| 昭和6年満州事変勃発以降、陸軍中央部に空軍力増強の気運が高まり航空兵力の画期的充実を図るため、飛行操縦者の大量養成を目的として、現在地に熊谷陸軍飛行学校が昭和10年12月に設立されました。
操縦教育には、訓練生や学校関係者から「赤トンボ」の愛称で呼ばれていた95式練習機が使用されていました。
昭和13年10月には昭和天皇の御行幸を仰ぎ、それを記念して当時の学校長が飛行場地区を御稜威ヶ原(みいずがはら)と命名し、現在でもその名で呼び続けられています。
設立以来、太平洋戦争終戦までの10年間に巣立った操縦者は約1万人に達し、多数の勇士が特別攻撃隊操縦者として散華されました。
終戦後、昭和20年9月に米陸軍キャンプが設置、第43師団が約13年間進駐することとなり、飛行場の半分は御稜威ヶ原開拓組合に委譲され、米陸軍撤収後、昭和33年8月に航空自衛隊熊谷基地として発足、現在に至ります。 |