自衛隊体育学校web/ストーリー/陸上競歩 荒井広宙

ストーリー 迷彩服を着たアスリートたち
自衛隊体育学校アスリートのドラマ

第85話
 競歩王国誕生 歩形の荒井が新加入 荒井広宙

荒井広宙のプロフィール
生年月日:1988年5月18日
出身:長野県
入隊:平成25年4月
階級:2等陸曹

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 自衛隊体育学校の競歩種目は1964年東京オリンピックにおける20㎞競歩代表(栗林喜右衛2等陸曹)を出した以後、40年以上もオリンピック代表をだすどころか競歩の選手自体がいなかった。ところが、2年前の2011年、自衛隊体育学校に日本競歩の第1人者山﨑勇喜が入隊し、当たり前の様にロンドンオリンピック代表になると、たちまち自衛隊が陸上競歩界でトップとなった。そして、今年4月、競歩界のホープ荒井広宙が入隊した。荒井は2013年8月ロシア、モスクワで開催される第14回世界陸上に出場が決まっている。荒井が世界陸上に出場するのは前回の2011年韓国大邱での世界陸上に引き続く2大会目となるが、前回の10位からどこまで順位を上げるか楽しみだ。今回出場する競歩50kmの選手は森岡紘一郎(富士通)、谷井孝行(SGHグループさがわ)等体育学校の山﨑を除くオリンピック出場組プラス荒井ということになり、今回の中では一番の若手ということもあり、大きな期待が寄せられている。
 荒井が競歩を始めたのは高校生になってからのことだ。中学(長野県小布施中学校)に進学した時、はじめは野球部に入ろうと思ったが、どういう訳か両親が反対し、陸上部に入ることになる。そこで長距離をはじめたが、大きな活躍もなく、普通に部活動を楽しむ程度であったという。中学を卒業し長野県立中野実業高校に入学。スポーツ推薦で入学した訳ではなかったが、部活は陸上部に決めた。長野実業高校の陸上部は長野県の陸上界では有名な学校だったが、すぐに活躍できた訳ではない。当初は中学以来の長距離を続け、成績は中学時代と同じく鳴かず飛ばずの状況だった。それが高校2年の時、1年先輩にいた藤沢勇(現ALSOK、20km競歩、ロンドンオリンピック出場)がインターハイ4位になり、その影響で競歩を始めようと思う様になった。競歩は単に体力勝負の種目ではなく、歩形というルールとの戦いもあり、時には技術が勝負を分けることもある種目で、荒井は自分に合っていると感じたという。だが、始めたからといって急に成績が上がる訳ではない。インターハイでも県予選止まり、それでも日本ジュニア選手権で6位に入る。そして高校を卒業すると福井工業大学に進学し、当然のように陸上、競歩を続けた。だが、大学2年の時、思うところがあって陸上部を辞めた。しかし、競歩を止めた訳ではなかった。大学のある福井県の隣の石川県で競歩の指導者として定評のある内田隆幸氏(現小松短期大学競歩部監督)の指導を受ける様になる。文字通り、小松市内にある内田監督の家の近くにアパートを借りて、徹底した猛訓練に励む様になった。陸上部を辞めても大学を辞めた訳ではなかったので、練習の合間に大学へ通うと言う生活だった。だが、この新しい生活が荒井を競歩の有力選手に変身させた。指導を受けて2年目の大学3年の2009年の日本選手権で6位、そして大学4年の時、世界で戦えるか戦えないかのボーダーライン4時間を切る3時間55分56秒で4位に、競歩界で遂に頭角を表した。大学を卒業すると、内田監督の地元小松市にある亀の井ホテルに籍を置き競歩を続けた。これは就職ではなく、籍をおいていただけなので、生活費は家から仕送りを受けて競技を続けるという決して恵まれた環境ではなかった。そして2011年の日本選手権では3時間48分49秒で3位となり、世界陸上の切符を手に入れた。この年の世界陸上(大邱大会)で入賞(8位以内)すればオリンピック代表が内定だったが、荒井は惜しくも10位。そして、オリンピック選考がかかった翌年2012年の日本選手権では、復帰して来た山﨑が日本記録に迫る快歩で優勝したのとは裏腹に、荒井は6位に留まり、荒井のロンドンオリンピックは消えた。だが、悲観することは無かった。荒井はこの時、競技を内田監督のもと本格的なトレーニングを初めて未だ4年だった。浅いキャリアで経験や技術を要求される複雑な競技である競歩で戦っている。荒井は発展途上と言えるだろう。事実、この年の11月山形県で行われた高畠全日本選手権においては3時間47分08秒で優勝。確実にレースをこなすたびに自己ベストを更新していた。そしてこの4月、荒井は自衛隊体育学校へ入隊した。荒井にとっては最高の環境を手に入れたことになる。特に荒井にとっては競歩界の先輩山﨑がいることは大きかった。だが、荒井と山﨑は全く異なる練習スタイルの選手だ。山﨑は1日最高70㎞という誰も真似のできない猛練習で強くなった選手で、圧倒的な持久力で日本の頂点に君臨している選手だ。歩形については膝の故障の影響もあるのかベント・ニーの警告を受けやすい弱点を持っている。それに対し、荒井は歩形には自信がある反面、山﨑ほどの持久力は無かった。日本競歩界を山﨑とともに代表する森岡紘一郎(富士通)は、歩形が奇麗で試合では全く警告を受けない選手だが、荒井のスタイルはどちらかというと森岡に近い。肉体的にも荒井は貧血を起こしやすく山﨑がやるような猛練習に向いていない。入隊直前の3月にも、4月の日本選手権に向けてかなり練習量を増やした結果、疲労骨折を起こした。順調に回復したものの、日本選手権は棄権した。だが、自衛隊体育学校に入隊するとそれまでよりは生活、特に食事環境が良くなり、バランスのとれた適量の食事を3食とれるようになり、貧血も以前よりは弱まった。だが、以前と比べると内田監督のような競歩のプロフェッショナルから直接指導を毎日受けるということは難しくなったものの、歩形については今の荒井には自信があり、荒井にとっては安定した生活環境こそが何ものにも替え難いものだった。山﨑が自衛隊に入隊して、奇跡の復活をとげたことも、荒井の背中を体育学校へと後押ししたのは間違いない。今回の世界陸上で荒井は是非とも入賞(8位以上)したいと考えている。それが間違いなくオリンッピクへの入り口であることを荒井は自覚しているからだ。競歩でオリンピック出場がかかるのは、ロンドンオリンピックの例を考えると、オリンピック1年前の世界陸上で入賞以上の成績を出せば内定となり、そこで内定を勝ち取れなかった選手はオリンピック・イヤーの日本陸上選手権で決まる。そのためにも、今年入賞ラインに入っておけば大きな自信になり、新たな世界が見えて来る。荒井に期待したい。
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