第15旅団沿革

History

第15旅団沿革 (概要図)

臨時1混群移駐

第1混成団創隊の経緯

 臨時第1混成群は、昭和47年3月1日北熊本において編成され、その主力は、同年10月から12月にかけて沖縄に部隊移動を行いました。昭和47年5月15日沖縄復帰と同時に那覇市鏡水に開設された健軍駐屯地那覇分屯地は、臨時第1混成群主力の移駐に伴い、10月11日那覇駐屯地としてスタートを切りました。

 一方、第6高射特科群は、昭和47年8月1日朝霞において編成され、昭和48年1月から3月にかけて那覇駐屯地に移駐し、各分屯地の開設及びホーク器材の引継ぎ等を実施しました。

昭和48年3月27日、臨時第1混成団本部が編成されるとともに、第6高射特科群の与座(現八重瀬)、知念、南与座、勝連、ゴザ(現白川)にそれぞれ分屯地を開設し、第6高射特科群の各部隊を移動させました。

10月16日第1混成団が編成され、沖縄における駐屯態勢を完了させました。

初代 桑江群長沖縄県本土復帰に伴なう訓示

 本日午前零時をもって、沖縄は祖国日本に復帰し、新しく沖縄県として誕生、発足することになった。沖縄百万の県民はもとより、日本1億国民が挙げて待望久しかったその日が遂にやってきた。感慨無量という以外に、この胸中を表現すべき言葉が見当らない。思えば、4分の1世紀以上に及ぶ長い長い道程であった。第2次世界大戦末期、米軍の上陸を迎え撃って沖縄は熾烈な地上作戦の決戦場となり、軍人はもとより官民多数の尊い人命を失い、郷土は廃墟と化し、さらに戦後27年間同胞でありながら祖国から切り離されて、異民族統治のもと幾多の艱難辛苦をなめて今日に至った。この間、日本本土はいち早く戦後の苦境を脱却し、国民総生産では、自由世界第2位という驚嘆すべき経済発展を遂げ、国民の生活水準は飛躍的に向上した。沖縄県民のたどってきた長いいばらの道を思うとき、我々は同胞の一人として痛恨措く能わないものを感ずるとともに、心から同情の念を禁じ得ない。しかし、今日からは名実ともに日本の一県であり、日本国民の一員である。国家としても、戦後27年間の空白を1日も早く埋め、明るく豊かな沖縄県づくりのため、可能な限りの施策が講ぜられよう、我々第1混成群も、新しく沖縄に誕生し、海上数百キロにわたる沖縄全県の防御警備を担当し、災害派遣、人命救助、部外工事等の民生支援に任ずることになる。我々は、今日この意義深き沖縄復帰の日にあたり、我々の任務遂行を通じて、直接・間接に新生沖縄県の発展ならびに百万県民の平和な明るい生活・福祉の向上に寄与することを改めて決意するものである。

 最後に、沖縄作戦において風土・郷土防衛のため散華された軍官民20余万の英霊に対し、この決意を誓うとともに御霊安かれと祈念する次第である。

第1混成団廃止式

第15旅団に新編 (平成22年3月26日)