生物兵器への対処に関する懇談会 報告書


報告書

 

 

平成13年4月11日


目次

はじめに
生物兵器を取り巻く状況
(1) 生物兵器と生物剤
(2) 生物兵器の廃絶に向けた国際的な取組と現状
生物兵器への対処に必要な基本的取組
(1) 生物兵器への対処に必要な能力
検知及びサーベイランス
同定
防護
予防
診断、治療
除染
(2) 想定すべき生物剤
(3) 緊急事態対処
防衛庁・自衛隊における生物兵器への対処
(1) 生物兵器対処への取組の現状
(2) 生物兵器対処に当たっての基本的考え方
(3) 具体的提言
総合的推進体制の整備
研究開発体制の整備
装備の充実
人材の育成
情報収集体制の強化
医療体制の充実
緊急事態対処体制の確立
演習の実施
関係機関との連携
情報の公開、広報
おわりに
注)

*を記した用語については、報告書の最後に解説を設けている。

 


 

はじめに
 冷戦の終結後、核・生物・化学兵器(NBC*兵器)及びその運搬手段である弾道ミサイルの世界的な移転・拡散が懸念されている。大量破壊兵器の中でも特に生物兵器*は安価かつ製造が容易であるため、その移転・拡散は、新たな脅威として、我が国を含む国際社会の抱える大きな課題となっており、生物兵器禁止条約*など生物兵器の廃絶や不拡散のための国際的な努力もなされているが、十分な効果を上げているとはいいがたい。
このような脅威への対処については、我が国の防衛に責任を持つ防衛庁・自衛隊への国民の期待は少なくないと考えられるとともに、政府全体が一丸となって取り組むべき重要な課題が山積している。しかし、防衛庁・自衛隊においては、これまで生物兵器への対処に関する本格的な研究は行われておらず、生物剤に対する検知、防護等の能力は欠落または未検証の状況にある。
本懇談会においては、生物兵器が使用された場合に、防衛庁・自衛隊として必要となる対処能力について、主として医学分野における専門的な観点から検討を行った。検討に当たっては、生物兵器対処の先進国である米国の研究開発機関等の調査を行うとともに、生物兵器が使用された場合に、我が国において必要となる対処を整理した後、防衛庁・自衛隊が今後取り組むべき対応について具体的提言をまとめた。
生物兵器を取り巻く状況
(1) 生物兵器と生物剤
 生物兵器には、細菌、ウイルス、あるいは微生物が産生する毒素といった生物剤*が用いられる。また、生物剤には、①製造が比較的容易で安価である、②曝露*してから発症するまでに通常数日間の潜伏期*がある、③使用されたことを認知することが容易でない、④実際に使用しなくても心理的効果を与えることができるなどの特徴がある。このため、生物兵器は、国家が武力攻撃に用いるだけでなく、個人や団体がバイオテロ*として用いることがある。
生物剤が散布されると、曝露された集団が生物剤に感染し、一定の潜伏期間をおいて相当数が発症する。生物剤は、人に知られることなく散布する*ことが可能で、発症するまでの潜伏期間に感染者が移動することにより、生物剤が散布されたと判明したときには、既に被害が拡大している可能性がある。
生物剤の散布方法としては、その取り扱いやすさや効果の面から大気中にエアロゾル*の形で噴霧されることが多いと考えられている。また、飲食物に混入される場合も大きな被害を生じる可能性がある。
生物兵器に用いられる可能性のある生物剤については、米陸軍感染症研究所*(USAMRIID)、米国疾病管理センター*(CDC)等においてまとめられている(資料参照)。また、近年急速に発展している遺伝子工学等を利用した方法により、生物剤の毒性が強化されたり、薬剤抵抗性が高められたりするなど、未知の生物剤が開発される可能性もある。
(2) 生物兵器の廃絶に向けた国際的な取組と現状
 1975年に発効した生物兵器禁止条約においては、締約国は、生物兵器の開発、生産、貯蔵、取得、保有をしないことを約束する旨が規定されており、平成13年3月現在、我が国を含め世界143か国が同条約を締結している。1997年に発効した化学兵器禁止条約*には、広範かつ厳重な検証制度が定められている一方で、生物兵器禁止条約には、条約が遵守されているかどうかを検証する規定がないため、検証規定を整備する議定書の作成のための交渉が行われているところである。我が国においても、その交渉に、防衛庁を含む関係省庁から専門家が派遣されるなど積極的な取組が行われている。
このような生物兵器の廃絶に向けた国際的な取組がなされている現在においても、さまざまな公刊資料において、生物兵器を保有している可能性のある国があるという指摘や国内で炭疽菌が散布されたという指摘もあり、我が国においても、生物兵器が使用された場合を想定しておく必要がある。
生物兵器への対処に必要な基本的取組
(1) 生物兵器への対処に必要な能力
 本懇談会では、生物兵器が使用された場合に、防衛庁・自衛隊として必要となる対処能力について検討することを目的としている。しかしながら、現在我が国で実施されている感染症対策は、武力攻撃やバイオテロといった事態までを想定したものでないため、生物兵器が使用された場合には、防衛庁・自衛隊だけでなく、関係省庁や関係機関において極めて広範多岐にわたる取組が必要となると考えられる。したがって、3においては、防衛庁・自衛隊に必要な対処能力に限定することなく、生物兵器が使用された場合に、我が国において、どのような対処が必要となるかについて整理した。
検知*及びサーベイランス* 
 生物兵器への対処を早期に行い、被害の拡大を防ぐためには、生物兵器が使用されたことをできるだけ早い時点で認知することが必要である。そのための方法としては、大気、飲食物などを対象として生物剤の有無やその種類を検査する方法(検知)及び患者、感染者の発生状況を調査して、人への感染やその広がりを把握する方法(サーベイランス)がある。
生物剤を検知する器材については、簡便な操作で短時間に結果が得られ、低濃度でも検知でき、生物剤の種類をある程度推定できるなどの性能を備えていることが望ましい。
サーベイランスにおいては、想定される生物剤による疾病について、地域の医師が診断できる技術や知識を有していることや医師からの報告などの情報を迅速に集約できる体制が整備されていることに加え、外国の感染症発生状況を把握し、総合的な分析がなされることが必要である。さらに、政府全体として、集約された情報と迅速な分析に基づき、対処方針が決定できるような体制をとることが必要である。また、生物兵器の影響は、人よりも動物に早く現れることもあるため、家畜、ペットなど動物の疾病、死亡等に異常が見られる場合の情報収集についても留意すべきである。
また、対処行動を取るべき汚染地域を特定するためには、検知及びサーベイランスにより、被害の地理的な広がりを、時間の経過を追って把握できることが必要である。
同定*
 生物剤の有無については、検知によって推定することができるが、感染源や感染経路*を特定し、防護、治療、除染などの対処を適切に行うためには、生物剤を同定すること、すなわち、その種類を特定し、病原性、薬剤感受性*などの特徴を把握することが不可欠である。
世界保健機関(WHO)、CDCにおいては、分離培養など微生物の同定に必要な検査が安全に行われるように、微生物の危険度に対応した取り扱い操作手順、実験室の設備及び施設の基準がまとめられており、国際的に広く受け入れられている。我が国でも、微生物の取り扱いに係る自主的なガイドラインを作成している実験施設は少なくないが、生物剤を取り扱う場合の安全を確保するため、取り扱い操作手順、実験室の設備及び施設並びに関係者が遵守すべき事項に係る統一的な基準が必要である。あわせて、生物剤に熟知した専門家の養成が必要である。生物剤に用いられる可能性のある微生物の中には、必要な検査を行う場合に、WHO、CDCの基準の中で、最も安全度の高いBSL4*の封じ込め施設を必要とするものがある。
防護
 医療従事者、消防職員、警察官、検疫官、自衛隊員など、生物兵器が使用された場合に感染の危険がある環境の中において活動する人に対しては、防護マスク、防護衣などの物理的防護が必要である。物理的防護については、エアロゾル化した生物剤の吸入を防ぐ機能、生物剤によって汚染された物や患者の血液、排泄物など感染源となるものが身体に接触しないような機能などが必要である。同時に、防護器材を装着したまま一定時間活動しやすいように、人間工学を考慮した装着性が求められる。防護器材の性能の検証にあたっては、生物剤そのものによる検証が必要であるが、性質が類似した安全な擬剤*を用いることにより、一定程度の検証を行うことも可能である。
また、生物剤に汚染されると、社会全体が広範に麻痺することが懸念されるような施設については、内部にエアロゾル化した生物剤を取り込まないような設備の整備など施設における防護機能の強化が望まれる。
予防
 一般に、予防接種は微生物に対する感染予防として有効な方法である。生物兵器となる可能性があるとされている生物剤に対するワクチンの中で、有効性、安全性が確認されているワクチンについては、接種対象者の範囲、接種プログラム、ワクチンの備蓄などについての検討が必要である。一方、現在有効なワクチンのない生物剤に対しては、今後、ワクチンの研究開発や発症予防、重症化予防の研究開発が必要である。
診断、治療
 生物剤による疾病には、我が国では稀なものが多いことから、地域の医師が日頃から生物剤による疾病を疑って診療できることが必要であり、診断治療マニュアルの作成及びその普及が有用である。
生物剤による患者、感染者に対して適切な治療を行うために、生物剤の種類によっては、病原体を外に漏らさないような構造を有した感染症病室が必要となる。多数の患者、感染者が、地域に整備されている感染症病床*の数を超えて発生した場合の対応も想定する必要がある。また、安全に搬送、診断、治療ができるように、患者に接触する救急隊員、医療従事者などが感染しないような設備の整備や手順の確立が必要である。
治療薬については、必要量を迅速に確保するために、特に、国内では入手困難なものについては、あらかじめ備蓄等の対応をしておくことが必要である。また、国内で市販されていても、生物剤に対する有効性が確認されていない治療薬が多いことや現在ある医薬品では治療効果が期待できない場合も想定されることから、治療に用いる医薬品の研究開発が必要である。
除染*
 生物剤によって汚染された地域や装備、生物剤が衣服や体表面に付着した人などに対しては、汚染を取り除くことが必要であり、消毒剤、除染器材など除染のための装備が必要である。あわせて、除染作業により生じる廃棄物、排水等の処理方策についても検討が必要である。
(2) 想定すべき生物剤
 対処に取り組むに当たって想定すべき生物剤については、公刊資料の収集、分析をはじめとして、外国における生物兵器の開発状況等を把握し、これらを踏まえて選定すべきである。CDCがまとめた報告書に挙げられている生物剤のすべてを想定した取組は当面困難と考えられるが、中でも、使用される可能性が高く、エアロゾルで散布され、致死率が高いなど、使用されたときの影響が大きいと考えられる天然痘ウイルス*炭疽菌*に対しては、早急な取組が望まれる。
(3) 緊急事態対処
 生物兵器による被害を最小限に抑えるためには、政府全体による対応が不可欠である。例えばバイオテロについては、これに対応する政府全体の枠組みとして、重大テロ発生時の政府の初動措置についての閣議決定や内閣危機管理監が定めている大量殺傷型テロ事件発生時の基本的な対処計画があるが、これらに加えて、生物兵器の使用が疑われる事態の発生があった場合の具体的な現場対処マニュアルの作成も必要である。また、そのような場合に、速やかに現地に赴き、医師、消防職員、警察官といった地域の第一対応者*(first responder)が適切に対応できるように支援する体制が必要である。
 生物兵器への対処に係る体制の整備については、防衛庁・自衛隊における対処能力の獲得だけでなく、感染症対策の充実なども必要であり、政府全体で取り組むべき重要な課題である。そのうち、バイオテロへの対策については、現在内閣官房に設置されたNBCテロ対策会議において、政府全体の体制の整備が進められており、防衛庁も関係省庁の一つとして参加している。3において整理した事項については、テロ対策に止まらない要素も含まれているが、こうした点を含め、今後、防衛庁及び政府全体での検討が進展することを期待する。
防衛庁・自衛隊における生物兵器への対処
(1) 生物兵器対処への取組の現状
 現在、防衛庁・自衛隊においては、生物兵器対処の能力を有した部隊はなく、生物剤として用いられる微生物を取り扱うことのできる施設、設備も十分でない。このため、米国の関係機関に担当者を派遣して、検知や防護に関する情報を得るための研修や生物剤による負傷者の診断、治療技術を習得するための研修等を実施している。
平成13年3月には、科学技術の進歩に伴う装備の高度化・高性能化や高度化・複雑化する陸上戦闘の様相に対応していくため、陸上自衛隊の各学校等の研究機能を統合一元化した陸上自衛隊研究本部が新設された。陸上自衛隊研究本部にはNBC対処について研究する特殊武器研究官が設置され、装備品の実用試験等を研究する開発実験団が新編されている。
(2) 生物兵器対処に当たっての基本的考え方
 我が国において生物兵器が使用されたことを想定した場合、その被害は甚大となると思われることなどから、防衛庁・自衛隊においては生物兵器対処に積極的に取り組むべきである。また、生物兵器への対処能力をできるだけ早く獲得することが期待されることから、速やかに、組織的、戦略的に取り組むことが重要である。
自衛隊の行動が想定されるのは、我が国の外部からの武力攻撃に際して生物兵器が使用された場合、バイオテロなどで一般の警察力をもっては対処できない場合のほか、都道府県知事等から災害派遣を要請されるような場合などである。生物兵器への対処に取り組むに当たっては、生物兵器への対処能力を保持するとともに、自衛隊の活動を必要とする場合に、迅速に事態に対処し、その有する機能・能力を発揮し得るような態勢について検討することが重要である。
(3) 具体的提言
 防衛庁・自衛隊が、その任務を遂行する上で必要となる生物兵器対処能力を獲得するために、今後、防衛庁・自衛隊が実施すべきことについて提言する。
総合的推進体制の整備
 生物兵器の脅威に対して速やかに対処能力を高めるためには、生物兵器対処にかかる基本方針や事態発生時の対処方針等を明確にし、広範多岐にわたる生物兵器対処を総合的に推進する体制を整備することが必要である。
研究開発体制の整備
 生物剤の同定や生命科学の発展等に対応した微生物の研究を実施するため、取り扱う微生物に対応した研究体制を整備することが必要である。生物剤を取り扱う施設においては、安全性を十分に確保するとともに、そのために講じている対策に関する情報をできるだけ公開し、透明性を高くする必要がある。
また、検知器材、防護器材などの装備に係る研究開発体制を整備することが必要である。装備に係る研究開発に当たっては、民間の医療技術などの成果を防衛庁が取り入れることや、防衛庁での研究開発の成果を民間が活用できるようにすることにも配慮するなど民間部門との連携を図るべきである。
装備の充実
 生物兵器対処に必要な装備の中で、特に、検知器材については、防衛庁・自衛隊に欠落しているため、重点的に整備していくことが必要である。防護器材、除染器材などについては、放射性物質や化学剤も含めNBC防護に共通するものとして既存の装備の活用が考えられるが、生物剤への有効性を検証しつつ、必要に応じ能力向上を図り、所要の数量を整備していくことが必要である。
また、個人用の防護器材だけでなく、自衛隊の重要施設、車両、艦船等においても、生物兵器への検知、防護機能を備えることが必要である。
人材の育成
 医官など医学的な知識、技術を持った自衛隊員を対象として、生物兵器対処にかかる各分野の専門家を育成することが必要である。例えば、生物剤の取り扱いに熟知した微生物学等基礎医学分野の専門家、各種器材の開発を行う工学・バイオテクノロジーの専門家、生物剤による患者、感染者に対して適切な診断、治療ができる臨床医学の専門家、事態発生時に状況に応じて適切な対応を助言できる疫学の専門家、生物兵器の開発状況等を把握し、分析できる情報の専門家などの育成が必要である。
人材の育成には長期間を要することから、USAMRIID、CDC、国立感染症研究所等関連領域にかかる先進的な知識、技術を有している内外の機関における研修を継続して実施するとともに、将来的には、これらの機関との人事交流を行うべきである。また、感染症にかかる専門的な診療を行っている医療機関の専門医との意見交換やネットワークづくりも、生物兵器への対処を行う上で重要である。
情報収集体制の強化
 生物兵器への対処に当たっては、脅威の現状を踏まえた体制づくりが重要であることから、医学的、技術的な情報を蓄積するとともに、外国における生物兵器の研究開発状況や生物兵器への対処の状況等の把握、分析など、情報収集体制を強化することが必要である。
また、生物兵器の使用を早期に認知するためには、国内外の感染症の発生状況を把握できる体制を整備することが必要であり、例えば、現在実施されている感染症発生動向調査等との連携を図ることが考えられる。また、自衛隊を対象とした生物兵器の使用を早期に把握するために、自衛隊員を対象とした健康情報の迅速な把握と分析体制を整備することが必要である。
医療体制の充実
 生物剤による患者、感染者に対する適切な医療の提供を行うため、自衛隊病院において、想定される生物剤による疾患に対する診療を行う上で適切な構造を有する感染症病室、検査室を整備するとともに、診断治療マニュアルの作成や研修の実施などにより、生物剤に対する知識、診断治療技術を持った医官、看護官などの衛生職種を育成し、配置することが必要である。また、ワクチンや治療薬など必要な医薬品の備蓄について検討すべきである。
緊急事態対処体制の確立
 生物兵器への対処を適切に行うことができるように、生物剤の検知、防護等の能力を有する部隊を配置することが望まれる。このような部隊の編成にあたっては、既存の部隊に能力を付与することが効率的であり、将来的には、全国に部隊を配置することが必要である。あわせて、対処マニュアルを策定し、関係機関との連携を図ることが必要である。
演習の実施
 人材の育成を含め、生物兵器への対処能力を高めるためには、生物兵器対処に係る体制の整備状況に合わせて演習を実施し、その成果を十分検証することが効果的である。このため、図上演習や訓練をできるだけ数多く実施し、その過程で明らかになった問題点の解決を図るとともに関係省庁、地方公共団体や専門家の協力を得て、総合的な演習を実施すべきである。
関係機関との連携
 生物兵器への対処に係る体制の整備については、政府全体で取り組むべき課題であり、NBCテロ対策会議などを通じて、防衛庁と関係省庁との役割を明確にするとともに、生物兵器への対処に関する知見の共有化や訓練への協力、参加など、関係省庁、地方公共団体、医療等専門関係団体等との取組と十分に連携する必要がある。
また、生物兵器対処の先進国の知識や技術を取り入れるため、外国の政府機関、研究開発機関等との協力関係の構築が必要である。
情報の公開、広報
 生物兵器対処のための研究や体制の整備は、国民の理解を得て進めていくべきものであり、国民に対してできるだけ情報を提供するなどの広報活動をする必要がある。
おわりに
 生物兵器への対処に係る体制の整備については、政府全体で取り組むべき重要な課題である。現在の防衛庁・自衛隊においては、生物兵器対処に係る人的資源、情報、施設、設備等の基盤は乏しく、生物兵器への対処に十分な体制を構築するまでには、かなりの時間を必要とすると考えられるが、本報告書がまとまったことを契機に、生物兵器への対処に関して、防衛庁・自衛隊が、政府全体の対応を踏まえながら、可能なことから速やかに体制づくりを始めることによって、我が国の生物兵器対処能力が向上し、国民の安全が確保されることを期待する。

 

用語

NBC
 核物質(Nuclear)、生物剤(Biological)、化学剤(Chemical)といった、大量破壊兵器に関連する物質の総称。NBC兵器、NBCテロ、NBC防護という使い方をする。
生物兵器(Biological weapon)
 武力の行使の手段として使用される物で、生物剤又は生物剤を保有しかつ媒介する生物を充てんしたもの(「細菌兵器(生物兵器)及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約の実施に関する法律」(以下「生物兵器禁止条約の実施に関する法律」という。)における定義)。
なお、「生物兵器禁止条約の実施に関する法律」においては、毒素兵器を「武力の行使の手段として使用される物で、毒素を充てんしたもの」と定義し、生物兵器と区別しているが、本懇談会においては、生物剤の中に毒素を産生する微生物が含まれており、毒素兵器への対処は、基本的に、生物兵器への対処と同様であることから、生物兵器と毒素兵器とを区別していない。
生物兵器禁止条約(BWC:Biological Weapons Convention)
 正式名称は「細菌兵器(生物兵器)及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約」。生物兵器の戦時使用を禁止した1925年のジュネーヴ議定書を受けて、平時においても、生物兵器の開発・生産・貯蔵を禁止するとともに、保有する生物兵器を廃棄することを目的として1972年に作成され、1975年に発効した条約。我が国は1972年同条約に署名し、1982年に批准した。2001年3月現在の締約国は143か国。
なお、化学・生物兵器の拡散を防止することを目的とする国際的な取組としては、1985年に発足したオーストラリアグループがある。これには、日本、米国、豪州など32か国が参加し、化学・生物兵器の開発、製造に使用し得る関連汎用品及び技術の輸出管理を行っている。
生物剤(Biological agent)
 微生物であって、人、動物若しくは植物の生体内で増殖する場合にこれらを発病させ、死亡させ、若しくは枯死させるもの又は毒素を産生するもの(生物兵器禁止条約の実施に関する法律における定義)。
なお、「生物兵器禁止条約の実施に関する法律」においては、毒素を、「生物によって産生される物質であって、人、動物又は植物の生体内に入った場合にこれらを発病させ、死亡させ、又は枯死させるものをいい、人工的に合成された物質で、その構造式がいずれかの毒素の構造式と同一であるものを含むもの」と定義している。
曝露(Exposure)
 一般に、物質やエネルギー等を身体に浴びること。「生物剤に曝露する」とは、微生物や毒素などを浴びることによって、微生物などが身体に接触したり、侵入したりすることを意味する。ただし、生物剤に曝露したすべての人が、感染し、発症するわけではない。
潜伏期(Incubation period)
 ある病原体に接触してから、問題となる疾患の症候をはじめて発現するまでの期間。肺炭疽では1~6日、天然痘では平均12日である。
バイオテロ
 生物剤、生物兵器を用いた大量殺傷型のテロをいう。
なお、テロは、テロリズムまたはテロルの略で、テロリズムとは、一定の政治目的を実現するために、暗殺・暴行などの手段を行使することを認める主義のこと、テロルとは、あらゆる暴力的手段を行使し、またその脅威に訴えることによって、政治的に対立するものを威嚇することをいう。
人に知れることなく散布する
 生物剤が人に知られることなく散布される場合のように、攻撃されたことがなかなか表面化しない攻撃はCovert Attack(密かな攻撃)といわれている。生物剤には潜伏期間があるため、散布されたことはすぐにわからず、最初の発症者を認めたときには、その影響が広範囲に拡大している可能性がある。
一方で、呼吸や粘膜を通じて吸収された化学物質の影響が、直ちにかつ明白に現れる化学テロのような攻撃については、Overt Attack (明らかな攻撃)といわれている。
エアロゾル(Aerosol)
 気体中に液体又は固体の微粒子が分散している状態のもの。粒子の大きさによって、生体への影響が異なる。粒子径が大きいと肺胞など肺の奥深くに粒子が入り込むことはなく、また、小さすぎると、肺胞に沈着せずに、呼気とともに体外に出される。炭疽菌芽胞のエアロゾルは1~5μで、肺胞に沈着しやすい大きさである。花粉では10~100μ、霧は100μを超える。
 
米陸軍感染症研究所(ユーサムリードUSAMRIID:The U.S. Army Medical Research Institute of Infectious Diseases)
 生物兵器や特別な封じ込めが必要な新興感染症(エボラ出血熱など)に対する医学的防護を目的として、ワクチン、医薬品、診断方法や戦略、情報、手順、訓練プログラムの研究開発を行っている米国陸軍の機関。メリーランド州フォートデトリックにある。
米国疾病管理センター(CDC :Centers for Disease Control and Prevention)
 傷病や障害の予防、管理によって健康増進や生活の質の向上を図ることを目的としている米国の公衆衛生機関。バイオテロ対策部門が設置されており、サーベイランス(感染症発生動向調査)や検査担当者の教育を行うなどUSAMRIIDと緊密に連携して対処に当たっている。ジョージア州アトランタにある。
化学兵器禁止条約(CWC:Chemical Weapons Convention)
 正式名称は「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」。化学兵器の戦時使用を禁止した1925年のジュネーヴ議定書を受けて、平時においても、化学兵器の開発・生産・貯蔵を禁止するとともに、保有する化学兵器を廃棄することを目的として1993年に作成され、1997年に発効した条約。我が国は1993年同条約に署名し、1995年に批准した。2001年3月現在の締約国は143か国。本条約が遵守されていることを検証するための査察規定等が定められている。
検知(Detection)
 環境中における生物剤の存在を知ること。生物剤の検知は、防護マスク装着などの対処を開始するかどうかを決定する大きな要因である。生物剤の有無だけでなく、種類まで推定できると、より適切な準備が可能となる。
サーベイランス(Surveillance)
 疾病の発生状況を把握すること。我が国においては、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」に基づいて、感染症発生動向調査(サーベイランス)が実施されている。感染症発生動向調査の対象疾患は72疾患。感染症の発生等に関する情報は、診断した医師から保健所、都道府県を通じて厚生労働省に集められる。収集された情報は、毎週、国立感染症研究所のホームページに掲載される。
 
同定(Identification)
 微生物の分離培養等各種検査の実施により、微生物の種類を特定すること。確実性の低い同定は検知の一部とみなすことができる。感染症の確定診断の根拠となる。
感染経路
 病原体がヒトに伝播される経路のこと。病原体の伝播様式ともいい、大きく直接伝播と間接伝播に分けられる。間接伝播は、さらに、①汚染された器物や飲食物などの媒介物を通じて感染する媒介物感染、②昆虫などを媒介とする媒介動物感染、③微生物を含んだエアロゾルが気道などに侵入する空気感染に分けられる。
薬剤感受性
 細菌が抗菌薬で殺菌されるか、あるいは増殖が阻止される性質をいう。ある抗菌薬に感受性があるという場合は、その抗菌薬がその細菌に対して有効であることを意味する。逆に、高濃度の抗菌薬の存在下でも細菌が増殖する場合は、その抗菌薬に対して耐性があるという。MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)は、代表的な抗菌薬であるメチシリンが効かない細菌である。
BSL4(Biosafty level 4)
 BSLとは、微生物を取り扱う場合の封じ込めレベルを示す微生物取り扱い安全基準のこと。感染性微生物を安全に取り扱うことができるように、感染性微生物の危険度に対応した取り扱い操作手順、実験室の設備及び施設の基準が、WHOやCDCにおいて作成されており、感染性微生物を取り扱う施設における国際的なガイドラインとなっている。4つの基準に分類されており、エボラ出血熱ウイルスや天然痘ウイルスなどを取り扱う場合については、最も安全度の高いBSL4の封じ込めを行うことが推奨されている。
なお、我が国では、組換えDNA実験指針(昭和54年8月内閣総理大臣決定)において、P1~P4(PはPhysical containment=物理的封じ込めの頭文字)という用語が用いられているが、NIHの(National Institute of Health:米国国立衛生研究所)の組換えDNA実験指針では、Biosafty level(BLまたはBSL)1~4という用語が用いられており、BSLとPとはほぼ同義である。
 
擬剤
 対象としている生物剤と性質が一部類似した微生物や物質で、人体や環境に影響を与えないもの。試験評価や訓練等に用いられる。炭疽菌の擬剤としては、枯草菌など芽胞を形成する微生物が候補となる。
感染症病床
 病院の病床のうち、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」に規定する1類感染症、2類感染症及び新感染症の患者を入院させるもの。エボラ出血熱、ペスト、赤痢等の患者が入院の対象となる。
 
除染(Decontamination)
 生物剤や化学剤による汚染を除去すること。
天然痘ウイルス(Variola virus)
 痘そう(天然痘)の原因となるウイルス。平均12日間の潜伏期間の後急激に発病し、皮膚及び粘膜に発疹を生じる急性の全身性、熱性、発疹性疾患で、伝染力、致命率が高い。ヒトからヒトに空気感染する。1980年にWHOは地球上から痘そうが根絶されたことを宣言した。
現在、米国とロシアの各1か所の研究所に天然痘ウイルスの野生株が保存されている。WHOにおいて、野生株の廃棄に関し、関係者の合意形成が行われているところである。
炭疽菌(Bacillus anthracis)
 皮膚炭疽、肺炭疽、腸炭疽の原因となる細菌。土壌中に芽胞という形態で存在し、ウシ、ウマ、ヒトに感染する。我が国でのヒトの炭疽はまれであるが、多くは皮膚炭疽である。炭疽菌の芽胞は、安定で、吸入により肺炭疽を発症させ、発症して数日後に死亡させることから、生物剤として用いられる可能性があるとされている。
第一対応者(First responder)
 災害などの緊急事態が発生したときに最初に対応することになる人の総称。医師、消防職員、警察官等が第一対応者となる。

 


(参考資料)

生物兵器となる可能性があるとされている生物剤について
(米国公刊資料等による)

 

生物剤 人から人
への感染
潜伏期 死亡率
(未治療の場合)
徴候と症状 治療 予防

炭疽菌 なし 1~6日 皮膚:25%
吸入性及び腸:ほぼ100%
 発熱、咳、軽度の肺の不快感に続いて、チアノーゼを伴った重度の呼吸困難
 重篤な症状が発現した後24~36時間以内にショックや死に至る
対症療法
抗生物質の投与 
ワクチンが有効
抗生物質の予防的投与
ブルセラ なし 5~60日
平均1~2か月
5%  不規則な熱、頭痛、倦怠感、悪寒、関節痛、筋肉痛、抑うつなどの精神症状 抗生物質の投与 ワクチンなし
コレラ菌 まれ 4時間~5日
平均2~3日
50%
(治療により低減)
 発熱、嘔吐、下痢、脱水症状、ショック 水分と電解質の補充
抗生物質の投与
死菌ワクチン弱毒生ワクチン
鼻疽菌、類鼻疽菌 低い 10~14日 50%以上  発熱、悪寒、発汗、筋肉痛、頭痛、胸膜炎性の胸痛、頚部リンパ節腫脹、脾腫や全身性の丘疹や膿疹 抗生物質の投与 抗生物質の予防的投与
ペスト菌
 ○肺ペスト

高い

2~3日

100%

高熱、悪寒から、急速に進行して、チアノーゼを呈する呼吸不全、循環虚脱と出血傾向から死に至る

抗生物質の投与
対症療法

死菌ワクチンは無効
 ○腺ペスト ノミが媒介 2~10日 50%  倦怠感、高熱が自然に進行し、敗血症となり、中枢神経系、肺などに波及 抗生物質の投与
対症療法
死菌ワクチンが有効
野兎病菌
○潰瘍腺型
なし 1~21日
平均3~5日
中等度  局所の潰瘍と所属リンパ節腫脹、発熱、悪寒、頭痛、倦怠感 抗生物質の投与 弱毒生ワクチン(治験中)
抗生物質の予防投与
 ○チフス型 なし 1~21日
平均3~5日
35%  発熱、頭痛、倦怠感、胸骨下不快感、衰弱、体重減少、乾性咳嗽 抗生物質の投与 弱毒生ワクチン(治験中)
抗生物質の予防投与
リケッチャ Q熱リケッチャ まれ 2~14日
平均7日
非常に低い  発熱、咳嗽を伴った胸膜炎性胸痛 抗生物質の投与 Q熱ワクチンの接種
抗生物質の予防的投与
ウイルス 天然痘ウイルス 高い 平均12日 高~中等度  急激に倦怠感、発熱等で始まり、2~3日後、四肢顔面を中心に皮疹が現れ、膿疱性小疱疹となる 対症療法 天然痘ワクチン接種
再ワクチン接種
免疫グロブリンの投与
馬脳炎ウイルス
○ベネズエラ馬脳炎など
低い 1~5日 1%未満  全身の不快感、弛張熱、頭痛、羞明、筋肉痛、吐き気、嘔吐、咳嗽、下痢 対症療法 ワクチン(治験中)
出血熱ウイルス
○エボラ出血熱
○マールブルグ病
○黄熱病
○ラッサ熱 など
中等度 4~21日 5~20%以上

エボラ出血熱では50~90%

 易出血性、点状出血、低血圧、ショック、顔面、胸部の紅潮、浮腫を合併する倦怠感、筋肉痛、頭痛、嘔吐、下痢 集中的対症療法
抗生物質の投与
アルゼンチン出血熱には回復期血漿が有効
黄熱病ワクチン

ラッサ熱などには抗生物質の投与

毒素 ボツリヌス菌毒素 なし 1~5日 高い
(呼吸補助により5%以下)
 眼瞼下垂、全身脱力、嚥下困難等の弛緩性麻痺から呼吸不全に陥る 気管内挿管と呼吸補助 抗毒素
ブドウ球菌性腸毒素B なし 3~12時間 1%以下 発熱、悪寒、頭痛、筋肉痛、乾性の咳 対症療法 なし
リシン なし 18~24時間 高い(毒素量、曝露方法に依存)  吸入曝露で、発熱、、咳、肺水腫、呼吸不全経口摂取で重症の胃腸症状、消化管出血 対症療法 なし
(参考資料)
生物・化学テロリズム:準備と対応のための戦略計画:米国疾病管理センター(CDC),2000
生物剤死傷者の医学的管理ハンドブック:米国陸軍感染症研究所(USAMRIID),1988
ジェーン化学生物ハンドブック第4版:フレデリック・R・シーデル,1899

 


生物兵器への対処に関する懇談会

委員

仲村 英一 (財団法人日本医療保険事務協会理事長) [座長]
倉田 毅 (国立感染症研究所副所長) [副座長]
石井 修一 (東洋紡績株式会社主席技術顧問)
相楽 裕子 (横浜市民病院感染症部長)
志方 俊之 (帝京大学教授)
牧野 壮一 (帯広畜産大学助教授)
三瀬 勝利 (元国立医薬品食品衛生研究所副所長)
雪下 國雄 (社団法人日本医師会常任理事)
渡邉 治雄 (国立感染症研究所細菌部長)

 

検討経過

第1回懇談会 :平成12年5月18日
第2回懇談会 :平成12年7月31日
米国調査 :平成12年9月25日~10月1日
 米陸軍感染症研究所(USAMRIIDユーサムリード)、米陸軍兵士
 生物化学コマンド(SBCCOMエスビーシーコム)外3施設を訪問
第3回懇談会 :平成12年11月29日
第4回懇談会 :平成13年4月11日

 

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