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居酒屋店員から自衛官へ

松原2曹は26歳のときに入隊した遅咲きの自衛官だ。自衛官の募集要綱で提示された年齢制限ギリギリでの入隊。そのタイミングでなぜ、自衛官を志したのか。

「学生時代に居酒屋でアルバイトをしていて、そのときの同僚が独立するというので、大学卒業後にそのまま付いて行き一緒に働いていました。けれども、給料が安いうえに休みもなくて、身体を壊してしまいました」

「何とかしなくては…」と思っていた矢先、目に飛び込んできたのが入間基地だった。出身は入間基地の目と鼻の先、西武池袋線の沿線のため、居酒屋へ向かう通勤時には電車の中から常に入間基地を目にしていた。航空祭にも幾度と訪れ、入間基地は幼少から慣れ親しんでいた場所。自ずと転職先に航空自衛隊を選んだ。

「飛行機に対する憧れなどはなく、むしろ家の近くの仕事場という感じで転職先に選びました。航空自衛隊は日本各地にあって転勤も多いので、入間基地に100%配属されるわけではありませんでしたが、それは障害にはなりませんでした」

実は大学入学前、自衛隊への入隊を検討していた友人とともに航空自衛隊の広報イベントには参加していた。地元ということもあり、地方協力本部の人と会う機会も多かった。それから7年の月日を経て、再び地方協力本部のお世話になったのは何かの縁かもしれない。航空自衛隊への入隊を希望してからの日々は、通勤時間を使って試験勉強し、2度目の挑戦で合格した。

建物間をつなぐ電話線は、一部電柱を利用。電気用の送電線よりも低い位置に電話線が配線され、時には安全帯を装着して電柱に上る 建物へ電話線を引き込む分岐点に設置された接続端子函での作業。高所では緊張感を持って作業に臨んでいる
松原2曹の作業ポーチの中身、いわば商売道具だ。中でも頻繁に使うのは、右のヘッドセット型電話検査器と持ち手が青色のニッパー
2年前に結婚した奥様との出会いは居酒屋勤務時代。自衛隊への転職を話すと「意外に思われました」。それまでは“文科系”だったが、自衛官になってからは運動が趣味になり、休みの日にはスポーツタイプの自転車で秩父や箱根へ行くアクティブ派に転向

平成13年3月に入隊。教育隊は熊谷基地で、体力訓練のほか航空自衛官として必要な基礎知識を修得した。学生時代のスポーツ経験は皆無に等しく、さらに前職で体調を崩してハンデを抱えた入隊だったが、不安はなかったのだろうか。

「今までツライ仕事をしてきた気力が自分の武器。その経験を活かそうと思いました」

教育隊を年長者らしい経験値で乗り越え、3カ月の教育期間を修了。職業別の知識教育や技能訓練を行う術科学校も、そのまま熊谷基地(第4術科学校)に赴任した。職種の第一志望は「興味本位」で気象観測員を選択したが、希望は通らずに電子部品を扱う職種に配属される。2カ月が経過した頃、さらに専門技術を学ぶため、無線器材と有線器材を選択する分岐点に差しかかる。

中学1年生のときにアマチュア無線の免許を取得し、無線の基礎知識はあったものの、松原2曹は敢えて「身近な電話を扱う」有線整備員の道に進むことを決意。そして、基地業務群通信隊整備小隊有線班として、当初の希望通りに入間基地に配属された。

この有線班で、最初に従事したのが先の交換手業務だ。意外にもここで、過去の職業経験が活かされることになる。

「かかってくる電話の本数が多くて疲れることはありましたが、居酒屋で電話の受け答えをやっていたので、言葉遣いは大丈夫でした」

紆余曲折あった自衛官への道のり。しかし過去の職歴は、決して無駄にはなっていない。

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