百里基地 HYAKURI AIR BASE

基地紹介

百里基地のあらまし

 関東で唯一の戦闘航空団が所在する航空基地であり、首都圏防空の任に誇りをもってあたっています。また、航空自衛隊唯一の偵察航空隊が所在しており、日夜訓練に励んでいます。当基地では、我が国周辺における国籍不明機、あるいは不測の事態に素早く対応するため、領空侵犯措置や航空偵察の任務が与えられ、昼夜の区別なく緊急発進する態勢を維持しています。また、百里救難隊は航空救難、災害派遣のための訓練と待機を実施しています。

百里基地の歩み

 基地の前身は、昭和13年に開設された旧日本帝国海軍百里ヶ原航空隊です。第2次世界大戦終了後、昭和20年開拓農民が跡地に入植を開始しました。昭和30年に地元から基地誘致運動が起こり、昭和31年に基地設置が決定され、昭和33年に百里分屯基地が設置されました。その後5期にわたって滑走路工事が実施され、昭和40年に百里飛行場が完成し、昭和41年7月、百里基地として正式に発足しました。
 翌年の昭和42年第7航空団司令部が、昭和50年に偵察航空隊が、いずれも入間基地から移駐しました。

 旧日本帝国海軍の一コマ。百里ヶ原航空隊上空での訓練風景
   
昭和33年ころの百里基地建設工事中の様子
   
 7航空団編成完結式を経て、昭和42年に司令部が移駐しました。
   
現在の第7航空団司令部庁舎

まめ知識

百里基地用語集

百里の由来
ひゃくり
 百里基地がある百里という大字は、昭和29年に市町合併前の小川町が誕生した時に設定されました。 なぜ百里と呼ぶようになったかには諸説があり、主なものは次の2つです。
 江戸時代に時の水戸藩主が、下総国(千葉)の九十九里海岸に対抗して命名したという説と、一里を約650メートルとしていた時代に、水戸からこの地を通り潮来まで伸びていた百里海道から名付けたとの説です。(街道ではなく海道と呼んでいたようです)
雄飛園
ゆうひえん
 基地正門横に、F−1やF−4など実物の航空機8機を展示しています。この雄飛園の見学は、週末を含め午前9時から午後4時までの間、通常態勢であれば可能です。見学当日、正門受付に免許証などをご提示の上、必要事項をご記入下さい。なお、 基地の訓練等の状況によってはお断りすることもありますので、ご注意ください。