挨拶
歴史
概要
活動
展示
利用規約
しのだやま新聞
リンク
修史館
連隊歌
信太山駐屯地の歴史
 信太山駐屯地は大正8年11月に大阪法円坂から、
西南の役や日清・日露戦争時に勇名を馳せた旧陸軍
野砲兵第四聯隊が移駐し、大阪・和歌山の郷土部隊
として駐屯地が創設されました。
 当時の第一大隊長には北白川宮成久王殿下(明治
天皇の娘婿でもあられます。)が着任され、執務室
(現在の修史館)前に記念樹として植樹された楠の
木は今では数十メートルもの大木となり、駐屯地の
歴史を物語っております。
 明治以後陸軍では「兵2万、
馬8千」といわれ、主要動力の
馬で、砲兵第四聯隊の主要装備
であった38式野砲は、馬6頭
で牽引していました。また、当
時の野砲を収めていた「砲庫」
は現在も「倉庫」として活用し
ています。


信太山駐屯地の誕生