筥崎宮と福岡空港

 前回までは、筥崎宮に纏わる歴史と人物に焦点を当てて雑談をしてきましたが、今回は全国でも珍しい大都市のど真ん中に位置する福岡空港と筥崎宮のちょっと面白い関係について雑談をしましょう。
 福岡空港(ふくおかくうこう、英語:Fukuoka Airport)は、1944年(昭和19年)2月旧陸軍の席田(むしろだ)飛行場として建設を開始、1945年(昭和20年)5月滑走路完成、その後大東亜戦争敗戦により、10月米軍により板付基地として接収され、1972年(昭和47年)4月米軍より大部分が返還され、「第二種空港」として供用を開始した歴史を持つ空港である。
 ところで、この席田(むしろだ)飛行場という名前の由来であるが、あまり聞き慣れない名前だが現在の福岡空港のすぐ東側あたりが席田地区のようである。その地名の名残と思われる福岡市立小学校博多区席田小学校(福岡県福岡市博多区空港前4丁目17−1)があるところをみると、このあたりを席田(むしろだ)といったのであろう。

 また、板付空港という名前であるが、博多区板付という住所があるが、それとは別に福岡空港付近(博多区下臼井、空港前、青木、大井町あたり)のことを総称して地元の人は”板付”と言うところから来ているらしい。名前だけをみてもいろいろとその歴史を感じさせる飛行場である。
 自衛隊の人たちには板付空港の方がなじみが深い福岡空港である。ここには航空自衛隊春日基地板付地区及び海上保安庁第七管区海上保安本部福岡航空基地が併設され、そのほかにも福岡県警の飛行隊と福岡市の消防ヘリの部隊が所在している。
 この板付地区には、航空自衛隊の西部航空方面隊支援飛行隊(T-4型機を運用)と航空救難団所属の春日ヘリコプター空輸隊(CH-47型機を運用)の2つの飛行隊も所在している。
 あまり知られていないが米軍に接収されていた飛行場でもあり、今でも福岡空港内西側部分に米軍専用地域があり、場内誘導路、滑走路は日米共同使用となっている。米軍の輸送機等が飛来するのを見た人もいると思う。
 福岡空港は福岡中心市街地から至近距離に位置しアクセスに優れており「世界有数の便利な空港」として知られる。福岡市地下鉄空港線が乗り入れ、福岡空港駅から博多駅までは約6分、天神駅までは約11分で結ぶ。福岡高速道路のランプも至近で九州自動車道太宰府インターチェンジへも15分から20分程度で行けるため、日本国内では最も利便性の優れた空港の一つであり、ボーディング・ブリッジ (PBB) を日本で最初に設置した空港でもある(当時のPBBはすでに取り替えられており現存しない)。
 福岡空港の説明はこれくらいにして、今回の雑談の本題である筥崎宮と福岡空港の関係について話を進めることにしよう。

 筥崎宮と福岡空港の位置関係についてであるが、上の地図で見てもわかるとおり、福岡空港の滑走路は、方位16/34で、長さ2800m×幅60mで、滑走路34で離陸すると筥崎宮を左前方下に見て上昇していくことになる。また、滑走路16で着陸すると右前方下に筥崎宮を見ながら着陸することになる。この福岡空港に離着陸する航空機を筥崎宮の参道から鳥居の上に見る光景はなかなかのものである。
 上の地図で見てわかるように福岡空港の滑走路と筥崎宮の参道の延長線のなす交角は約50度であり、滑走路34で離陸する航空機を筥崎宮の参道から一の鳥居の上に置いて撮影する航空機は絵になる。一般的な民間旅客機の主翼の後退角は概ね25度から35度程度であり、左前方50度の地点下方から撮影する構図は航空機を撮影する場所としては結構良いポイントではないかと。良い写真が撮れたら是非私にも報せて欲しいものである。
 自衛隊機の撮影については、T-4型機は機体が小型であり、上昇性能も良いことから福岡空港を離陸して撮影ポイントに来る頃には高度も高くなっており一の鳥居の上に載せるタイミングではかなり機体が小さくなって迫力のある写真は撮り辛いかもしれない。
 また、不定期ではあるが米軍の航空機も飛来することがあるので、運が良ければ米軍の輸送機や戦闘機を一の鳥居の上に載せて撮影できるチャンスがあるかもしれない。
 日本の伝統的な神社という施設の参道から最も現代的な乗り物である航空機を眺めるという光景はこの福岡空港と筥崎宮の関係がなせる技ではないだろうか。
 桜の咲く季節もそこまで来ている。桜の満開な筥崎宮の参道をカメラ片手に春の一日を航空機撮影というのはどうだろうか。時代のコントラストを一枚の写真に納めてみては。きっと時代の先が透けて見えるような良い写真が撮れる気がするがいかがであろうか。