明野写真館


明野駐屯地概要


 

飛行場の開設

大正9年(1920年)に浜松飛行場に所在した射撃班が明野ヶ原に移動し、開設されました。

当時の飛行機

丙式1型戦闘機(スパッド(仏))甲式3型練習機(ニューポル(仏))が使用されていました。

飛行学校へ

大正13年(1924年)に明野陸軍飛行学校に昇格、当時の「将校集会所」が現存しています。

終戦まで

加藤隼戦闘隊長が教官を務める等、数多くの優秀なパイロットを輩出していきました。 

移駐

保安隊航空学校として、昭和27年(1952年)浜松基地に開設、昭和30年に明野駐屯地に移駐しました。    

当時の飛行機

ヘリコプターだけでなく、固定翼の飛行機も飛んでいました。

 



先駆の碑

昭和37年(1962年)「陸上自衛隊の立体的近代化時代の先駆」として建立され、現在は陸上航空パイロットの象徴といわれています。

移駐時の飛行場

幹線道路から離れており、田園風景の広がる駐屯地でした。

 

       




航空記念館

「将校集会所」は記念館として残っています。一角にある「顕彰室」には陸軍関係の資料が展示されています。

先駆の碑

現在も鋭い眼光を放つ荒鷲は、航空科隊員の精神を鼓舞し続けています。



警衛所

地域の特色を活かし、伊勢神宮の社をデザインに取り入れ造られています。
 



飛行場として

三重県唯一の飛行場であり、大規模災害時の拠点として重要な位置を占めています。







伊勢神宮

日本人の心のふるさととも言うべき伊勢神宮があります。



夫婦岩

古来より日の出の参拝所として知られている夫婦岩、日の出前後の時間帯は幻想的な風景が見られます。 



せんぐう館

20年に1度の伊勢神宮の建替え、式年遷宮(しきねんせうぐう)を説明する資料館、外宮にあります。



注連縄(しめなわ)

この地方では、蘇民の伝承が残っており、注連縄を厄除けとして一年中飾っておく風習があります。



へんば餅

江戸時代のころ、宮川のほとりに茶屋があり、馬に乗って参宮する人達が休憩してから馬を返したことから、いつしかへんば  (返馬)餅と呼ばるようになったへんばや本店が駐屯地の近くにあります。



伊勢うどん

昔から伊勢神宮に参拝する人たちの疲れた体にやさしい、やわらかいうどん、甘辛い醤油ベースのタレでいただきます。(汁はありません)



てこね寿司

漁師料理が原点のてこね寿司、醤油で漬けた鰹の切り身と、酢飯を一緒に手でこねて食べたことが由来です。(現在は、はしでいただきます)



うなぎ

かつて、伊勢湾岸一帯は、うなぎの養殖が盛んでしたが、伊勢湾台風(1959年)以降、養殖業は衰退。しかし、うなぎ屋さんは残り、現在も多くの店が営業しています。