高良山走

高良山走のはじまり

  1.  高良山登山走の発想は、幹部候補生学校の創立以前である総隊普通科学校の幹部候補生隊に求めることができる。昭和27年、総隊普通科学校の幹部候補生隊第3大隊長鈴木靖隆氏(旧海軍少佐)は、戦争時に派遣されたニューギニアのブナで、約12時間泳ぎ続けて九死に一生を得、任務を完遂されたのであるが、海上における12時間疲労困憊の中で必死の泳ぎを可能にしたものは、海軍兵学校時代の弥山登山競争で限界にいどんだ体験であったと言う。このニューギニアでの経験から、自衛隊の若い候補生にも弥山登山走と同じように近くの高良山登山走をさせて限界を体験させることは必ずや人生の中で役に立つであろうと考えられ、この高良山登山走を思いつかれたものである。
     しかしながら、警察予備隊から保安隊創隊当時は急激に幹部を養成しなければならない事情があり、昭和27年入校の第4期(現在の陸曹に相当する士補等選抜)の候補生は、4月から7月までの間12回に分かれて約1500名が入校するような状況であり、高良山登山競走に対する十分な準備訓練を実施する余裕もなかったようである。このような状況の中、夏の酷暑の条件下で高良山登山走を実施したためにゴール到着後に倒れる者が続出したようである。
     したがって、その後は継続されることもなくこの昭和27年の登山走は幻の初回となってしまった。
  2.  高良山登山走の伝統行事としての開始       
     
    昭和29年に着任された平井校長(初代)は、質実剛健にして清廉高潔なる校風の樹立をかかげられ、この校風を具現化するために高良山登山競走をはじめ寒稽古、土用稽古、背振山登山行軍、深江における遊泳訓練等を伝統行事として積極的に計画・実施されその成果の結実により、校風の確立を図ろうと考えられた。
     平井校長は、厳父が大村連隊長(旧軍)時代その名をつけたと言われる大野原演習場の「強兵坂」を心にえがき、「高良山は、武神を祀る高社が鎮座し、また筑後地方を制する要衝として幾多の戦闘が行われたゆかりの地で、かつ候補生の体力・気力の練成、就中、強固な意志・堅忍持久の精神涵養及び団結心を完成する目的を達成するにふさわしい場所であり、学生にとっても高良山への登山走により自己の体力・気力の限界に挑戦し、心中の賊を制覇してはじめて幹部としての強靱な意志と実力が身につき、幹部になるための登竜門に臨むことができるもの」と考えられ実行に移された。
     なお、第1回目の高良山登山走には、個人競技及び区隊対抗の団体競技を取り入れられた。
  3.  高良山について
     
    高良山は、幹部候補生学校の北東約2Km、耳納山脈の西端に位置する標高312.3mの天然の要塞と呼ばれる山である。
     高良山は、筑前、筑後、肥前の三国に跨る広大な筑後平野の中央に屹立し、古代より筑後地方における軍事、交通の要衝として、また宗教、政治、文化の中心としてその歴史上に果たした役割は極めて大きく九州の死命を制する要地であり、それを物語る数々の史跡が高良山中及びその周辺に点在している。特に、南朝の忠臣楠木氏と並び称せられている肥後(熊本県)の菊池氏一族が大友・少弐の大軍を向こうにまわしてたびたびこの高良山に拠り筑後平野一円に出撃して行った忠勇義烈の血戦史はあまりにも有名である。
     また、高良大社は、この高良山に鎮座し、1600年を超える歴史のある神社である。

高良山登山走の歴史

  1.  昭和29年着任された平井校長(初代)から高良山登山走の実施を命じられた学校職員は、登山走の準備に当たり、参考文献などはどこにも見当たらないことから、当時ブリヂストン文化センターに奉職されていた体育生理学者岡部平太先生や久留米大学体育学教授の鴻沢吾老先生等に種々教えを乞い、走路の試走や決勝審判の準備に正味1ヶ月以上を費やすとともに、通信支援も演習以上の周到さで準備し、学校長の準備点検を5〜6回受けてようやく、昭和30年7月個人競技及び区隊対抗の団体競技として開始することができた。
     また、昭和32年に平井校長は、単なる学校行事として実施してきたものを正式な「体育課目」と位置づけて高良山登山走を継続し、学校の伝統行事として定着化を図られたのである。
     高良大社をゴールとし、個人競技及び区隊対抗方式としたことから、「高良山登山競走」と命名され、更に高良大社には記念として「高良神社参拝登山競走」の額を献納された。

       
  2.  昭和41年には、昭和39年の東京オリンピックマラソンで銅メダリストになった円谷幸吉候補生が、#39I課程の候補生として本校に入校し、高良山登山走において18分09秒という驚異的な記録を残し、今なお歴代第1位の記録として燦然と輝いている。
                    
      
  3.  昭和43年7月陸幕の安全管理施策の強化に伴い、大槻学校長(第8代)は、これまでB・U・I課程の候補生全員に対して個人競技及び区隊対抗の団体競技として実施してきたものを見直し、区隊対抗の団体競技を廃止することとし、昭和43年10月の#43U、#44I課程から個人走として試行した。
     更に、昭和44年5月には、「競技は個人競技のみ」、「競技コースの一部変更」及び「安全組織に安全管理面の強化」の3点について登山走実施規則を改正し、10月のB課程から正式に個人競技として実施した。
     なお、コースの一部変更は、御井町商店街の繁栄と舗装化によってバスの通過量が増大する等交通事情の悪化によるものである。
  4.  昭和50年1月、交通事情により再びコースの一部を変更し、九州縦貫道路(現九州自動車道)の側道を使用するコースへと移動し、距離も100メートル伸びたため5.6Kmとなり現在に至っている。
  5.  昭和55年度からMD課程及びWAC課程を受けもつにあたり中村学校長(第15代)は、「女性自衛官も男子と同様の教育を実施すべきである」との持論に基づき女性自衛官が体験走として実施し、平成3年度まで継続された。
  6.  昭和56年、亀井学校長(第16代)の時に、U課程の藤山射場での武装障害走で事故(熱中症による死亡事故)が発生したことにより、課程初期にハードな高良山登山走(検定種目)を実施することには科学的・医学的に無理があるとの結論に至り、検定種目からはずすとともに、到達目標も廃止し、個人走として実施したために「高良山登山走」という行事名を使用するようになった。
  7.  昭和63年に東学校長(第20代)は、「他の課程全員が高良山登山走を実施しているのに3尉候補者課程のみが実施していないのは、入校課程学生の同期生としての一体感に欠ける」と判断され、3尉候補者課程も体験走として約20年ぶりに復活することとなった。
  8.  平成4年、木家学校長(第22代)は、「体力・気力については、心身の厳しい鍛錬なくして発展向上はない」とB課程の入校式の式辞で述べられ、これまで候補生に対する具体的な目標がなかったことからB・U・I及びWAC課程に対し到達基準を設定し、候補生自らが目標をもって努力できるようにされた。
     なお、WACは7年と13年の2回、男子と比較して到達の容易性などを考慮し、到達基準の妥当性について見直しを実施している。
  9.  平成14年に着任された直海学校長(第28代)は、平成16年の開校50周年を見据えてもう一度原点から校務全般を見直された結果、平井学校長(初代)時代の建学精神に立ち返って、高良山登山走も見直され、候補生の団結強化、士気の高揚を図る目的をもって、区隊対抗方式を復活された。しかしながら、平成16年渡邊学校長(第29代)は、対抗意識が過熱化し各種練成時間を持続走を含む体力練成に費やし過ぎる等の弊害が発生したことに伴い、U課程以降は区隊対抗を廃止し、個人競技のみに変更された。 

高良山登山走の狙い

  武神を祀る鎮座1600年を経過した高良大社下をゴールとして、海軍兵学校において実施していた「弥山登山競走」に匹敵するような急峻な坂道という困難なコース(地形)、すなわち学校から全長5.6Km、21カ所のカーブと約3kmの登りを有し標高差156mに及ぶ登坂路において、困苦欠乏に耐える旺盛な体力・気力を養成するとともに、幹部として必要な強固な意志と堅忍持久の精神及び進んで難局に当たる気魄を涵養するもの。

高良山登山走実施にあたっての基本的な考え方  

  1.  学校職員は、本校の最大かつ最も歴史のある伝統行事であることを意識し、高良山登山走を永久に継承するため安全管理を含めた準備の万全を図り、事故の絶無を期して、候補生に対し、校風に基づく質実剛健の気風を体現させる環境を継続する。 
  2.  本校に入校した者には全員実施させ、本校卒業生への仲間入り意識を自覚させて同期生会員としての絆の醸成に寄与する。
  3.  候補生に対しては、本登山走に挑むにあたり、能力に応じた個人ごとの目標を設定させ自己の限界への挑戦心と、それを克服したという克己心を体現させるとともに、質実剛健の気風に基づく強靱、不撓不屈の体力・気力を鍛錬させ自信を付与させる。
  4.  候補生に対しては、平成26年度に作成した7号隊舎の「剛健」の文字を10番カーブ手前で右前方に見て、残りの登りに最後の力を振り絞って己に克ち、「剛健精神」をゴールまで持続させることを指導する。
  5.  候補生に対しては、校風に基づく清廉高潔な品性を保持させるため、幹部らしく正々堂々と走破させるとともに、ゴール到着後も意識をしっかりと持ち、上に立つ者としての姿勢を保持させる。また登山走終了後、鍛錬の道場を清めるという意味を込めて、登山道沿いの清掃を実施させる。
  6.  学校職員には、挙校一体となって応援・激励を行わせるとともに、候補生には本伝統行事への参加と完走を誇りとさせ愛校精神の醸成に寄与する。
  7.  区隊長等は、本行事が単なる持続走ではなく、精神の鍛錬の場であることをしっかり候補生に指導するとともに、行事終了後は、「苦しい時には、高良山を思い出して決してあきらめるな」という指導を行い、候補生の心に本行事を植え付ける。

高良山登山走の変遷

  1.  コース
     
    交通事情の悪化及び安全管理上の面から昭和43年10月と昭和50年1月の2回の見直 しを実施して現在のコース(学校正門右折〜高良川〜九州自動車道沿い〜高良山車両用登山道)に至っている。 
  2.  到達目標
     
    初回の昭和30年から昭和44年度まで到達目標は設定されておらず、昭和45年度に初めてB課程とU・I課程に区分して設定された。
     じ後、候補生の能力等を考慮し、数度の改正を経て男性は平成4年度から30分00秒、女性は平成13年度から35分30秒という現在の基準に至っている。
     現目標となった平成13年から、現在までの到達率は、男性候補生、女性候補生ともにほぼ100%である。
  3.  競技方式
     
    昭和30年7月、個人競技及び区隊対抗の団体競技として開始されたが、昭和43年7月に陸幕からの安全管理強化施策が出されたことに伴い本登山走を検討した結果、10月から個人競技のみに変更された。
     その後、平成14年度にB・U・I課程の区隊対抗方式を復活したが、対抗意識の過熱化による弊害が生じたことから、平成16年度U課程以降は個人競技のみに変更した
     平成20年度に89BU・I課程に区隊対抗方式を再開(藤山武装障害走含む。)、平成24年度には総合優秀区隊(「知力」「体力」「パレード行進」「その他」の4区分で、課程教育全般を通じて区隊対抗方式とするもの)に統合された。
  4.  閉会式等の実施要領
     
    昭和27年度各課程の同期の絆を深めることを目的として、表彰式のみを検定当日に実施し、各課程の全候補生が検定に合格した後、閉会式を実施するよう変更した。
     【理由】全員合格のための度重なる再検定の状況を見るに、受検者の頑張りとこれを応援する候補生の姿は、「俺たちの高良山はまだ終わっていない」と訴えかけているような迫力であり、全員が必死に喰らいつく形相は不撓不屈の精神を体現するものであることから、全員で合格した時に一つのけじめとして、この終了を宣言する閉会式を行うべきであることを認識した。
     また、高良山登山走検定における達成感を助長するため、表彰式において、検定時の状況について5分程度のビデオ放映(教材班作成)を実施している。

第1回高良山登山走開始に際し与うる訓示

  幹部候補生学校は今後春秋2回恒例的に高良山登山競走を実施す。幹部候補生の体力為に強きを加うべし。蓋し幹部候補生は将来部隊の驫イたるべきものにして自衛隊の強弱は一に懸つてその双肩に在り。茲を以て候補生は居常知徳の修養に努ると共に強健無比なる体力を錬成し、一国元気の中枢を以て任ぜざるべからず。これ今回高良山登山競走を創始して今後当校の伝統行事となし、質実剛健の校風と共に永くこれを尊重して後世に伝えんとする所以なり。候 補生諸君は、本登山競走により困苦欠乏に耐える旺盛なる体力気力を養成し、且つ幹部として必要なる鞏固なる意志堅忍持久の精神進んで難に当たるの気魄を涵養し、尚区隊の対抗により部隊として必要なる協同一致・団結・責任・努力等の精神徳目等を十分に砥礪し、以て本登山競走の目的を遺憾なく達成せんことを切望して止まざる次第なり。候補生諸君の真価はその若さ と、その意気とに在り。冀くは全候補生その若き熱血を本競走に傾けて高良の山上に鎮まりま す武神の神霊に応えんことを。
                         
昭和30年7月2日
                幹部候補生学校長  1等陸佐 平 井 重 文

旧国幣大社「高良大社」

  1.  旧国幣大社「高良大社」は、高良山に鎮座し、履中天皇元年(400年)の創建を伝え、御正座高良玉垂命、相殿左八幡大神、相殿右住吉大神の三座を祀り筑後一の宮と呼ばれ、開運厄除、安産長寿の神と言われている。
     現在の社殿は、久留米藩主第3代有馬頼利公の寄進で、丹波頼母が普請奉行、大工棟梁深谷平三郎で1660年(万治3年)に建立された権現造りで、石造大鳥居とともに国の文化財に指定されている。また中門秀塀は第7代藩主有馬頼憧が寄進したものである。高良山中には天武天皇時代の674年、神託により神宮寺高隆寺が建てられて以来、高良山仏教の隆盛時には26ヶ寺、360坊があり、1000余名の僧侶がいたと言われている。 
  2.  高良大社の所蔵品の中には「神本墨書、平家物語12冊」があり、同書は1368年(応安3年)の作で、沙門覚一が語ったものを仏子有阿が書いたもので、国の重要文化財に指定されている。
  3.  高良大社のある高良山には、国の天然記念物「孟宗金明竹」があり、昭和39年10月高良大社から幹部候補生学校に「孟宗金明竹」が寄贈された。
     また福岡、佐賀、山口県下のみにある「神籠石(こうごういし)」も国の史跡に指定され、同山をめぐり約1.6Kmに及び1292個の列石で、太古のたたずまいの中の大きな謎とされている。
  4.  高良山の耳納スカイライン開通により高良大社は、史蹟と景勝の地としても知られるよう になった。この耳納スカイライン(高良山を起点として草野町発心公園まで幅5m、延長13 Km)は、自衛隊の部外工事によって完成したものであり、眼下に広がる壮大な県立筑後川公園の眺めを楽しませてくれる。

コースの変遷

   

到達目標の変遷

年  月 男性の到達目標 女性の到達目標
30年7月〜44年度  到達目標なし
  45年度  B   25分00秒
U・I  26分30秒
46年度〜51年度  B   25分00秒
 U   26分00秒
 I   26分30秒
52年度〜55年度  B   27分30秒
 U   28分30秒
 I   27分30秒
55年度に体験走
56年度〜平成3年度  到達目標なし   体 験 走
4年度 〜 7年度 B・U・Iとも
   30分00秒
  40分00秒
7年度 〜 12年度   38分30秒
13年度 〜 現在      35分30秒

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