね、報道の自由もあります。一方で私どもも国会議員として様々な会議でですね、非公開の会議ですけれども発言をするそういう自由もあるんだと思います。そういうある意味、民主主義の根幹をなすもので、当然それは尊重されるべきものであるというふうに認識しております。発言の内容にちょっと関係するとすればですね、その普天間飛行場については、世界で最も危険ということは、繰り返し言っておりますが、この飛行場が固定化されて危険なまま置き去りにされるということは、避けなければいけませんので、今の私の考えとしては、辺野古移設に向けた工事を進めていくということ、そして普天間飛行場の一日も早い全面返還を実現していくという、これに尽きるわけでありますが、当時の発言というのは非公開ではあったもののですね、当時、ちょうど予算委員会も国会ではやっておりましてですね、そこでそういった非公開であったにも関わらず、こう報道等によって一回、国会の審議がストップしてしまったというようなこともありまして、私が代表でありましたから、私を含めて、所属議員に対しましてですね、党から処分があったとうことは事実として伝えておきます。

Q:普天間飛行場の成り立ちについては、何もなかったというのは誤りであるという認識でよろしいでしょうか。

A:どういうことですか。

Q:その会合で講師の方から普天間飛行場については、「田んぼの中にあって周りには何もなかった」という御発言もあったというふうに報じられていますが、今現在の大臣の認識としては、そういうことではないと思われているということですか。

A:講師の発言も含めてですね、非公開、講師の発言は尚更、講師の方はそういう講演をして回っているような方でしたから、講演というのは外に出ると、商売あがったりになってしまいますので、講演内容というのはその場限りのものでありますので、ただ、普天間飛行場を巡る問題の原点は先ほど言いましたけれども、世界で最も危険といわれる普天間飛行場ですから、危険性を一日も早く除去するということ、そして固定化は絶対避けなければいけないということ。もうこれは正に政府、そして自民党、そして地元の皆様と共通の認識であるということだけはですね、これはもう確固たる事実でありますので、そこだけは申し上げておきます。

以上