日本時間1月13日6時53分、ハイチ共和国首都ポルトープランスの西南西約15q、深さ10q、マグニチュード7.0と推定される大地震が発生した。震源が浅い典型的な直下型地震である。死者が20万人を超えるなど単一の地震災害としてはスマトラ島沖地震に匹敵する近年空前の大規模なものとなった。
  ポルトープランスでは多くの建物が倒壊し、天井・床が重なって潰れるパンケーキクラッシュを起こし、水道や電力供給網等のライフラインにも壊滅的な打撃が与えられている。
  これらを受け我が国は1月20日、中部方面隊から第13後方支援隊基幹の「ハイチ国際緊急医療援助隊」派遣を決定し、翌21日、同隊は現地に向け日本を出国し、続いて政府は1月25日、国連の平和維持活動に施設部隊を派遣する方針を決め、2月5日には、北澤防衛大臣からハイチPKO派遣命令が出された。
  第1次要員として中央即応連隊(東部方面隊・宇都宮)約200名が2月6日に日本を出国し、既に現地において活動を開始し、続く第2次要員は第5旅団を中心に、北部方面施設隊など約350名で編成され、仮設住宅の建設やがれきの除去、道路の補修などにあたる予定である。この命令に基づき派遣要員は派遣準備を進め、2月18日には、帯広駐屯地において榛葉防衛副大臣を迎えて派遣準備完了報告を行った。
  派遣隊員、派遣隊員家族のほか、酒井総監、北海道知事(代理)、砂川帯広市長、部内外関係者など来賓が臨席し、その中で榛葉副大臣は「使命感に満ち溢れる派遣隊員に接し、誠に力強く感じる。これまでの経験を生かし、ハイチの復興と国連の活動に大いに貢献することを期待する。」と述べた。
  福永隊長は記者会見の中で「現地の方々の目線に立った、日本人らしいきめ細かい支援で任務を完遂したい。」と抱負を述べた。
  福永隊長以下約350名の派遣隊員は壮行会食後、来賓、家族及び駐屯地所在隊員などに見送られ駐屯地を後にした。派遣隊員は2月下旬から順次日本を出国し、約半年間ハイチ共和国において任務にあたる。

2月18日、帯広駐屯地で行われた壮行行事
家族や駐屯地の隊員に見送られる派遣隊員 「今度お会いするときは全員が”笑顔という
金メダル”を胸に帰ってきます」
と挨拶する福永隊長
壮行会食では、要員と家族がひとときの
団欒を過ごした。


2月25日、千歳空港にて隊員や家族に見送りを受ける派遣要員
出発前の家族との懇談
派遣には家族の理解が必要不可欠
報道各社の取材に応じる広報官 小松2佐
「健康に気を付けて任務を完遂して帰ってきます。」
見送りに訪れた酒井総監
隊員一人一人と固い握手が交わされた。
多くの隊員・家族に見送られる派遣隊員 見送る家族
その笑顔が隊員に勇気と力を与える
寂しさをぐっとこらえて…


「派遣される隊員・部隊の立場に立った」派遣準備支援
  北海道補給処(処長 佐藤将補)は、国連平和維持活動へ参加・派遣された第5旅団を主力とした第2次隊に対する派遣準備支援を実施した。
  本派遣準備支援は、約3週間という短い準備期間の中で準備を完了するという、大変厳しいものであったが、支援にたずさわる隊員は、処長要望事項の、「派遣される隊員・部隊の立場に立った準備」を支援業務遂行の指針として、本任務の完遂に邁進した。
  支援は、装備品等の管理換受け、ローマ字名札の製作を含む個人被服・装具等の交付、管理換装備品等の改造・整備や携行品の一次梱包と多様に渡った。
  派遣隊員に想いが届けと、「派遣隊員の子息・クラスメイト等が書いた色紙」や「隊員達の思い」をベニヤ板に寄せ書きをして、20fコンテナに積み込むという、微笑ましい場面もあった。

個人用装備品の仕分け 個人用コンテナの準備 個人用コンテナの発送準備
発送を待つ個人用コンテナ 軽装甲機動車の整備 UNマーク貼り付け
夜間まで続く作業・・ アントノフに積み込まれる軽装甲機動車 隊員や近傍小学校の生徒から
現地派遣隊員へのメッセージ



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現地レポート  救援隊(北海道部隊)本格始動!
  3月19日、第1次隊長山本雅治1佐から第2次隊長・福永正之1佐(第5旅団第27普通科連隊長〔釧路駐屯地〕)にハイチ派遣隊の指揮転移が行われ、第2次要員によるハイチ派遣国際救援隊が本格始動した。
指揮転移式の様子(左:福永1佐 右:山本1佐)
ナデール美術館の瓦礫除去作業を行う隊員 現地の人とコミュニケーションを取る隊員 日本から送られた
写真と寄せ書きを眺める隊員
重機を整備する隊員〜騎兵は乗りが三分に厩が七分〜 タバレイッサ避難民キャンプ予定地の造成
ゴヤビエ通信塔取付道の補修 被災した経済財務省庁舎の
解体及び瓦礫除去
ドミニカ国境道の補修
耐震診断の様子 到着した貨物船からの揚陸